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亡き愛犬への思いをどうしていいのかわかりません

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私は昨年の夏に愛犬を亡くしました。

色んな病気と闘いながら約17年生きてくれました。

何度も安楽死か点滴での治療かの選択を迫られ、毎回点滴治療を選びました。
早く楽になりたかったのかもしれないと考えると、無理に治療して苦しい思いさせてしまったのではないかと苦しくなります。

でも心のどこかで看病で眠れない日々や毎日の点滴の治療費にどこまで治療できるのかと不安になった自分もいて、そう思った自分が凄く嫌になります。何て酷い飼い主なんだと…。

また犬は飼い主の病気を取って自分が病気になると聞いた事があります。
私は先天性の難病で神経に腫瘍ができる病気です。私の病気(腫瘍)を自分の病気に変えていたんだと思います。その度に自分が病気になっていっぱい苦しませたと思います。
私のせいで何度も病気と闘せてしまいました。
可哀想な事をしたと思います。私のせいです。

いっぱい癒してくれてありがとうの感謝でいっぱいです。
ごめんなさいとありがとうしかありません。

毎日、ごめんねって思います。
そして会いたい、抱きしめたい
もう一度会いたい、会いたい。

毎日愛犬の事を考えて涙がでます。
自分でもどうして良いかわかりません。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

まだ首輪が一つ外れていない

あなたの犬として死なせているから苦しいのです。
確かにあなたの愛犬だった。
ですが、もともとその犬は「天地の犬」です。誰のものでもない。
命の尊厳があるのです。
誰のものでもない、天地にただ一匹の存在です。
あなたとのご縁は確かにありましたが、あなたは飼い主であり、ペットは無条件の愛情ですから、人間は特に愛着の心が沸くのです。
だからこそ、愛ゆえにその犬を強く、ワタクシしているのです。
もういちど首輪を外してあげてください。
天地の犬として尊厳を認めて天地にお返ししてください。
誰のものでもない犬にしてあげてください。
もちろん、あなたが飼わなかったら殺処分されてしまっていたかもしれない。
だから、あなたは17年間一緒に安心を与えてあげました。
すばらしいことです。家族以上の関係であったでしょう。
だからこそ、もう一度首輪を外してあげてください。
わたしの「の」を外すのがあなたの最後のつとめです。
わたし「の」大好きだった犬から、
立派だった天地に一箇一匹の尊い犬にしてあげるのです。
それが、あなたが外してあげるべき最後の首輪ですよ。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

涙を流し、想いを吐露していくことも、大切な時間

スマイルさん
愛犬を亡くされて、苦しい気持ちが伝わってきます。

一つだけ
“犬は飼い主の病気を取って自分が病気になると聞いた事があります。”

如何なるいのちも
縁次第で病になり、必ず老い、亡くなっていきます。
スマイルさんのせいではありませんよ。

スマイルさんの
愛犬に対する、あいたい気持ちや涙は
愛犬との深い関係から与えられた感情かと思います。

辛いかと思いますが、涙を流し、想いを吐露していくことも
スマイルさんにとって大切な時間なのではないかと思います。

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おきもち

質問者からのお礼

明福寺 / 中根信雄様

ありがとうございます。
私に飼われたばっかりに…と思っていましたが、あの子の縁だったのですね。
少しでも痛みを和らげてあげれていたら
嬉しいです。

安穏寺 (天岑寺) / 丹下 覚元
ありがとうございます。
私が会いたい、抱きしめたいと悲しむ事は、天国の愛犬にも悪影響なんですよね。
辛いですが、あの子の為に頑張ります

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