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本当の母はいますか

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実母に精神的に虐げられながら育ちました。

父はいつも忙しく、いたとしても母の言うことしか信じず、守ってくれる大人がいませんでした。

母は私に愛情を感じなかったらしく、することなすこと否定するばかりで、この人は継母で、本当のお母さんは別にいるのだと幼心に思っていました。

母に認められたい一心で、なんでも頑張ってきましたが、認めてくれることは一生なさそうです。

自分で自分の頑張りを認められず、自分を肯定できません。

あなたはそれでいいのよ、と言ってくれる存在が欲しいと常に願ってしまいます。

心の母を求めて苦しんでしまいますが、本当のお母さんは、どこかにいて、会えるのでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

母を求める心が強くなればなるほど 苦しみは深くなる

まめさん

本当に苦しかったと思います。

まめさんが母に認められたいと思い
自分を肯定できないのは

ご自身でも感じているように
母親から愛情を受けなかったからだと思います。

子どもは親に
無条件に愛されることを通して
自分の存在に安心出来るのではないかと思います。

愛されるために
認められるために頑張っているとしたら

それは不安に駆られているのです。

そして頑張っても認められないため
自分を肯定出来なくなります。

母を求める心が強くなればなるほど
あなたの苦しみは深くなるのではないでしょうか。

母親があなたを愛していようと、なかろうと
あなたは生まれながらに尊いのです。

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おきもち

あなたはそのままで良いのよ、あなたはそれで良いのよ、あなたは愛されているのよ、あなたはそのままで良いの。ありのままのあなたで良いのよ。あなたはあなたのままで良い、あなたが大事、あなたが大好き、仏さまがそう言っています。

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おきもち

僕はウイキペディアでは以下のように紹介されています。 「日本、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ、オセアニア、中東、タイ、バングラデシュで活動する指圧師、作家、音楽家。タオサンガ・インターナショナル代表。京都浄土宗和田寺の僧侶。タオ療法、タオ指圧、気心道の創始者。著書は数カ国語に翻訳され世界各地で出版されている。」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A0%E8%97%A4%E5%96%A8%E5%8F%8A が実は、元家出少年です。ティーンエイジャーの頃は、徹底的に自己破壊的な行動を繰り返し、高校も2つ中退しています。現在は、浄土宗和田寺の住職で、一般の人が気軽に修行できる場として、京都と東京に道場を作りました。(道場はその他、世界各地にもあります) なので、修行したい方、人のために涙する方、楽しいことが好きな方はぜひ来て来てください。あなたを歓迎します。 ※毎週、法話を配信しています。書き起こされた法話は、下記でご覧いただくことができます。 http://taosangha.com

母性を 産みだす為に 母を赦すのです

あなたのお母さんもきっと愛されたかった❝誰か❞から愛されずに生きてきたのでしょう。
日本は戦争という大変な苦難を乗り越えてきましたが、戦争が奪ったもの一つとして、家族の中の愛情があります。
私たちの親子関係や家庭内の愛情の在り方は、三代前、四代前から始まっているのです。
負の連鎖はあなたの代で断ち切る他ありません。
その為には、親の不完全を肯定して差し上げることです。
私どもも不完全。
誰もがみんな不完全という完全なる存在。
完全ながらに不完全で、不完全ながらにそれが完全。
それを認めることがあなたの母性、慈悲を生み出す機縁となるのです。
母性や人を愛する心は、自分で生み出せるものです。
また、今までかけていたからこそ、至る所に、些細な事にもあなたは母性を感じられるのです。それも功徳だと思ってお母さんを赦して上げてください。
あなたがお母さんの人生の不幸を憐れんであげることが、あなたの慈悲心と母性を養うのです。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

母を、赦せず苦しくて悔し泣きすることもあり、また時には、母も今まで孤独で、寂しいのだろう、とかわいそうになることもあります。

ずっと、生きづらいのは自分が悪いからだ、と言われ続けてきて(←悪いことはなにもしていませんが)、40手前で育てられ方がおかしかったのだと、子供を育てながら気づきました。

戦争。そうですね。戦時中、もしくは戦後に生まれた両親。今のように平和ではなかった時代、心も殺伐として育てられたのかもしれませんね。

今は、感情に激しい波があり、赦せるときと、赦せないときがありますが、いつかすっきりと赦せる日がくることを望みます。

ありがとうございました。苦しいときは、いただいたお言葉を読み返そうと思います。

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