老いること衰えることが怖くて生きたくない
私の長所は努力できることです。
昨日より今日、今日より明日、良い自分になりたくて様々な面で努力してきました。勉強も仕事も美容も、目標を設定し、達成するまでの方法を考え、いくつもの目標を達成してきました。
目標に向かって努力する自分が好きですし、達成感は人生の喜びでした。
しかし、40代になってからうまくいきません。脳や体、肌や髪の毛などがどんどん衰えてきます。仕事はデスクワークですが、目や脳の衰えから以前より効率が落ちてきました。気力もどんどんなくなり、何をしても疲れやすくつまらないです。
やりたいことはやってきましたし、目標や夢もかなったので、今現在やりたいことが特にありません。
そしてこれから脳や体がどんどん衰え、がんばることもできない、努力によって磨いてきた女性としての美しさも失われていくことにむなしさを感じています。
肌がしわしわになり、白髪になり、髪もぱさぱさになり、記憶力も体力もどんどん衰えていく。
「昨日より今日、今日より明日、良い自分になりたくて様々な面で努力」することが楽しかった私には苦痛の日々です。今まで楽しかったことや達成感を得たことがたくさんありました。そんな楽しい日々はもう来ないでしょう。
はっきり言って、老いることでよくなることは本当に少ない気がしています。どんどんダメになるくらいなら人生終わった方がましです。
これからどんどん衰えていく自分をどうとらえ、何を目指して生きていけばいいでしょうか。自分勝手な悩みではありますが、日々真剣に悩んでいますので、助言をいただければ幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大切な方々が、生きたかったであろう今日を、私は与えられている
私もアラフィフだから、今まさに実感しています。若い頃に戻れるならねぇ…今をキープでもいい…
そう望みながらも、それは不自然なことなのでしょうね。
避けられないし、受け入れていかねばなりません。それがこの世です。当たり前に手に入れていたもの、身についていたものは、変化し、手放していかなければならないでしょう。
体力も若さも健康も、老いるとはそういうこと。
どんな人もいますからね。お金をかけて美を保つ人だって、いいんじゃないかしら。しがみついてでも〜それも人間らしさなのかもね。それでも限界はあるものです。
私も毎日もがいていますけれどね。でも、嘆くばかりの自分にはなりたくないとも思っています。
これから先、どんな自分が待っているのだろうかと思うと、楽しみでもあるのですよ。どうせ歳を重ねるなら、抵抗をするよりも、先に歩いてくださっている方々から多くを学んでいきたい。老いも病も死も、通るのです。それならば、今の一瞬一瞬を大切に生きたいと思っています。
新しいこと、目標ばかりでなくても、今あるもの大切にしていきたい。あの頃は若く背伸びをしていたなと、今まで学んできた資料を読み返したりしています。人生を振り返り、老いを実感出来るまで生きてこられたことにも、網目のような縁に恵まれたからだろうと感謝しています。
大切な方々が、生きたかったであろう今日を、私は与えられている。そう思うと、今を受け入れていけるのですよ。
どのように伝えるのでしょうか
めんも 様 相談ありがとうございます。
あなたは努力家で、精進もできる。達成感を得て、その喜びも知っている。
素晴らしいことです。
老いるということは衰えるということだけではなく
経験が増えているとも言えます。
あなたのその努力して得た経験と達成感を、、
他人に伝えるとしたら、あなたはどのように伝えるのでしょうか?
あるいは、経験が増えた分、好き得意を活かして、これから何ができるでしょうか?
たとえ肉体が衰えても、精神が研ぎ澄まされることもあるでしょう。
衰えるといろんな部分で諦めて自分の欲が減り、自他ともに平等に観れるような視野が広がるということも可能かと思います。
新たな一歩、これまでと違うアイデンティティを築く人もいます。
人生二毛作と思って、これまでと全く違う仕事をした人もいます。
つまり、可能性は無限大にあるということです。
自分なりに見定めて、生ききってください。
参考にしてください
一礼
追伸:お礼メッセージありがとうございました。この度のご縁に感謝申し上げます。再礼
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました。
今までのこと、これからできることを考えてみたいと思います。
仏教にも興味が出てきましたので、学んでみようと思います。
大変参考になりました。
ご回答いただいたご縁も大切にして、これからも精進していきたいと思います。