高校選択の後悔について
高校受験の際、私は選ぶ高校のランクを一つ落としました。
選ばなかった高校は地元では進学校と呼ばれていて、受験した高校はそうではありません。
先生からは「一つ上のランクの高校でも受かる」とアドバイスを貰いましたが、
当時の私は何事にも自信がなく、
「不合格になりたくない」
その1点だけで高校を選択しました。入試の出来は良かったので、恐らくランクをあげても受かったと思います。
高校卒業後、専門学校入学卒業を経て、資格を取得し就職。
そこで主人と出会い、結婚退職をし、子宝にも恵まれました。
そんな中、主婦業に専念していたある日突然、当時の選択に対する後悔の念に苛まれるようになったのです。
専門学校から先の人生は何も後悔しておらず、上のランクの高校を選んだからと言って大学に行きたかった訳ではありません。
ただ「あの高校を卒業したんだ」という肩書きが欲しいだけなんだと思います。
就職して仕事をさせていただくうちに、「何も出来ない」と思っていた自分にも求められる場所があり、評価も得られる。
そこで自分にも自信が付いてきました。
今の自分なら迷わず高いレベルに挑戦し学歴を得ている可能性が高いのに、あの時の自信の無さから出した決断を顧みると悔しさが込み上げてくるのです。
高校選択してから10数年…こんな思いを抱いたことはないので、専業主婦をしていて考える時間が増えてしまったからそんな考えになるんだ、とも思っています。
なので、子供がもう少し大きくなったら資格を活かして再就職し、余計なことを考える思考を仕事や家庭に注ぎたいと考えています。
今がとても幸せなのに、たかが進学高校卒の肩書きなんかで悩むのも贅沢だと分かっているのですが、その思いに支配されているのも事実で辛いのが正直なところです。
こんなどうしようもない感情を乗り越えるために、お坊さんの考えをお伺いしたいです。ご指南お願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
こんにちは。
仏教的ではなく、私の実体験のお話になりますが..
私は高校受験の時に、希望した高校が不合格となり、併願していた高校に入学しました。
入った高校は、中学からの友達も少なく、また同じクラスの人のほとんどが志望校に不合格となった人たちで、精神的に荒れた人たちが多かったです。
私も高校の不合格で落ち込んでしまい、高校時代はほとんど勉強をしませんでした。それでも学校の先生達は熱心に親切に勉強を教えてくれました。今思うと頭が下がります。
私は高校に失敗した事で、その後、なんとなく、負け人生を送ってきたような気がしています。が、実は、高校でも良い友人に巡り会い、大学でもかけがえのない友人と出会うことができました。
それでも、やっぱり高校は、志望校に行きたかったなぁ...という気持ちは消えませんでした。
私には息子がいるのですが、息子には私のような思いをさせたくないと、少し頑張らせて希望の高校に入ることができました。私の当時の志望校とは違いましたがリベンジは果たせた気持ちになりました。
ところが、です。息子は現在、学校の授業についていくのがとても大変な様子です。私が送った高校生活は、落ち込んでイヤイヤ通っていたはずなのに、授業の進め方や先生の質など、「なんだ私はあの高校で良かったんだ。今思えば楽しかったなぁ。恵まれていたなぁ」と心から思えるようになりました。私は息子の高校進学を経て、ようやく30年間の呪縛から離れることができました。
時間を巻き戻してやり直すことはできませんが、きっと巻き戻しても同じです。当時のあなたと同じ選択をする事になると思います。また、希望の高校に入ったら入ったで、それで万事よかったとはならないと思います。
こんなで参考になるかなぁ?でも今が幸せと言うことは、今まで歩んできた道に誤りはなかったんだと思いますよ。
質問者からのお礼
光禪様、ありがとうございました。
たしかに私の勉強の意欲は高校受験までで、高校入学してからというもの、勉強のやる気は皆無でした。これで進学校に行っていれば大変なことになっていたかも知れません。そして、バタフライ効果で今の幸せは手に入っていなかったかもしれません。息子さんも一生懸命頑張られたのですね。
こみ上げるものがありました。今の幸せに感謝し、生きていきたいと思います。
お忙しい中、回答ありがとうございました。