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自分の人生が受け入れられません

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有り難し有り難し 27

最近、友人や親戚を羨ましく思う気持ちが強くなりすぎて辛いです。

幼い頃に母が出ていったので父と祖父母に育ててもらいました。祖父は気に入らないことがあるとすぐに手が出る人で些細な事で毎日殴られていました。父と祖母は優しい人でしたが苦しさは理解してもらえませんでした。
中学生になるころには躁鬱病を発症しました。

最近は一年の間に父と祖父が亡くなり祖母は介護施設にいます。仕事は体調が良くないためパートです。
将来が不安できりきりと不満が多くなってしまいます。

家族も健在で正社員の友人が多くその友人たちは優しく朗らかです。

恵まれた友人たちと自分を比べて落ち込むことが本当に辛いです。穏やかに楽になりたいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

比べることをやめるのでなく、比べている自分に気づく

病気を抱えながらの身内の立て続けの葬儀。耐えがたい心労だったことと思います。おばあ様のことも何かと気がかりでしょう。これまでよく頑張りましたね。

優しいご友人に囲まれながらも、比較し落ち込んでしまうのですね。

この「比べる」という行為をやめることはなかなか難しいと思います。人間が物事を認識する上での基本構造だからです。

「私」を認識するにあたり、母と比べ父と比べ「私」を自覚し、自我が芽生える。いつしか私というものは誰か、何かを抜きにして成立しません。
職場での私、友人の前の私、孤独の前の私、悩みの前の私…

いつも誰か、何かと比べ、相対化して物事を認識します。そこに価値観が生まれます。こっちの方がいい・悪いという様に。

その基本構造を抜け出すことが無理ならば、それが基本構造であることをよく知ることです。

「また私は比べて苦しんでいたなあ」

と自覚することです。

あなたの苦しみは誰かと比べてそれが大きいから苦しいのではありません。あなたが苦しいから苦しいのです。
あなたの喜びは誰かと比べそれが大きいから喜ばしいのではありません。あなたの喜びはあなたの喜びです。
その大小は本来関係ないのです。

ご友人と比べて落ち込んでしまうから自分を受け入れられないのではないのだと思います。
自分を受け入れられないからご友人と比べて生じる思いをまともに受けて落ち込んでしまうのではないでしょうか。

人は受け入れる受け入れないを問わず自分が自分であることには変わりません。そしてその自分が受ける縁の大部分は人生からの強制贈与です。

あなたはあなたの母を選べたでしょうか。祖父を選べたでしょうか。病気になるかならないかを選べたでしょうか。
そこに自分が選んだという、よく言えば責任、悪く言えば傲慢な態度があるのならば「何で私はこんなことに」という自己否定も生まれることでしょう。

しかし現実はその受け入れがたいものも含めて自分であり、自分の人生です。選んだというより、いただいてしまったご縁なのです。
その縁の違いを嘆きたくなる気持ちはもっともです。それでも人はいただいた縁を受け入れられない限り人生が虚しいものになってしまいます。

あなたを彩る縁を受け入れて人生に対し主体性を持てた時、人と比べるまでもなくあなた自身への存在の満足がそこに生まれるのではないでしょうか。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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「自分を許す・認める・受け入れる」問答一覧

感謝や反省をする方法が知りたい

こんにちは。 今回は 『感謝と反省をする方法』について ご相談させていただきたいです。 なにか感謝をすることを見つけたり、感じたら『ありがとう』 なにかをらしてしまったり、なにかをやってしまったかな…曖昧なときでも私がなにかやったと感じたときには『ごめんね』を 意識して相手に伝えるようにしています。 その『ありがとう』と『ごめんね』を心の底から思えていない気がします。 できる日はスマホのメモに ・元気に過ごせた ・お腹いっぱい食べることかできた ・暖かいところで過ごせた ・大切な家族と楽しい1日を過ごすことができた など感謝と反省点を記入するようにしています。 感謝をしたり、これはよくなかった…と気づくことはできているのですが 『ありがとう』と『ごめんなさい』は言葉だけのことが多くて、心の底から思えてないことが気になります。 悪いことをしてしまったとき 『ごめんね』は言葉では、いくらでも言えますが心から反省ができていなく、同じことを繰り返してしまうことが苦しいです。 苦しい、後悔を感じていても 悪いことを繰り返してしまったり、改善できないことが相手や自分自身を傷つけていたり、体がネガティブな感情に縛り付けられて いるようで苦しいです。 どのように改善したり、工夫をしたり、 どのようなことをすると 『ありがとう』と『ごめんなさい』を心から思うことができ、同じことを繰り返さないようにできるのか教えていただきたいです。 お忙しいところ恐縮ですが、 教えていただけると嬉しいです。

有り難し有り難し 14
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自分の弱さを認め受け入れることの難しさ

