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別居

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何回かアドバイスを頂き、少しずつ実行していました。ありがとうございます。

先日、「不倫に関しては終わった。ただ、別居してほしい。」と言われました。

いろいろ話をすると、「おまえは、いつも正論すぎる。上から目線でしか話さない。自分の気持ちを押さえつけられ、壊される。耐えられない。不倫より前から思っていた。何年も我慢していた。」と言われました。

確かに、夫に対して反論できないぐらい言っていることは自分でも気づいていたので、最近は押さえるように気を付けていたつもりでした。
(不倫が始まるまでは)

ただ、私が言ったことで彼が私の意見を受け止めてくれる事は少なく、結局、私の愚痴や嫌みにしか取っていないと思えます。

夫は一人っ子で、母子家庭なのもあり、子供に対しても家庭に対しても自ら何かしようと思うタイプでもなく、クチベタな所もあり、つい私が口を出してお願いしたり、「~すべき」「どうして~なの?」みたいな事を言ったりしてしまいます。

夫からしたら、子供に言っているようで、反論してもかぶせてきて1言ったら100返ってくると言われました。それが苦痛でならないと。
仕事にも影響しミスしそうなことが多くあるなどとも言われました。

夫自体、子供の様なとこがあり、自分の意見が通らないと機嫌が悪くなり、「機嫌が悪い時はほっとけ」と言いますが、出先などでその状態で本当にほっとくと更に悪くなるし、機嫌が悪いと子供たちにも影響もあります。

私が無言になっても効果はなく、結局、口を出してしまいます。

元々家族への愛情が薄く感じてしまうことも多く、夫には家族が重荷なのでは?と思ったりすることあります。夫なりには頑張っているとは信じてましたが。

不倫を終わらせたのも、私が口を出したりしたのが大きかった分、反感もあると思います。
不倫を終わらせたばかりで影響も少しはあると思います。

夫自体が楽になりたいという気持ちも分かる気もしますし、私が追い詰めていたのかな〰とも思います。

たた、家族に無責任すぎる気もします。(本人に言ったら、また正論と言われました。)

元々の不満なのでどう対処していけばいいのか悩んでいます。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたの覚悟次第。

どどみさん、こんにちは。

夫の不倫とふがいなさに辛いですね。
自分をいろいろ変えようとしても、ニッチもサッチもいかない状態なのだと思います。
夫は自分の夫としての責任を放棄して逃げたいだけなのでしょう。

対処するための目的で方法はかわります。
①一つは夫に見切りをつけて子供たちと一緒に生きていくか。
②二つは夫と別れずに夫婦の関係を取り戻す努力をするか。
です。
 あなたがどんなに正論であっても、夫があなたと一緒にいることが楽しくなければ②はなすことはできないでしょう。だからあなたが夫よりも心の器を大きくして夫を包み込まなければなりません。私の尊敬する日蓮大聖人は「良い妻とは夫に従うふりをして夫を従わせるのである。」と教えて頂いております。夫に形上したがっているようで実は夫をコントロールしているのです。男は単純です。子供っぽいところがあるとの説明ですが、子供的な対応をすれば良いです。それで一所懸命働いてお金をたくさん稼いでくれれば家族としては幸せなのですから。

