老人が死ぬほど嫌いです。 タイトルのとおりです。老人が死ぬほど嫌いなのですが、おかしいでしょうか? 医療従事者ですが、老人が嫌いです。なんで嫌いなのに医療従事者になったの?とよく言われますが、就職氷河期で手に職をつけたかったからという理由しかありません。というよりも、働き出してたら老人が嫌いになりました。 あいつら、なんであんなにエラそうなのでしょうか?長く生きていることがそんなにエラいのですか? 「糖尿病で目が見えんのじゃ」とか「足が痛いから介助してくれ」と言ってくる老人もいます。これまでの不摂生が祟ったのじゃないですか?自業自得なんじゃないですか?と言ってやりたくなります。 なんで生産性のない奴らを生かすために多額の税金が投入されているのか、怒りを覚えます。 「あなたもいずれ老人になるのだから」と言われますが、人様の世話にならないよう、健康や食事には気をつけています。それでも自分ひとりの力ではどうにもならなくなった時は、もうそれまでかなと考えています。 こんな考えはおかしいのでしょうか?
今私は、夢もあって若いのですが、自分がお年寄りになったときというのが全く想像がつきません。 でも、もしその時が来たら自分のおばあちゃんみたいな感じになりたいです。 ですが、不安もあります。 人生、若い時のほうが成長できるし、夢もあって楽しいと思います。 年を取ると、経験の分だけいろいろなことが分かるようになると思います。だけど、若い人たちとは、時代が違うので通じにくい部分も出てくると思います 友達とかもなくなったりして、さみしいなと思います。 介護されながらも祖父は長生きしましたが、やはり今思うと寂しかったかなと思います。無口な人でしたが、もっと話をしたかったと後悔してます。 年配の方の気持ちを考えたときに、介護とかはされたくないものだと思います。できれば老人ホームもデイサービスも行きたくないのではと思います 年配の女性と話した時に、デイサービスの入浴が嫌だと言っていました。その方は元気なで畑もやっている方です。塗り絵を退屈そうにしてました。 私は祖父母の介護に携わってはいなかったのですが、やはりいないと寂しいです でも自分がそうなったときには家族に迷惑をかけていると思ってしまうと思います。 年を取るって、総合的にみてもさみしいなあって思ってしまいました。 人生って何なんだろうって思いました。 中学のころの親友は別人みたいになってしまうし、会ってもあの頃のように楽しくないです 人生を通して変わらないものって何だろうと思いました 自分も変わったのかもしれません。 別れがあるから余計にさみしいです 誰もいなくなってほしくないです、変わってほしくないと思ってしまいます
9月末から初めての一人暮らしを始めました。 20代後半になって情けない話ですが、すごく寂しく毎日泣いています。 実家はすごく田舎で、家族5人と犬2匹、猫2匹他数匹で賑やかに暮らしていました。喧嘩もしますが、家族が大好きです。 1人の時間、「父や母、ペットたちが明日死んでしまうかもしれない」 とどうしようもなく不安になり、家を出てしまったことを悔やんだり 「どうせ死ぬのにどうして産まれてきたんだ」というようなことを考えこんだりしてしまいます。 両親にもすごく心配をかけてしまっています。それがまた申し訳なく、そしてありがたくて涙がでます。 世の中には、一人暮らしをしている人も沢山いるし、もっと大変な思いをしている人もいます。 こんな自分が情けなく、嫌になります。 つらい気持ちを忘れ、頑張るにはどうしたらいいですか? まとまりのない質問ですみません、なにか穏やかに過ごせるようなお言葉をいただけると嬉しいです。
こんにちは。こちらは私の知的好奇心からの質問になります。少しSFチックになってしまうのですが、このような疑問を他にどこでぶつけていいかわからず、ここに投稿させて頂きました。 近代、人類は科学技術を大幅に発展させています。近未来の人類には、「不老不死」の可能性があると考えられます。 ある研究では、若いマウスの細胞を老いたマウスのものと接続したところ、老マウスの体に一定の若返りが見られたとの結果が出たそうです。 また、AI技術の発達により、故人の人格を「再出現」させる実験も一定の成功を収めたように思います。例えば、AI手塚治虫が描く新作漫画や、AIレンブラントが描く新作油画が発表されました。 私はその道に明るくないので確かなことは言えないのですが、今後の人類の未来に「不老不死」の選択肢が出現することは大いに考えられるものだと思います。