老いること
先日50才になりました。歳を重ねる事は素晴らしい事だ。と考えている私です。子供も成長し寂しくなり体も不調が出てきて不安ですが、気持ちを切り替え「歳を重ねる事は恥かしくもなく素晴らしい事」と考えるようにしようと思っていました。
先程、父親(81才)と話しをしていたら「今月の連休にでも遊びに行こうかなあと思ってる。これが最後だと考えて行く。」と。この一言で私凄く心が寂しくなりました。悲しくなりました。50才にもなってお恥ずかしいですが泣きそうになるくらい寂しくなりました。当たり前の事なんです。母も脳梗塞になり早4年。運良く早期発見だったので後遺症もなく元気です。が年齢も年齢他の病気にもかかり私の家まで来るのは年老いた2人にしたら大変でしょう。分かるのですが、「これが最後」との言葉が…それと同時に年老いていく悲しさ。私は素晴らしい事と考えていましたが自分の事ではなくなると、年老いていく事の寂しさ悲しさ。人間歳をとることは一体どういう事?耳も聞こえなくなる。足腰も弱くなる。体は衰えていく。これの何処が素晴らしいの?悲しくないの?分からなくなってきました。寿命があるのは分かるんですよ。でも年老いる意味を教えてほしいです。よろしくお願いします。
お坊さんからの回答 1件
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苦しみとの向き合い方
生まれたら必ず死ぬ。世の中は無常です。元気な時を知っているとその時と比較して今はこれができない、あれができないと、ネガティブなことばかり考えることになります。
事実に良し悪しはありません。好き嫌いも、損得もないのです。しかし、人は自分の都合というフィルター越しに物事を見てしまう癖があります。だから、生まれることはいいこと、死ぬることは悲しいことと決めつけてしまうところがあるのです。
どちらも事実としてそうあるということです。
良寛禅師さまは「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法にて候」とおっしゃられたそうです。
幸せに過ごすポイントは、自分の都合は置いといて、事実を事実のまま受け入れている自身の有り様に生きることです。ご両親と会えるときは会えたように、会っていない、今は今の様子に生きる。目の前の様子にただなり切って生きることが大切です。無邪気な子供は、目の前の様子に生きています。後先なんて考えていません。環境に順応して生きる力があるのです。
大人はそうしたかつての自分の様子に学ぶのです。
ご両親のこと大切にしてあげてください。いつかお別れが来るのは間違えないのですから。悔いの残らないように、喜ばせてあげてくださいね、
質問者からのお礼
ありがとうございました。中々私には難しいようです。でも難しいからこその人生なんだと思いました。
勉強させていただきます。ありがとうございました。