長男の存在
長男が生まれた時、私はこの世で初めてこんなにも愛しくてとても大切に思う存在ができたのだと思いました。何があっても私が守らなくてはと必死に育ててきました。
長男が大切なあまり長男の身に何かあるともし死んでしまったらどうしようという恐怖に襲われ仕事中の主人に何度も電話をかけたりあちこち病院に連れて行ったり、常にピリピリと神経を尖らせていました。今思えば育児ノイローゼだったと思います。
そして長男が4歳の時に次男が生まれました。妊娠中は長男の事がこんなに好き過ぎてこれから生まれてくる次男を同等に愛せるのか不安で仕方ありませんでした。
でもいざ次男が生まれると一転この小さな命を守らなくてはという気持ちが大きくなりそれからの私は親猫の様に次男に害を加えそうな者を近寄らせないようになっていました。長男もその一人でした。今思えばなんて可哀想な事をしたのだろうと後悔していますがあの時の私にはそうする事しかできませんでした
それからは母子分離ができず苦労しました。母親の愛情不足だと言われました。でも余裕が無く長男と二人の時間を作る事ができませんでした。登校渋りや家で汚い言葉を使ったり、癇癪を起こしたり新たな問題が出て来て私の育て方が悪かったのだと反省し、ペアレントトレーニングに通っています。
ペアトレで習った事や市の子育て相談の方のアドバイスを長男との関わりで実践している日々です。ペアトレの成果はある程度出ました。ほめる事が増え怒鳴る事は減りました。でも私の代わりに夫や義父が怒鳴るようになりました。なので長男も人を選んでわがままをぶつけるようになりました。全て私です
嫌なループが起こっていると思った時にふと気づいてしまいました。私も家族も心から長男の事を愛していない、問題を解決したいだけ、私は他人がくれた術でしか長男と接していない。
普段の会話も頭をフル回転して、こういう時はこう返した方がいいのかなと引き出しを探り私の意見ではなく教わった知識でしか長男に答えなくなっていました
なので長男と普通の会話ができません。どんな風に話していいか分かりません。苦手な人と話している感覚になってしまいます
私は長男を愛せていません。長男は私の悩みの種です。悩んで体を壊す事も何度もあるので時々面倒と感じてしまいます
私は親になるべきではなかった。長男の前から姿を消したほうが長男は幸せになれますか
お坊さんからの回答 1件
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大丈夫。あなたは、最高の親ですよ。
子育てって、難しいですね。
私も同じ、子育てに悩む母ですよ。
「愛する」って、どういうことだと思いますか。
大切にする。可愛がる。愛情を注ぐ。慈しむ。
私の想いで、相手を愛するということ。それは、ときには、暴走するのです。「子煩悩」って言うでしょ〜子どものことを一番に考え 大事に大事に 愛し育てる 理想的な親!みたいに聞こえるけれど、子どものことになると見境なく、我を忘れて 愛という感情をぶつける鬼(煩悩)になってしまうということです。
それは、誰が望んでいるの? 子ども本人? それとも、良き親となりたい 私?
「子煩悩」、愛しているという言葉を言い訳に、恐ろしい親鬼になってしまってはいないか。。。私は常に、自分に問うています。
私の子ども だけれど、私じゃない。
子どもには、子どもの人格、生き方があります。
「愛する」ってことは、その人を 信じて認める、見守り 共に生きるってことでもあるんじゃないかしら。
子育てには、答えはありません。
みんな違う子育てがあっていい。
子どもさんの行動を、まるごと、受け止められたら。あなたも、もっと、軽くなるんじゃないかしら。
あんなにも可愛かった 長男さん。
彼は、あのときと同じですよ。
あなたが、変わらず側で、親でいること。
それが、これからの彼を支え続けます。
大丈夫。あなたは、最高の親ですよ。
子育てに行き詰まったら、笑って。子どもさんを抱きしめよう。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。お礼のコメントが遅くなってしまい申し訳ありませんでした。
「子煩悩」この言葉になるほどなという気持ちになりました。私の子供に対して心配しすぎる気持ちと、夫が長男を怒鳴ってなんとかしようとする行動はこの子煩悩というものから来ているのだと思いました。ちゃんと根底には愛する気持ちがあったのですね。でもその気持ちが暴走している、まさしくその通りだと思いました。気づかせてもらえて救われました。お母さんを続けていこうと思いました。子供達を変わらず側で見守っていこうと思います。ありがとうございました。