細胞技術で、老いない体を手に入れるかも知れませんし、AIに自分の人格を託して、機械の体で生き延びるかも知れません。 そこで疑問に思うのが、「お釈迦様の説かれた老苦・死苦は未来人にも通用するのか」ということです。四苦八苦というと、お釈迦様が定義された、人間誰しも被る苦しみのように思います。 しかし、「老」と「死」に大変革がもたらされつつある今、老苦・死苦の未来についてhasunohaのお坊様方は思うところはお有りでしょうか? 未来人に老苦・死苦を免れる可能性はあるのでしょうか。それとも、お釈迦様の説かれた普遍の真理の通り、いつの時代でも人間は老苦・死苦からは逃れられないのでしょうか。 (誤解などありましたら未熟な私をお許し下さい。)
80代後半になる実母、義母共に療養型の病院に入院しております。 実父は2年程前に他界いたしました。 まだまだ、親の介護などに頑張らなくてはならない年齢なのですが、意思の疎通もままならず、1人では立ち上がることもできない両母の様子や、介護をめぐる親族とのいざこざに気持ちが萎えて、行きます。 60代の私達の世代では、老後を楽しく、自分の力で対処するのが良い(又は当然)という考えが盛んに言われますが、経済健康に恵まれた場合にしか可能ではないように思います。 因果という考えを、hasunohaの問答を読んで知りました。 過去に自分の行った事、行わなかった事のみならず、縁に繋がる人達やご先祖様の様々な事情や考えも因果に含まれるのだと私なりに納得、受け入れなくてはと思うのですが、、、、 親の老後、自分達の老後と、見通しのたたないことばかりに思え、因果を受け入れようと考えても不安や焦燥感がわき上がって来ます。 私の因果の捉え方に、至らぬ部分や間違いがあるのでしょうか? 又、不安や孤独感焦燥感などと折り合いをつける方法がありましたら、お教えいただけたら幸いです。 よろしくお願いいたします。
天涯孤独な老後が心配です。 心を許せる友人も恋人もいません。そしてなにより、両親が大好きです。 結婚はおろか付き合いたいと思ったことすらありませんが、いずれ結婚して子供を産んで、と漠然と思っていました。 しかし出会いもなくネットやアプリは怖い、となれば今更結婚できる気も、体調的に子供を産める気もしません。 また、大好きな両親がいなくなってしまった時のことを考えると昼は何も手につかず夜も眠れないほど辛いです。 辛い時に支えてくれる人もなく誰にも頼ることのできない、天涯孤独の老後が心配で仕方ありません。 両親は私の心の支えです。 特に母は面白く明るい性格のため、母がいるとその場が明るくなります。太陽のような存在です。同じゲームもしています。 母がいない部屋がどれだけ静かになってしまうのか、想像しただけで寂しいです。 また両親に結婚相手を紹介したり孫に会うという世間一般での普通の経験をさせてあげられないことが申し訳ないです。 今のところ老後の支えは、死後両親に会って今のように楽しく過ごしたい、ということだけです。 死後なので過ごす、という表現は違うかもしれませんが、両親にお迎えされ同じ場所へ行き一緒にいたいのです。 そこでお尋ねしたいことは、 1、死後両親と再会し共にいられますか? 恐らく私は孤独死してしまうと思うのですが、それでも両親に会って一緒にいられるでしょうか? 2、色々調べている中で未練があると成仏できないとありましたが、もし両親か私がお互いが心配で成仏できていなかった場合、私の死後両親と会って共に成仏?再会し一緒にいられるでしょうか? 3、もし両親や私が認知症になってしまって生前お互いを認知できなくなってしまっていた場合、死後お互いを認知できますか?両親と再会し一緒にいられますか? 私はとにかく死後も大好きな両親と一緒にいたい、それだけです。 会える、一緒にいられるのなら天涯孤独で寂しくてもそれを楽しみに生きていけるような気がします。 若いうちから今後や老後の心配して今を楽しめていない自分も辛く、勝手にうつになりそうです。 どうか今の私を救ってください。よろしくお願いいたします。
