善と悪について
閲覧ありがとうございます!
インターネットを見て疑問に思う事があり質問をしました。
私が好きな芸能人を検索するとその人の悪口が
書かれている事があります。
ブサイクや遊び人、中には死ね等の書き込みも
ありひどい!と思いました。
そのサイトではそれぞれ書き込む人のアカウントが
あるのでこの人は他にはどんな事を言ってるんだろうと
思い見たところいじめ問題について書き込みがありました。
いじめは良くない、いじめは犯罪と一緒など
言ってる事はわかるのですがその人自身ネットで
芸能人にひどい言葉を書いているんです。
それっていじめじゃないの?と思うのですが
その方はそうは思っていないようです。
1年半ほど前に有名な女性タレントさんが不倫を
し凄まじい量の誹謗中傷がありました。
その女性タレントさんを非難していいのは相手の
奥さんや家族だけじゃない?と思いますが
現実は関係の無い人間もアレコレ言いますよね。
でもいじめ問題についてはみんな口を揃え
いじめの無い世界へ、
私はいじめをした事が無い
(でもネットでは色々言ってる)、
いじめも差別も良くない、
と言います。
いじめを受け引きこもりになった方が逆にネットで
誰かを傷付ける言葉を書いてたりもします。
世の中には許されるいじめと許されないいじめが
あるのでしょうか?
みんな都合が良すぎるよと思ってしまいます。
誰しも善と悪の両面を持っていると思うのですが
自分の悪の部分に気付かない人が多いのは
なぜでしょうか?
言葉にするのが難しく読みづらい質問で
申し訳ありません。
お言葉をお待ちしてます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分と向き合う
お釈迦さまはこうおっしゃりました。
>戦場の象が無数に突き刺さった矢を耐え忍ぶように
私は人のそしりを忍びましょう
世の人々は戒(いましめ)をもたないのものなのですから
悪口とは言った人の悪心から出るものです。なぜ悪心が悪口になるか?それを止める戒が無いからです。
不悪口(ふあっく)、不自讃毀他戒(ふじさんきたかい:自分を讃え他人をそしることをしない)、不説過戒(ふせっかかい:他人の過ちをあげつらわない)。
馬の調教師がよく馬を調教するように、私たちはよくよく自分の言葉を調えねばなりません。
なぜ調えないといけないか?苦の螺旋をもう一回りさせるだけだから。善くも悪くも他人に向けた言葉が同時に自分に突き刺さり、蓄積して人格や人生を築き上げていくから。
自分が発した言葉は他人事じゃないんです。
そんなお釈迦さまの教えを知る人が増えたら、きっと世の中は住みやすくなるでしょう。
それから、他人の悪口を止めることは難しいです。特に不特定多数の人による悪口を止めるのは無理です。他人を変えることは出来ません。そうした時に、悪口から物理的に離れるということも大切です。お坊さんは修行道場にある程度の期間こもって自分と向き合う修行をします。なぜ道場にこもるか?世間と物理的にほどほどの距離を保つためです。それと同じです。
芸能人の方々は「ネットの評価は絶対に見るな」を合言葉にしていらっしゃいます。例外の人もいるでしょうけど、当の本人が見ない努力をしているのに、周りの人が議論を加熱させて目立たせるのはかえって足を引っ張る行為です。
『相手にしない』『そっとしておく』それもまた1つの優しさの形です。
質問者からのお礼
大慈 様
お忙しい中ありがとうございました!
「私たちはよくよく自分の言葉を調えねばなりません。
なぜ調えないといけないか?苦の螺旋をもう一回りさせるだけだから。善くも悪くも他人に向けた言葉が同時に自分に突き刺さり、蓄積して人格や人生を築き上げていくから。 」
とても考えさせられる言葉でした。
どんなに誰かを傷付けないか言葉を吟味しても
誰かを傷付けてしまう事もありますが、
それでも相手への思いやりを持って生きて
いきます。
綺麗事かもしれませんが傷付け合う世界が
いつか変わったら良いなと思います。