お金を使うのが怖いです。見てくれ繁盛になりたくないから
いつもお世話になっております。お金を使うのが怖くて
たまらない時があります。
私の親もお金持ちで、拝金主義者でした。見かけばかり
気にして、中身は粗悪でした。
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店子さんの安全衛生のためなら喜んで使いますが、
自分のために使うのが怖いのです。
靴1足買うにも、もっと安いの、もっと安いの。と
逆な貪欲状態に陥ってしまいます。
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「我慢しすぎるんだよ!せっかく持ってるんだから、
もっと楽しみなさい、まだ若いうちに」
知り合いのおばちゃんたちはそう言ってくれますが、
親たちみたいな天上人になって、そこから落ちた時に
倍苦しむのを知っているからです。
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それに、天上人は平気で違う価値観や境涯の人を
見下します。赤の他人をいきなり笑い者にしたり。
電車内で携帯ゲームをしていたら目の前に立っていた
お嬢様にジーッと見下ろされたこともあります。
私と目があっても悪びれる様子もなく。
ご友人が私の隣に座っていたので嫌味半分で彼女も
座らせてやりました。笑顔でアイコンタクトして。
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そういう風になりたくないという感情が先行し、
節約したつもりでも「安物買いの銭失い」状態です。
どうすれば、この逆貪りから解放されますか?
時に必要なものも買い渋ってしまう状態になります。
ご意見お待ちしています。
発達障害があるが、他の患者が苦手、健常者さんに負担を強いる障害者が許せない、 医師の悪口を言う僧侶が許せない、選挙で体調崩す、医師を顎で使ったり「薬減らせ」とごねる患者に辟易 #薬は悪くない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
こんにちは
お金を使う行為は投票に似ています。
あなたが良いと思った商品を購入します。デザイン、使い心地、アフターサービスなどを加味して、欲しいものと値段が見合ったと感じたものを買います。
そのお金は、それを作った会社に行きます。良いデザイン、良い使い心地、良いアフターサービスをする会社が生き残り、またそこの社員はたくさんのお給料をもらいます。人気のない商品を作っていた会社は給料が上がらず下手をすれば倒産をします。ね、投票みたいでしょ?気に入った商品に一票、というイメージで支払いをしましょう。
お金を使うことは、経済を循環させることです。あなただけが得をするシステムではありません。是非良いものを買いましょう。
追記。ケチは怒りの煩悩。
お金を使いたくない、つまり使うのが「嫌だ」と思う「ケチ」な気持ち。
これば、貪欲ではなく、怒りの煩悩なのだそうです。
貪欲の煩悩の場合は、楽しい、「もっともっと」が止まらないでしょう。
怒りの煩悩の場合は、嫌だ、嫌いだ、むかつく、悲しい、など感情なのです。
親への怒り、電車で出会ったお嬢様への怒り、お金を使うことへの怒り、過去や未来の自分自身への怒り。
世の中に嫌いな物が多いと、日常生活のストレスが増えますから、しんどいですね。
まぁでも、怒りの煩悩があってもなくても、念仏すれば往生できます。
お金を使っても使わなくても、念仏すれば往生できます。
だから安心してください。
阿弥陀仏の慈悲で安心したうえで、
「怒り(ケチ)の煩悩はストレスを増やす」というお釈迦様の智慧も思い出すようにしてください。
追記
安い物を買えたときに快楽・悦楽(ヤッター!)があり、その快楽を求めて安物を探してしまう場合は、「貪欲」の煩悩でしょうね。
公器の道具ですからね
拝読させて頂きました。
お金はこの世界や社会を支えている便利な道具です。本来は公の道具です。ですから誰が少ないとか多いとかの問題ではないです。
けれどもいつの間にか個人や法人や国の独占になってしまっております。
本当は私達が共に仲良く分かち合い豊かに生きていく為に利用されるものです。
ではどうするか?やはり人が豊かに生きていく為に有効活用することが大切なことです。
つまり生きたお金の使い方が重要になるのですね。
それは目的としては人に投資して人を育てることに使われることが一番ではないでしょうか?
この世界や社会や世の中を支えていくのは担っていくのはやはり人ですからね。
あなたも背負っていく使命を持って生きていらっしゃるのですから自分に対してもしっかりと投資していくことが大事ですし、あなたを支えて下さる方々や会社を支えて下さる方々に投資することも大切ですよね。
仏教の教えも皆さんが健やかに正しく生きていかれる、そして全ての方々が仏様に救われて円満に成仏していく教えです。その為に色々な方法があるのですからね。そのご縁や教えをつないでいく、つまり相続していく為にお金も使われてほしいですね。
どうかお金を有効活用なさり次の世代につながるように利用なさって下さいね。
お金は公器の道具ですからね。
質問者からのお礼
【kousyo Kuuyo Azuma 先生】
ご回答ありがとうございます。人を導くは教なり、教に通ずるはこれ道なり…
祈願寺のお坊さんも、どんなに美しい伝統や教えがあっても、伝える人がいなければ
廃れたのと一緒、とお話しされていました。
私はある意味で幸運の持ち主なのかもしれません。物だけでなく、仏法、念仏まで
相続できたんですから…
【光禪 先生】
ご回答ありがとうございます。なるほど…私だけが得をするだけじゃない。
つまり、よく聞く「金払ってやってんだから!!」じゃないってことですね。
これ欲しい。だけでなく、ここの品物が私の肌に合うからこそ…このサービスで
こちらも元気になるからこそ!という心が欠けていたようです。
鉄道のラストランで宅さんが泣きながら「ありがとう、ありがとう」と叫んでいる
光景を思い出しました。〇〇の品物は絶品だね!と嬉々と語る人もいます。
みんな、楽しそうです。私もそういう小さな幸せ、感謝を見つけようと思います。
【願誉 浄史 先生】
ご回答ありがとうございます。
ケチなだけだったんですね、私は。
逆貪りだと思っていたのは怒りだった…
まずは、もう少し外食に慣れるところから
始めてみようと思います。これでも
肉体労働者なのでしっかり食べないと…
タンパク質が足りてない!とお医者さん
に叱られてしまったのでw
【願誉 浄史 先生へご追伸】
その感覚はないので、おそらく怒りです。
安くて人間、という感じでだったので。