久しぶりに相談させて頂きます。 私は30代前半の女性ですが、歳を重ねることに恐怖や不安ばかり感じます。 きっかけは、自分の体型に関することでした。 30歳になって半年経った頃から、明らかに太りやすくなったのです。 私は甘い物を食べる事が大好きで、今まではどれだけ食べても普通体型でいられたのに、運動しても食べる物に気をつけても中々痩せず、ひたすらダイエット食品とサプリを買い漁りました。 体型が変わっていくことが耐えられず、定期的に断食する日を作る始末で、今でもそれは変わっていません。 これは歳をとったのだから仕方のないことだと頭では分かるのですが、中々その事を気持ちの上で受け入れられないのです。 相談したいのはここからです。 30代になってすぐにこれで、これから先歳を重ねてもっと色々と変化を迎えるにあたり、どのような心構えをしておくべきかアドバイスを頂きたいのです。 身近な人には言えませんが、体型が維持できないというだけで、時には死にたいとまで思ってしまい、このままさらに歳を重ねることに不安が絶えません。 変化を受け入れるには、どのような考え方をすればいいのでしょうか。
こちらではいつもお世話になっております。五十代半ばの男性です。ここ何年か題名の通り、老病死を強く意識するようになりました。それまでは頭にはあったもののほとんど気にしないで生きて来ました。 (老)に関しては、平均寿命から残り何年いきられるか?とか実感するようになったり、いつの間にか回りやテレビで活躍する人達がみんな年下で、二回りも下もいたり。またあと数年で還暦というと愕然とします。なにもできないまま年だけとったように、そんなはずではなかったのに等と考えてしまいます。ケアはするようにしていますが体力も目に見えて衰えて来ました。白髪も増え、目も悪くなって来ました。 (病)(死)に関しては今のところ大きな健康問題はないのですが、両親を内臓系の悪性腫瘍で亡くしているので、毎年の人間ドックが異常に不安です。食生活に気を配り、毎日ウォーキングをしたり等てできる限りの事はしていますが、両親の闘病から亡くなるまでのつらい経験が恐怖を増しているのかもしれません。 老病死という誰もが避けられない苦が急に身近というか、現実見をおびてきた感じでしょうか。 普通に結婚して子供に恵まれ、企業の管理職として並みの生活、人生なのかもしれません。ただなぜか急に老病死が受け入れ難いのです。 これからの余生の心構えについて是非アドバイスを頂けますと深甚に存じます。
最近写真や鏡が怖くなりました。 元々見た目を気にする(鬱などもあったため)タイプで、実年齢より若く見えると言われてきましたが、最近(ここ半年くらい)急に顔が老けてきて、目の下のたるみなど酷くなりました。 写真、鏡など見ると嫌悪感がでてくるようになり、受け止め切れない自分も嫌悪してしまいパニックになります。 人は皆平等に老いて行く、当たり前のこと。 中身を磨いてその時その時を楽しんで生きていれば表情にでて若くみえるとか、大体そういうような励ましをされてきましたが、当たり障りないとなぁとヒネた見方しかできず、どうしても心が納得しないのです。 運動も何でも頑張っているのですが、八方塞がりで塞ぎぎみになってしまいます。 もちろん、これが愚かな質問とは分かっています。 それでも敢えてお伺いしたいのですが、何か打開策はないのでしょうか
天才子役とかJKブランドとか奇跡の〇〇歳とか史上最年少とかいう言葉が必要以上に推されているせいか、私の世代の歳をとることへの不安って本当に計り知れないし、大きすぎるし、しかもその不安がいわゆるJK自身から出てきたものではなくて周りの大人がつけたって事が腹立たしいです。 気にしなければいいとはいいますが、世間がそういう評価を突きつけてきます。 私もそうですが、日本はエイジズムやルッキズムが抜けておらず、女性の愚痴ツイートの悪者はだいたい「おじさん」とされ、30歳の男性には言わないのに女性には「おばさん」だと見られます。誹謗中傷も女性のほうが燃えやすいし、男性に起こる悪いことは全ておじさんのせいにされています。一部の偏った人たちのせいですごく生きづらいし、人目を気にする自分も嫌いです。女性の私がこう思うのなら、男性も少なからず不満に思う方がいるのではないかと思います。 歳をとることが怖いと思うことはありますか?女性/男性のほうが生きやすそうだと思うことはありますか? ずっとこんなことに囚われていることが苦しいです。
