なにも持たずに生まれてきた。
僕は生きる価値のない人間だと思います。何か他人より優れていると感じたことが一度も無いのです。
僕は何をしても必ず劣等感を感じてしまいます。どんな場面においても、自分よりもっとよくできる人はいるし、自分はそもそも優秀じゃないと、どうしても感じてしまいます。
勉強も運動もダメで、人付き合いも下手くそ、顔も悪いし性格も悪い、歌も絵も下手で芸術的センスなんて1ミリも無い。誰からも好かれず、誰からも信用されず、誰も信じられない。
そして、最近になって自分なりに行き着いた答えが、自分はなにも持たずに生まれてきたと言うことです。他の人は1つでも2つでも何か秀でるものを持って生まれてくるのに、僕はなにも持たずに母のお腹から出てきたのです。僕はそんな風に生んだ両親を恨むのではなく、むしろその逆でないも待たずに両親のもとに生まれてしまって唯々申し訳ないと感じています。それが苦しくて、苦しくて仕方が無いのです。
こんな僕に何かいいアドバイスをいただけないでしょうか。どうかお願いいたします。
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コンプレックスを武器にする
ともき様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
(実体としてのものは)何も持たずに生まれ、何も持たずに死にゆく。
私たちはまあ、皆、そんな感じではあります。
「全ては、縁起し空である」と仏教では申しますが、持てるものがあるとしても、それは縁(因縁・原因と条件)によるもので、持つものも、持たされるものも、実体として存在しているものではないと考えます。
もちろん、実体が無い、空だとしても、何も無いというわけではありません。
持つものも、持たされるものも、あり得るものですが、それは縁次第であるというところであります。
それは、縁次第では、貴方様も当然に持てるものにもなるということであります。
自己嫌悪、劣等感も、実体として無いものであり、縁次第、自分の考え方、捉え方次第でも変えれることにもなります。
まあ、今は少しそのように思い込まれ過ぎであるのかもしれません。
劣等感だって、先では強みになることもあり得ます。
連続起業家の家入一真氏も、ご自身の辛い劣等感の経験から、今では「コンプレックスを武器にしろ」とまでおっしゃられています。
一度、家入さんの著作を読まれることも。きっと良い刺激のある縁となるのではないだろうかと存じます。
川口英俊 合掌