自分を受け入れるためにできることはありますか
幼い頃に繰り返し親から人格否定をされ虐待を受けていました。
そのせいか、周囲からどんなに褒められてどんなに高く評価してもらえても自信を持てません。
どこに行っても美人だと言ってもらえるのに、自分の容姿がひどく醜く見えて家から出られなくなることがあります。
自分なんかが誰かに愛されるわけがないと思ってしまいます。
自信を持ちたいです。
完璧じゃなくても大丈夫だと思いたいです。
自信を持つためにできることはありますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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出会いを求めて
ご相談拝読しました。
幼少期の生育環境が後に与える影響は本当に大きいものがありますね。親から無条件に肯定され、愛されたた経験というのは安定した自己肯定感の形成に重要なものなのでしょう。
しかしながら私たちは親や生まれてくる環境を選べませんよね。過酷な環境に生まれたらそれで終わり…なんてことではなく、どんなご縁をいただいたとしても、本人が現実を乗り越えて、全ての人が幸せに生きられることを願っています。
さて、そのためにもユウさんは「自分を受け入れること」「自信を持つこと」が重要だと考えておられるのですね。それはもっともだと思います。そのためにどうしたらいいか一生懸命「考えて」おられる。
では、安定した養育環境を経て、自己肯定感を保持している人たちが「自分を受け入れよう」とか「自信を持とう」と「考えて」いるかというとそうではない気が致します。
おそらく、考えずとも自然にそうなっているのでしょうね。
どうやらここにポイントがありそうです。
「考え」「思い」「思考」と「事実」「自然-ありのまま-」の違いです。
ユウさんは「自分の容姿がひどく醜く見えて」と「思って」いますね。そして「自分なんかが誰かに愛されるわけがないと思って」いますね。
でも事実はどうでしょう。多くの人は美人だとユウさんを褒めていますし、きっとユウさんを愛する人もこれから現れることでしょう。そうではないと決めているのは事実ではなく自分の「思い」です。
「思い」によって自分を傷つけてしまうのであれば、「事実」の方にこれからは目を向けていきましょう。
「自分を受け入れられないという自分」が「自分を受け入れようとする自分」を頑張ってみてもそれは思考の遊びかもしれません。受け入れられようがられまいが、事実としては自分は自分なのです。
そのままで自分です。そこに自信が持てなくとも自信をもてない自分もまた自分です。今・ここの自分がそのまま自分。誰かに認められる必要もなく、価値づけられる必要もなくそのままで尊いのです。
ユウさんがここにいることをありがとうと祝福します。有り難いご縁がととのって今・ここにいます。
是非とも、これからは誰かを愛してみてください。そのままの自分でこれからは愛し愛されるご縁を求めてみましょう。完璧じゃないからこそ人は支え合うのです。
出会いの事実は思考を破っていきます。
心から応援させて頂きます
拝読させて頂きました。
あなたが存在していることは様々なご縁の中で生まれたことです。それはそのまま尊いことなのです。
あなた自身がご自分を素直にありのまま受け入れていくことが何よりの自信になると思います。
私達は不思議なめぐり合わせの中で今存在できています。
そして有難いご縁を頂いているのです。
同時に私達は皆共に未熟な存在です。ですから共に助け合いながら生きていくのです。
これからあなたには様々な素晴らしい出会いがあり、大切な出来事があなたに訪れる事でしょう。その中であなたはこれからもどんどん人として成長なさっていかれます。
あなたがこれから素晴らしいご縁に恵まれて、心から豊かに充実した未来が訪れます様心からお祈りしておりますね。
様々な出会いや経験その中で自ずと自信は湧いて参ります。どうかご安心なさってこれから歩んでいって下さいね。
あなたを心から応援させて頂きます。