社会人もうすぐ10年目になりますが、最近物事に興味がわきません。 私は小さい頃からアニメやゲームが好きで、学生時代は寝食を忘れるほど熱中していました。 また、なんでもない景色や人の発言から空想したり、イラストを描くことも好きでした。 自分が空想の世界に惹かれ、世間知らずなところがあると思っていたので、就職が決まったときは「これからは地に足をつけた社会人になりたい」という気持ちがありました。 今の仕事は感情労働特有のしんどさこそありますが、ブラックな労働環境でもなく人間関係も悪くありません。 楽しいこともあるし、勉強になることもあります。 ただ、社会に出る前に感じていたような好奇心とかワクワク感とか想像力とか、そういう生きてる感覚が最近あまり感じられません。 好きだったゲームやアニメにも惰性的に触れている状態になってしまっています。 仕事や生活といった現実的なことで頭がいっぱいで、空想する元気がありません。 かといって新しい趣味も見付からず、最近は何を食べたいのかもよく分からなくなってきました。 時折無性に寂しさや焦りのようなものを感じます。 これらの気持ちとの付き合い方のようなものがあれば、ご教示いただけますと幸いです。よろしくお願いします。
鏡に映る自分が老い衰え醜くて涙が出ます。 夫は私から去りました。私もそれを望みました。これ以上の苦しみは耐えられないと思ったからです。 今の自分の姿を見れば誰でも逃げ出したくなるのがわかります。 夫の愛人問題に振り回されて笑顔も出なくなり、クヨクヨ愚痴を言い続け、生きているのかどうかもわからない様な有様で。 髪もパサパサになり、顔もシミとしわばかりです。 一回り年下の夫の愛人は、「迷惑かけるけどずっと一緒にいて下さい」、とメッセージカードを夫に送るような可愛らしさです。Facebookの彼女を見ても、はつらつと若く明るく楽しそうで、南無阿弥陀、と書いては夫と息ぴったりな様子です。 全ての感情が無くなればいいのに。これから、二人が夫婦になるのかもと思うと憎まずにいられません。
こんばんは。 老後の不安が次から次へ出てきてしまいます。 結婚しましたが、子もなく、万が一自分が一人になってしまったらどうしよう、老人ホームのシステムは?など、調べて一人で苦しくなる始末です。 今考えても仕方のない事ではあるのですが、 何をやっていても浮かんできてしまいます。 花が今を一生懸命に咲き誇っているように、目の前のことに集中し、今、気持ちを楽に過ごしたいのです。 先のことを考えなくても良い方法を教えて下さい。宜しくお願い致します。
お世話になります。宜しくお願いします。 老人ホームで勤務しております。 勤務時は、記録、連絡等は私任せです。 また、主任はサボり放題、一部の職員も合わせて御利用者様へ虐待手前の介護対応、不真面目です。真面目に働く職員達が情けなく、見るに見かねるのが現状です。入社して日は経ちましたが、御指導や迷惑かけている部分もあって先輩方に注意しにくいです。上司も見て見ぬふりです。 転職したいのですが義両親と小さい子供もいる為、休みやすいのがメリットなだけで他は全くありません。体力的、精神的にもまいってます。
新たに資格取得し転職してもワーキングプアなままかわりません。 このまま老後まですぎてくのかと思うとやりきれません。 ずっと一人のまま楽しみも何もない。 ワーキングプアでは老後の見通し以前に海外旅行もいけません。 毎月すべて生活費にきえてくだけです。 50代になってから医学部入るとかいう人いますけど調べたら元々東大卒でそれだけの能力がある人です。低学力で50代で医学部には入れません。 それに世の中何するにも金がかかります。習い事もどこかにいくにもかかります。資格も大学で単位取得しないと受験資格ないものは授業料払えないととれません。今後も授業料払える給与はえられません。 自給自足でもできればいいですが畑仕事は嫌いなのでできません。 何をするにも遅くないというけど遅いことだらけ、できない事だらけで何かする気がおきません。やったってどうせ何もかわらないというのが現実。 このままワーキングプアでしなない程度に生きてくしかないなと。
「年老いた親の姿は、自分の将来の姿」 某年某月某日、読売新聞の「人生案内」欄で、ある回答者が、こう書いていました。 そうであるならば、もはや私に生きる価値はありません。両親の最期も看取り、さらにその思いは強まりました。 先日、スウェーデンの元パラリンピック選手が、安楽死を選択したというニュースが、流れました。私は、考えさせられました。 11月8日の亡き父、同9日の亡き母の誕生日を前に、墓参りに行きました。お墓に問いかけましたが、答えが得られるわけがないですよね。 「定命」という言葉があります。老醜を晒すのが確実で、生きる価値がないとわかっていても、自ら死期を早めることなく、定命に従うのが筋なのでしょうか?
