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わたくし女性信徒。低い声が出ません!経頭さんは迷惑?

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有り難し有り難し 22

 いつもお世話になっております。
 お礼が遅くなりましたが、不動産の件は円満に行きそうです。ありがとうございます!管理担当から物凄い丁重な謝罪がありました。45度の最敬礼(笑)
               *
 さて、私は低い声が出せません。親からも「あんたは甲高い声だね!」とさんざん言われたのを覚えています。
 お経や御詠歌の時は経頭(導師)に音程、テンポ、声の大きさを合わせるように。と教わり、普段のお護摩でも実践している…
 つもりなのですが!
 経頭さん(男性僧)の声に音程を合わせる時に、
中国ロシアの軍楽合唱団の女性兵士さんみたいに自分の声を高くする要領で音程を合わせています。あそこまで高くはならないけど。
               *
 響かせる場所、口の開け方等々を考えて重みのある声になるよう意識はしているのですが…問題はありませんか?
 お智慧を貸していただければさいわいです。
 よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

知恵を借りるより

直接お聞きになってはいかがですか?貴女も常連さんなのでしょう?私が句頭だったら、「あー、そこ気にするよりなー」と感じそうです。「何とかオクターブずらしてお願いします」かも知れませんけれど。
とか言いつつ、私はご詠歌の指導をしたことがありませんので、その意味では「分かりません」。もし女性の先輩がいらっしゃるなら、その方にお聞きするのも良いと思いますよ?

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

ハモるか1オクターブ高めに

和の音階に合わせてハモれば問題ありません。
禅宗でもイノウ(維那)というリードボーカルさんがお経を引っ張りますが、必ずしもその人の声にぴったり合わせられるわけでもありません。
その人の音をキー、ベースとして5度のハモリが無難です。
もしくはピアノの黒鍵部分で外れない音であればその人と音は違っても問題ないと思います。
問題はそのことを問題視、問題化することによって問題になると心得ておきましょう。
声というものは音程を高くしても「太く」も「細く」もできます。
のどのあたりで発声すると細い声になり、いわゆるお腹から出すように意識すると低周波が発生します。
一番良いのは「わたくし」の無い声。
自分自分した気持ちのない声が仏心に通じます。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

【佐藤良文 先生】
ご回答ありがとうございます。
御詠歌に関しては、無料の体験会でした。
本格入講となると、道具云々とか年会費がかかるので、やめました。
常連ですけど…なんか、聞くの恥ずかしい。
ちなみに御詠歌の女性講員さんは、お坊様に合わせるのにキーを上げてました。

【丹下覚元 先生】
ご回答ありがとうございます。
早速、曹洞宗さんのお経を聞いてみました。
ハモリ綺麗!でも私は合唱でも釣られまくって音程が狂う人なので、オクターブ上げる方向で
やらせていただきたいと思います。
問題視する事が問題に直結、
言われてみれば、気になりすぎて何もできなくなる時ってありました。気をつけます。

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