老いを受け入れられない回答受付中
2年程前に体調不良で相談させていただいておりました。
その後も体調不良だらけですが、何とかここまで生きて
これました。
しかし最近顕著に目が見えにくくなってきており、検査
したところ老眼が始まっているのではないか?とのこと。
これにはかなりショックでしたが、腰が痛くなってきたり
肩首のコリが取れにくくなってきたり、と明らかに前の
体調不良とは違ったものが体に降りかかってきているよう
に思います。
これが老いというものなのでしょうか?
正直認めたくない!という心で何故かいっぱいです。
自分でもどうしてこんな気持ちなのか分かりません。
頭では分かっているはずなのですが、どうしてこんな
に認めたくない、という心が生まれるのでしょうか。
また、どういう心持ちで生きていけばいいのでしょうか。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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私もそう思います
拝読させて頂きました。
あなたがここ2年ほど体調不良で苦しんでおられること、これが老いということなのかと不安に思っておられることを読ませて頂きました。あなたのそのお気持ち心より受け止めさせて頂きます。
あなたがおっしゃるように老いもあるでしょうし、病もあると思います。そう思うとしんどくなってしまってなかなか受け入れられないですよね。あなたがそう思うのももっともかと思います。
私も最近自分が老いてきたことをとても実感します。いろんな病気になりやすくなったり、腰が痛くなってなかなか治らなかったり、今までできたことが息切れしてできなくなってしまったり、いろんなことを継続するのが正直辛くなってきています。
ある意味これが生きるということなのかと思っていますが、なかなか「はい、そうだ」とは受け入れられないというか、納得できない自分もいますからね。
いくつもの病院通いや毎日薬を飲み続けていくのもとても辛いですし、そう思いと生きることもしんどくなってしまう様に感じます。
であるならば、その老いをどう考えていけばいいのか、これからどう受け止めていけばいいのかとあれこれ考えてしまうと思います。
おそらくなかなか自分なりの答えはそう簡単には出てこないと思います。
仏教では「生老病死」はつきものだと説いています。ものごとは「諸行無常」ですからね。常に移り変わっていくものです。
ですが自分のこととなるとなかなか納得いかないものです。
ただ毎日毎日は過ぎていきますし、一瞬一瞬は淡々と流れていくのです。「光陰矢の如し」「少年老い易く学成り難し」です。
今日はもう春のお彼岸に入りました。そして沢山の花々が咲き始めました、ウチの近所にはもう早咲きの桜が満開を迎えています。明日にはあたたかな春の光が降り注いでいるでしょう。
きっとあなたにも春の日差しが降り注ぎ、沢山の花々があなたに微笑みかけて下さるでしょう。
あなたがこれからも日々健やかに生きることできます様に、多くのご縁の中で心から豊かにおおらかにあなたの人生を生き抜いていくことできますように切に神仏やあなたのご先祖様に祈っております。そしてあなたを心より応援させ頂きます。至心合掌
質問者からのお礼
ご返信いただいてありがとうございました。
諸行無常、常に物事は移り変わっていく故に自分の事で納得いかない
とはいえそれを見つめながら生きていくしかない、ということで良い
でしょうか?
そうだとすると生きるということは残酷だな、と思ってしまいました。
受け入れがたいですが、それでも生きていくしかないですね。