こんにちは。 最近、とんかつやチキンカツを食べるのがきつくなってきました。 チキンステーキ はいけます。 かにクリームコロッケも大丈夫です。 やはり寄る年には勝てないのでしょうか? よろしくお願いいたします。
初めての投稿なので文章が少々分かりにくいかもしれませんがご了承ください。 私の父親は50代後半、母親は50代前半です。 私はもうすぐ60代になる両親を見て、心がズキリと痛みます。 「誰もいつか死ぬのは当たり前」「命の終わりに年齢は関係ない」「それまでいっぱい親孝行すればいい」と分かっていますが、日ごとにつれ、少しずつ老いていく両親を見るだけで、不安と悲しみと辛さでいっぱいになります。 一体どのような気持ちで受け入れればいいかも、怖くてわからなくて…、いつも泣いてばかりの私です。 P.S 父親は7月頃に心筋梗塞と診断されて以来、塩分や糖分などを控えた食事制限をしています。 母親は特に大病などはなく健在です。
よろしくお願いします。 年を重ね、顔のしわや増える白髪、鍛えても弛む体にもうウンザリです。 元々派手な服や髪型、ピンヒール(フリルとかミニスカートとか若い子の服を着たがるのではないです、普通では着ないような個性的なカットのデザインです。髪はスキンヘッドだったり)が 好きですが、その年でと人に笑われるようになり、じゃあ笑われないようにと着たくもない、よくあるオバサン風のダボダボ服にペッタンコシューズを履いてショルダーバッグを斜めにかけて歩くスタイルもこれまた苦痛です。 生きている限り年を取り容姿が衰えるのは仕方ない事とはいえ、私にとってそれは怖いし苦痛です。 大好きな美容やおしゃれに力を入れてももう無駄なら、誉められるどころか馬鹿にされるだけなら、乱暴な言い方ですが今すぐこの場で消えてしまいたいです。 残りの人生、顔はシミしわだらけの白髪頭、ダサい服を着た醜いオバサンと他人から見られるのは耐えられません。
おはようございます。 度々お世話になり、ありがとうございます。 私の最近の心の中を聞いて頂きたく、よろしくお願います。 退職まであと一年弱、私の役割は凄く大変で常に仕事のことが頭の中にあってホッとできる時間が無いように感じます。自分にそれだけの能力が無いからだと思いますが…でも あと少しなので精一杯努力しようと思ってますが、こういう時に仕事だけに集中できない状況になります。 実家の母の依存ですが、高齢なので仕方がないのは分かってますが。 精神疾患の末の弟の入院、次に母が鬱になり入院、その後の通院、週一の買い物… 全て今の私に取って負担で面倒です。 仕事してないなら別に負担でもないとは思いますが、とにかく仕事で頑張ろう!と思うと、実家の問題が私に来ます。 すぐ下の弟は私に任せっきりで、たまに来るくらいで、好きな事をやっています。 還暦過ぎて、私に残された人生もそんなに長くないし、体力もなくなったし、 そんな時に実家の事まで私任せだし。 仕事は大変で負担だけど、休みの日に朝起きたら空しい気持ちになり、辞めてしまったら空の巣症候群になりそうだし。 人間年を取るってこんな事なのでしょうか? 若返る訳でもないので、こんな感じで年取っていくのが何とも言えない気持ちです。こんな私でも、近々孫ちゃんも生まれる予定だし、息子達は優しくて気を使ってくれます。私はいつも明るく楽しく生きていきたい!と思っていますが… こんな私に何かお言葉をお願いします。
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