人生に迷走しています
初質問です。 今人生に迷走しています。
一人っ子の貧しい家庭に生まれ、小学校時代は激しいイジメを受けその時の傷が今でも身体と心に残っています。
その後、進学した時に母はガン病に倒れ帰らぬ人に同時期に父は両手足が動かぬ障がい者に偶然にも裕福な親戚も母と同じ病となり命をとりとめました。そこから「お金があれば人の命が救えるのだ」と間違った認識をし、父の世話もあり後先考えず必死で働きました。
文化講師という立場で特殊な業務の為、中々仕事もうまくいかなかったですがそれでも10年休みなく頑張り結果累計2000人程に指導、休日がなくなるほど忙しくなりました。
しかし10年目のある日、会社から「君は雇われてない」「パートでもアルバイトでもなく契約書もないから会社の自由。つまり犬みたいなもんだ」と告げられ一気に生活不安になり体調を崩し会社に詰め寄った所、解雇されました。
10年も特殊な世界に身を投じ、転職を考えるも職業資格もなく、「何のために生きてるのか」と初めて考えました。それを突き詰めていくと「死ねないから生きてるだけ」という考えとなりどんどんと考えは悪循環となりました。
仕事とは貢献。そもそも本当に人を思いやり貢献するのなら自分は何もしない方が良いのではないか? そもそも人という生物自体罪深いものではないのか? 何故人が人を裁く? など様々な思いが交差し、人として生まれた事に後悔しだしました。
元より欲は少なく、酒もタバコもしませんでしたが「働かざるもの食うべからず」で食欲もなくなりより体調は悪化。眠ったままどうか目が覚めないで欲しいと思う毎日です。
こんな人間でも生きる価値はあるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そんな小さい人間を相手にせず もっと大きな世界へ
利害の無い人間に出会うことです。
あなあの中で、これから先、失いの生まれない人間関係、人生を持つことです。
その為には、心のありかたをかえる。
人生損得ばかりではない。
損得があるという事は「ああ、失った」という事を強く握ってしまっているのです。
確かに失いは失い。
ですが、その失ったことに追い打ちをかけているのは誰か。
お分かりでしょうか…。
その失われは、もうそこで済んだはずです。
もう立ち直るべき時なのです。
あなたは、現実の世界で2000人ものフォロワーがいる。
それだけ必要ととされてきたのです。
お金を払ってまであなたのもとで学びたいと思う人がいるのです。
その話をご両親が聞いたらとても誇らしいと思います。
ですが、その会社のその人はドライな人ですね。血が通っていなかった。
教育、学習を広める立場でありながら、本人がまるで人間的な教育がない。
そういう矛盾はお寺の業界にもよくあることです。お寺とは宗教心を広めるべき場であり、住職や副住職、お寺の家族とはそういう心を広むべきひとたちでありながら、宗教心がゼロ。
そういう矛盾は実際にあるのです。
あなたは、人にものを伝えられる素晴らしい力を持っています。
さらにはその力に生きた人間性、道徳心、宗教心を重ねて伝えて頂きたいと思います。
世間がダメだ、アイツはだめだ、世の中なんてだめだ、ではなくあなたがやるよりほかないのです。もう一度、あなたを必要としてくれる人たちの為にも、自分をどんどんアウトプットしていってください。
空海も迷った
ボブさん、はじめまして。
徳島県の法話と天井絵の寺、觀音寺 中村太釈です。
人生を迷走していると感じておられるのですね。
空海も勉学に励み、中央官僚の道が開けていましたが、すべてを捨てて仏道に入りました。空海自身が決めたことなので、きっとスッキリした毎日であったと思いますが、さにあらず。「人知れず涙を流した」と空海自身が書き残しています。
空海も人生を迷走しました。
ボブさんも信じる道を歩いてください。
「損か 得か にんげんのものさし うそか まことか 仏さまのものさし」 相田みつを
質問者からのお礼
早速のお返事ありがとうござます。 職業柄なのか「勝ち負けが全て」「利害が全て」のような世界を見すぎてしまい、人間扱いまでされず「人とは何か?」「生きるとは何か?」と気力を失ってしまってました。
自身の体験談を元に自分と同じような道にならぬよう何かを伝えていける生き方を改めて考えてみたいと思います。
中村様
本当に正直に申し上げると人間である事が辛いです。人であるが故に人を傷つける。毎日そのような葛藤にあります。
仏の世界や生き方を学びたいですが何分考えてばかりで行動に移せぬ情けない自分であります。