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どうしたらトラウマを忘れられますか

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有り難し有り難し 26

物心ついた頃から両親の喧嘩は日常茶飯事で、父が家の中に火を点けた事もありました。ある日、母は血だらけになり、ついに両親は離婚。父は出て行った後、ろくに生活費もくれず母も苦労したと思うけれど、母は私に対していつも否定的で、2つ下の妹は私に対してずっと、大人になっても反抗的でした。
大人になり飲食店で働き、家には寝に帰るだけのようになったのですが、私の部屋は窓もエアコンもない3畳間で、夏は暑くて、隣の妹の部屋にはエアコンと窓があり、間の襖を少し開けて風を入れようとすると、すぐにぴしゃりと閉められました。
他にも色々書ききれない事がありましたが、一つ一つの細かい出来事が今も心にシコリのように残っていて、心の中はシコリがぶつぶつといっぱいあって、想像すると気持ち悪くなります。

子供の頃、授業参観の時、体育の授業の前に着替えて洋服をたたんでいたら、母が洋服を投げ飛ばして「早く外に出ろ」と言ったり(まだ休み時間)、友人が遊びに来てくれた時に理由は覚えていないけれど怒鳴られたり、包丁を持って追いかけられたり、遠足や運動会では母はよく寝坊して、私はお弁当を持たずに行ったり、お金があれば自分でパンを買ったりしました。少しでも母の助けになればと料理をすればそんな事求めてないと怒鳴られ(掃除も洗濯も勉強もしました)、大人になったら家を出たいと思っていたけれど、母はよく酔っぱらって、交通事故に遭い骨折等生活に支障が出る重症になる事5回。その度に看病とお金が必要になり出るに出られず、挙句に母はリウマチになりました。今はどうにか家を出ましたが、実家の近くに住んでいて、母に会うたびに心にグサリと来る事を言われて泣きながら家に帰ったりします。昔の事を忘れようと思うけれど、また新しいトラウマが増えて、溜まって行く一方です。なんだか悔しいやら悲しいやら、母や妹に拒否・否定される度に私はダメな人間なんだなと思い知らされて、時々、消えてなくなりたいと思います。
今、同棲している彼は家の事情で結婚こそできないものの、優しくて私は幸せだなと思える時もありますが、なぜか私自身が情緒不安定で泣いてしまったり、会社も休みがちになってしまったりするので彼も心配しています。彼の為にも穏やかに暮らせたらと思うのですが、どうしたら過去の事などを気にせず前向きに生きていけるでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

母ちゃんは母ちゃんで各自でホットケ様に。

まず、母ちゃんが病んでますわね。あなたはたぶん大丈夫。つらかったらいつでも電話相談してきてください。
母ちゃんが過去の負を背負って生きていることが一番の問題。上手に距離を取って下さい。
一番のおススメは親子そろって過去の負の連鎖から出家しちゃうことです。
出家するって言ったってアタマ丸めれば良しということではありません。
自分たちが引きずっている負の思いから脱却、大脱走するのです。
 負の思いとは…家庭内のいじめ、わるぐち、いやがらせ、感じの悪いこと、言い方に愛のないこと、暗い表情、愚痴、ケチをつけること、暴力的なこと、言っても誰も幸せになれないこと、公の場で口にしたら問題なること…総じて「ヤなこと」ね。
あなたは第一子として本当は愛されるべきで愛されたかった。父ちゃん母ちゃんの壮絶な憎しみ劇場の被害者です。おかわいそうに。なでなでよしよし。
親って「子供にこれをすると悲しいんだよ」ってコトをわかっていない親が大半です。
うちの親もいまだに嫌なことを言ってきます。本人はそれがいいと思っているらしいですが、子供にとっては逆効果なのですよね。しかもそういう悪口や悪態をついて「お前を育ててやっている」みたいな姿勢ですから、本当にタチが悪いものです。
人間の考え方としてどうだ、こうだ、ではなく生物として「親がこれを子供にやったら絶対に悲しい」ことってあるのです。あなたはその被害者です。でも、親を心底恨むわけにもいかず、さぞかしお苦しかったことと思います。頭なでなで👋偉かったです。よく今日まで生きてきてくれました。
仏教では遠離といいます。
空間的距離と精神的な距離をもつことです。
深い意味で申し上げれば、家族関係であってもわたくししないこと。
人間は元々持ち物がありません。
私の目の前にはものがありますが、もともと私のものではありません。
持ち歩いていない時は、誰のものでもありません。自分が死んだら誰のものでもありません。
もともと私のものではないからです。
お母さんとの関係も同じです。あなたがお母さんに何かこうしなければいけない、なんてことはありません。
「行き過ぎた親」は子供から見放されて当然です。
子供が親を精神的に育ててもよいのです。いずれ人生においてゆとりが出てくる時期が生じます。親の人間性を高めるにはそれからでも遅くありません。
まずは、本当に大変でした。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

丹下覚元様
ご回答くださりありがとうございました。
また、慰めのお言葉を頂戴して思わず涙し、自分が「愛されたかった」ことに気づきました。
私はきっと、なんだかんだ母を愛していて、だから苦しいのだと思いました。
でも、ずっとこのままでは辛いので、一時的でも少し距離をもってみようと思います。
もしかしたら、離れている間にお互い抱えている物が消えていくかも知れないですよね。
胸の内を聞いて頂いて本当に良かったです。ありがとうございました。

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