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不安から解き放たれたい

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有り難し有り難し 13

少し前に夫婦関係について相談させてもらいました。
(それを見てもらえるとありがたいです)

あれから主人からは一時期途絶えたことがありましたが、今は毎日LINE(主に雑談)があります。
以前に比べて言葉も柔らかくなり、また、2度ほど会う機会があっていろいろなお話をしました。お互いを気遣い合った本当に仲の良い夫婦の会話だと思います。
彼はわたしが具合が悪くなると「元気になってほしい。」といい、看病しに来てくれます。そして、わたしも彼にたくさんの感謝をします。感謝をすることしか、彼に対してできることがなくてもどかしいです。
こんなやりとりが半年以上続いていますが、別居の解消には至りません。

そんな中、主人がとうとう目指していた試験に合格しました。
しかし、勤務場所は隣県です。居住地からはそれほど遠くない県です。
わたしは居住地のある県で正式採用をされていますが、主人が他県を受けるのであれば、そちらに行く覚悟も出来ていて、それも主人には以前から伝えています。

主人からは「○○県で試験を受けました。事後報告でごめんなさい。そして合格しました。会ったときに言おうと思ったんだけど、言えなくなってしまいました。ごめんなさい。」とLINEで言われました。

ずっとそばで試験勉強をがんばっていた姿や不合格だったときの落胆している様子を見ていたので、涙が出るほど嬉しいです。合格するまでに10年はかかっているので、本人もものすごく安堵でいっぱいだと思います。

しかし、会って言ってもらえなかったこともショックでしたが、これから先の二人の生活のことについて何も言葉がなかったことにもショックでした。

ひとまず「本当におめでとう。本当に嬉しい。」ということは伝えましたが、「今まで言えなくてごめんなさい。」としか返事がありませんでした。
そしてその後、普段通り「今日はこういうことがあったよ」というLINEが来ました。

「わたしたちどうなっちゃうの?どうするの?」と、この先のことを聞くのがとても怖いです。
試験の結果も本当はずっと気になっていたけど彼のペースに合わせて、本人が言ってくるまで待ちました。
だから、彼が言ってくるまで待ちたいと思っています。

主人から最悪な言葉を切り出されるのではないかと思うと怖いです。

この不安から解消されて、ゆったりとした気持ちで主人を受け入れたいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

せつないドラマのヒロインを演じている間にしわが増えていく

そうやって、本人の実物ではない、本人の破片のようなメール言葉ばかりをジグソーパウルのように拾い上げてパズルを完成させても、それは本人ではないもの。完成したころにはあなたもあいてもおじいちゃんおばあちゃん。
慎重になるより、お互いの不仲になったその原因そのものに向き合ってそれを引っ込めることではないでしょうか。
禅宗風に申し上げるならば我を引っ込めるということです。
人間は苦しむのは自我。
我見。
自分を中心としたものの見方なのです。
むしろ世界中の人がこの心に苦しんでいるだけともいえましょう。
だからこそ春秋の彼岸、夏のお盆には施食という自分の我に向き合う象徴儀式でもある施食会を行うのです。
それぐらい人間のエゴや自我はほしがり、したがり、思うとおりにしたがる生き物だからです。
どのみち後悔するならば今のうちに明らかにするべきことを明らかにされたらどうでしょう。
純粋にご主人のチカラになりたいことを伝えればいいのではないでしょうか。
たとえば会社の面接においては働きたい動機を聞かれたとき「御社の云々…」より、「私ははたらきたいのです!」ととストレートに言った方が、会社の社主としても「ん!」と思うところがあるというものです。
あなたが相手に対して距離を置いていたとして、何といえば「ん!」と思うでしょうか。
とにかく低姿勢でわびて、自分の要求など一切持ち出さない態度でなければおそらく相手を信用しないのではないでしょうか。あとはご自分でご自身に向き合ってみてください。
冷たいようですが、たぶん一番大事なのはそこなのではないかと感じました。
あなたが相手にすべきは携帯からくる彼の文字の方ではないんじゃないでしょうか。もう一度、タイトルを読み返して、火をつけてください。自分自身をいたずらに悲しいドラマのヒロインのように落とし込んでしまってはいけません。
さぁ、駅に向かって走るのです!月9のドラマのヒロインのように!!

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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