老後の不安がぬぐえません。
これってつまるところ自分が「いつまで生きるかわからない」という所から来る不安ではないか、と思います。
しかし私は死と向かい合えるほど強くありません。いつ死ぬかわからないからこそ生きていられるというところがあると思います。
それはそうなのですが死ぬまでに(お金が)いくらかかるかわからない。生きているうちにすっかり預貯金を使い果たすのではないかという言ってみれば「餓死」のイメージから来る不安があるのです。
ではそれほど金欠なのかというとそうでもありません。
預貯金は同世代と比較すれば多い方だと思いますし、好きとまでは言いませんが仕事も体が続く限りは続けようと考えています。
現在バイト生活で収入はそれほど多くありませんがそれでも日々の生活に貯金を取り崩すといった事態には至っておりません。
しかしこの漠然とした不安が消えないのです。
ひょっとして「もっともっと」の餓鬼道に落ちてしまっているのでしょうか。
強い不安ではありませんがこういう心配から解放され、楽しい生活を送りたいです。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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見えないけれど確かな道。 この機縁に仏法を聞いてみませんか。
そうですよね。。。先の不安、ありますよね。。。誰だって、まだ見ぬ未来がわからないのだから。
おっしゃるように、人間には、欲があります。貪欲は、得ても得ても 不安になり、もっともっとと 貪る欲。これでいいっていう納得が、人間には難しい。先が不安だと、余計にです。蓄えておきたい、誰だって考えるでしょう。その心には、キリがありませんね。
先の不安が、今を不安にさせる。
立っているのは、今 なのにね。
私も、この不安は消えないでしょう。
ただ、阿弥陀さまが「われにわかせよ。必ず救う。」その願い、よび声に、そのまま、おまかせする生き方を選びました。今が、あたたかく、安心出来るのです。南無阿弥陀仏と。
私は、そうして、お念仏の道を歩んでいます。
見えないけれど、確かな道。
この機縁に仏法を聞いてみませんか。
追伸。
他力でなければならない というより、確かな道はそれしかないなぁ、という感じでしょうかねぇ。大きく頷けるんです。
ご興味があれば、直接 メールででも。また、ゆっくり話をしましょう。(*´∀`*)ノ
質問者からのお礼
教善寺 中田 三恵様 御傾聴いただきどうもありがとうございます。
お礼のコメ遅くなりまして申し訳ありません。
阿弥陀様にお任せされることで御安心を得られた由、誠に重畳に存じます。
私の我流の解釈ですが他力の本願につきましては「他力でもいいよ」ではなく「他力でなければならぬ」という考え方だと思っております。
それはそれで大変厳しいのではないかなどと思ってしまいます。
一切自力を恃まず完全に他力に委ねるなどということが果たしてできるものなのでしょうか。
私の在所はありがたいことに考える時間だけは「売るほど」有ります。
仕事に追われていた頃には考えられなかった贅沢でもあります。
ご相談申し上げた不安も他に気にしていることがあったら浮かびもしない悩みなのかもしれませんし。
親身のご助言に感謝申し上げます。