南無阿弥陀はどんな時に唱えるのですか?
はじめまして。
このサイトを知ってから、仏教やお坊さん、お寺に興味を抱き、仏教について勉強中の者です。
先日、テレビを観ていると、檀家さんから頂いた鮎を住職さんが調理する前に「南無阿弥陀」と唱えておられました。(南無妙法蓮華経だったかもしれません)
仏教では(自分の為の)殺生はいけない事だと知りましたが、私は害虫などは殺してしまいます。
その様な時に「申し訳ない」と言う気持ちを込めて南無阿弥陀を唱えれば良いのでしょうか?
南無阿弥陀は「阿弥陀さまを信じています」と言う意味だと本で読んだのですが…
鮎を頂いた時の住職さんが唱えた「南無阿弥陀」はどの様な心情だったのでしょうか?
どの様な心情の時に南無阿弥陀を唱えるものなのでしょうか?
教えて頂くと有難いです。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
いつでも、どこでも、称えたい時に
南無阿弥陀仏はいつでもどこでもあなたが称えたいと思ったのなら称えてください。
鮎を頂いた時の住職さんが唱えた「南無阿弥陀」はどの様な心情だったのかは私にはわかりません。
「申し訳ない」だったのか「ありがとう」だったのか「我が身が恥ずかしい」だったのか、色んな事が想像されますが、唯一言えることは
「お念仏しよう」という気持ちがはたらいた
ということです。
その気持ちは私の意志を超えているのです。私が口に出して称えてはいるのですが、称えようという気持ちは私が起こしたものではありません。そして称えられたという事実も私の力だけで成り立つものではありません。
「お念仏申そう」という気持ちが思い立ったこと、そして実際に「お念仏申せた」ということ
ここに思いを馳せていただきたいのです。
「お念仏申す」(原因)ことによって「どうにかなる」(結果)
のではなく
「お念仏申した」(結果)のはなぜなのか、どういうことがそこに願われているのか(原因)
というように果(まさに今こうなっているという現実)から因(その願い・背景)をたずねていただきたいのです。
そのお心を仏説無量寿経に説かれる法蔵菩薩の物語に尋ねていただきたいのです。お念仏で私たちを救おうという阿弥陀仏の願いにまで立ち返っていただきたいのです。
そこに触れていくうちに、「どんな時に唱える(称える)のか?」という疑問は形を変えていくのかもしれません。
私もどうしても殺生をしてしまいます。ウソをつくこともないとは言えないです。利養名聞の心もなくなりません。
それでも「あなたをそのまま救うよ」という南無阿弥陀仏の呼声によって救われるのです。そして「そのままでいいよ」という場所を得るからこそ、「そのままでいいのか」とそんな我が身を問うていけるのです。
私が南無阿弥陀仏とお念仏申せるということは、阿弥陀仏の方が先んじて私の方に南無阿弥陀仏と呼びかけてくださっているということです。
赤ん坊が「お母ちゃん」と呼べるのは、先んじて母が「お母ちゃんだよ」と呼びかけていたからです。
どうぞお念仏申そうと思い立ったそのままにお念仏申してください。
南無阿弥陀仏
罪の報いから免れたいときに
三宅師が説明されたとおりですが、
他には、
罪の報いから免れたいとき(罪をおそれたとき)もあります。
阿弥陀仏は、どんな悪人でも念仏すれば極楽浄土に往生させてくださいます。
自分の罪を恐れたとき、自分が悪人だと感じたとき、阿弥陀仏にすがる以外に救われようがない愚かな者であると痛感したとき、阿弥陀仏に救いを求めて南無阿弥陀仏をとなえたくなります。
基本的には、阿弥陀様、私が命終わる時にはどうか迎えに来て極楽浄土へ連れて行って、仏に成れるように導いてください。という願いを込めて唱えます。
あるいは、極楽浄土へ連れて行き成仏させてくれることを感謝して唱えることもあります。
また、他の人に対しても同じように、極楽浄土へ連れて行き仏に成るように導いてくださいと願って唱えます。
また、動物や虫など他の命に対しては、どうかこの生き物が次に人間に生まれ変わりますように、という気持ちで唱えることもあります。
南無阿弥陀仏の南無とは、信じています、というだけでなく、お任せします、という意味もあるのです。
死後のことなど私達非力な人間にどうにもならない事は、最後の頼みとして阿弥陀様にお任せするほかにない、お任せしたから何も心配要らない、ということなのです。
南無阿弥陀仏
質問者からのお礼
お礼が遅くなり申し訳ございませんでした。
そして、ご回答頂いたお坊さま、ありがとうございました。
お坊さまのお話を聞ける事がとても嬉しいです。
お礼が遅くなりましたのは、正直なところ、コメントに困ったからです。
なんて、文章に表せば良いのか…。
まだ、私には充分に理解出来ていないのでしょうね…。
だけど、南無阿弥陀は唱えたい時にいつでも唱えても良いのだと言う事を知りました。ありがとうございます。
少し、阿弥陀さまが身近に感じられそうです。