①であれば、夫に見切りをつけて、不倫した夫と相手に慰謝料を請求して、自分と子供が生きていく環境を作りましょう。子供を守るのはあなたしかいないのです。

どちらにしても、大変な道です。自分でしっかり目的を決めて行動してください。またその時にはご連絡ください。ハスノハでも個別でもご相談にのります。合掌
 

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★僧伽(お友達)になりましょう。一緒に仏教を楽しみましょう★ Email;kongozaji@renge.net(気軽にメールしてね!)  直通電話:090-6041-0193(最初はショートメールで) ※※※※※※※※※※※※ 山寺の小さな金剛座寺は10月23日に襲った台風21号で、大変な被害を被りました。大規模な斜面の崩落で客殿が倒壊の危機に陥っています。人生は何が起こるかわかりません。復興に向けて20年努力してきましたが、またリセットになるとは思いませんでした。でもあきらめません。仏さまの教えは「一切皆苦」苦難をなくすことではありません。苦難は必ずきます。それを乗り越える心を作ることが、御仏さまの教えなのです。  ハスノハに訪れる皆さん。私と一緒に人生の苦難に正面から立ち向かい、乗り越えていきましょう。仏さまと共にならば、必ずできます。合掌 ※※※※※※※※※※※※ Email;kongozaji@renge.net 在家から天台宗僧侶になりました。田舎のお寺だからできる新しいお寺ライフを試みて活動しています。特技は手話で現在某大学の非常勤講師で初歩の手話講義をしています。NPO手話技能検定協会理事の役職を頂いて手話学習の普及に努めております。社会貢献として保護司のお役を通して社会更生のお手伝いをしております。 どうぞ伊勢にお越しの際は遊びにお立ち寄りください。また活動は三重だけでなく、埼玉・東京・神奈川などの首都圏、または車でいけるところはどこでも出張で活動しています。仏事のことなら気軽にご連絡ご相談ください。お寺には宿坊もありますので、心のリフレッシュをされたいのであれば、いつでもお泊りくださいね。 私と一緒に、お寺の復興を手伝ってくれる方を募集しています。私とお友達になってください。そして伊勢の山寺をあなたの第二のふるさとにしてください。 ●お葬式や法要、納骨をお受けしております。 エリアは三重・中部・近畿から東京・埼玉・神奈川まで、車でいけるところはどこでも走り回っております。どうぞご相談ください。  (メールが有難いですが、直通電話 090-6041-0193 でもお受けします。なかなか出られないので着信を残してください。またはSNSでご連絡くだされば折り返し電話します。なお電話での悩み相談は10分と決めておりますのでご了承願います) ※もし少しでも回答がお力になれましたら、その感謝のお気持ちを、ご本尊如意輪観世音菩薩さまへのご志納(布施行)でお願いします。ハスノハ活動ができるお寺の維持活動に使わせて頂きます。 ゆうちょ銀行100010-67608891 名義コンゴウザジ 百五銀行多気支店(普)221446 名義シュウ.コンゴウザジ 檀信徒・弟子になって一緒に仏教ライフを楽しみませんか?(檀信徒費志納年1万円) 仏教を人生に活かして楽しみましょう。合掌 

正義を取るか夫婦の仲良しを取るか

自分の正論という剣で相手を切りつけても旦那は逃げていくだけです。
相手を刺激するのは🍢おでんつんつん!くらいにしておきましょう。(それじゃ炎上だ)
「正義の剣で相手を切るな」
正論は相手を完膚なきまで叩きのめすことができるものですが、攻撃性のある正義では相手も聞く耳を持ってくれません。糾弾や革命や裁判でもない限りは正義で相手を攻撃してもまずいうことを聞いてはくれないと思います。
家庭や夫婦間においてはもう少し柔らかマシュマロハイソフトわたがしはんぺん言葉で相手と接するべきでしょう。
簡単に申し上げますと、あなたが人肌恋しい秋の寒空の中、寄り添いたい相手に寄り掛かってハグやチューを求めたところ耳元で「イヤ👓私は君とハグなどできるような心理状態ではなくあなたと論理的にこの問題に関して意見しあってどちらが正しいか決着がつくまでうやむやにするべきではないし私の正当性を君に理解してもらうまでは決して一歩たりとも譲らない」な  どとマシンガン正論をかまされましても、愛もやさしさもなく心寂しいまま関係も冷えきってしまうと思います。
仲良くするには、仲良くことを優先して相手を責めないことです。
不説過戒(ふせっか‐かい)という戒があります。
相手の過失を責めたり、悪く言うことはいくら相手が悪いことをし相手であっても相手のためにも自分のためにもならないのです。

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今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがとうございます。

自分でも正論過ぎるのは、相手を辛くさせてしまうと思いますし、家に帰りたくないと思わせているのは確かで、どう接すれば良いか毎日悩んでいます。

毎回見返しながら、考えています。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