いつもお世話になっております。 小さな失敗でも大きな失敗でも、それを起こしてしまったことで「もう生きていたくない」「生まれてこなければ苦痛はなかったのに」と、過度に落ち込んでしまいます。 職場の人のアドバイスでは、「完璧主義が強すぎる、もっと自分の弱さを認めて周りにもさらけ出せる方がいい」ということでした。 メンタルヘルスやチームビルディングの観点からも、そうした方が楽になれるし共感を得やすいということは分かるのですが、なかなか自分の弱さを受け入れることができません。 ・自分の弱さを受け入れられたとは、どういう状態を指すのでしょうか? ・私は人間未満の存在なので、ほかの人との差を埋めなければだめだと思っています。マイナスをゼロに戻そうとする人生は、完璧主義とは異なると思うのですが、いかがでしょうか? ・生まれてきたことそのものが私自身の弱さだと考えますが、おそらく重すぎてこの弱さに共感は得られないと思います。どのように認知を整えれば良いでしょうか? ・仮に私以外の皆さんが自覚できている「弱さ」を自分で見つけられたとして、それを共有することで「私にとって必要としていないアドバイス」や「共感が得られない」というフィードバックになって返ってくるのが怖いです。どのように弱さを話していけば良いでしょうか? 永遠にこの生きづらさが解消できる気がしないので、どこかで人生を畳みたいです。お知恵を拝借できれば幸いです。

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赦して欲しい

昨今、「こいつは実はこんな悪いことをしていた!」というニュースをよく目にします。それに伴い、「こいつはこんな悪い奴だから何を言ってもいいのだ」とばかりに言葉の石を投げる光景も。 巷を賑わせている、既に亡くなってしまったあの人のように最後まで悪業を改めないのならまだしも、「悪いことをしてしまった」と反省して前を向いて頑張っていたとしても一生悪人のままなのでしょうか? 私は最近、なるべく身の回りで起こることを赦していこうと思うようになりました。というのも、私自身後ろ暗い過去や墓場まで持っていきたい秘密があります(現在進行形でしている悪さはない…と思いますが)。私が赦して欲しいからこそ人を赦していこうと思っています。 しかし、これからどう生きていても、過去が変わらない以上一生悪人のままなのか、それを知らずに私を慕ってくれている人たちを騙しているのか、とても不安になります。 誰かにこれまでの私を赦して、肯定してほしいです。何か私の考え方や生き方に誤りがあれば教えて欲しいです。そして、これから真っ当な人生を歩んでいけるように見守っていただきたいです。 相談とは違う内容かもしれませんが、是非ともお答え願いたく存じます。よろしくお願いいたします!

有り難し有り難し 21
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自分を許せません

自分を許すことができず、幸せになる資格などないと考えてしまいます。 結婚し、夫と楽しく過ごしています。 ですが、1人の時にいつも考え込んでしまい泣きたくなったり、苦しくなってあまり食欲が湧かない事が多々あります。 原因は、私が過去にしてしまった事です。 今の夫と付き合っていましたが、結婚前に同じ職場の男性と仲良くしていました。 ほぼ毎日他愛も無い連絡をしていました。 友達だと思っていましたが、仲が良すぎて周りの人達から勘違いされている程でした。 当時実家の仲が悪く、外に出たい私に付き合ってその男性はよく食事をしてくれていました。 夫はその時忙しく、私の相手をする暇もあまりありませんでした。 夫は知りません。 周りの人から勘違いされる程仲が良かったという事が自分の中でとても引っかかっています。 夫が知ったら悲しんでしまう。 傷つけたく無い。自分の罪悪感を解放するために夫に伝えるのは違う。 と思い、時間が経っています。 今はその方と会う事も話す事も無くなりました。 皆んなどういう目で私を見ているんだろうと気になってしまいます。 フラフラしている嫌な女と思うのでしょうか。 自分自身がそう思っているとは思います。 心が軽くなる日は来るのでしょうか? 許せない自分を学びに変えて、前に進みたいです

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できない自分でも認めたい

 ありのまま自分を認めることがとても難しいです。人より優れた点がない割に、普通と比べてできないことが幾つかあります。  特に、人付き合いが苦手です。  学校では全く人脈を築けず、卒業後に身体を壊す程ストレスフルな場所でした。通った年数分の時が経っても完治しておらず自己防衛か何かなのかその頃の記憶があまり思い出せません。今でも時々思い出すのは一度、限界を迎えて訴えた時に父から「学校へ行かなければ殴る」と脅され母には泣かれ、一日とも休めなかったことです。また、いじめがあっても友人は話を聞いてくれず連絡がつかないこと。誰も頼れる人がいませんでした。 今では苦しみに向き合うため勉強し、心のケア専門の機関に関わったり、人との最も優れた関わり方というものを研究しています。しかし、人に好かれる話し方を勉強したらありのままの会話ができなくなり、友人はできても気を遣い過ぎでストレスが溜まってしまいます。 駄目な自分を受け入れる為に発達障害の診断を受けに行きましたが、その精神科医には酷く叱られました。何故か、精神障害を馬鹿にするなと睨み付けられ、まともなテストもして頂けなかったのです。散々空気が読めないだの悪口を言われ、友人もできず悩み苦しんだ末の行動でした。しかし何も話を聞かずに、拒絶でした。お医者様は恐らく虫の居所が悪かったのでしょうが、今でも自分が何か悪かったのかと考えてしまいます。 世の中では多様性を認めるとか、無理をしないで休んで良いという言葉を聞きます。 ですが、誰にも受け入れてもらえなかった、向き合ってもらえなかった事実があって、休むことが怖いです。 努力を怠ればすぐ追い越され取り返しがつかなくなるという恐怖です。それは違うと理屈で分かっていても、周りの人がとても立派なのを見て、できないのは自分だけに思えてきます。 では一人を楽しもうという方向で最近考えを改めてはいるのですが、本能か何か一人でいるのが猛烈に寂しく死にたくなってしまうのです。そして何か成そうと、趣味やSNSに心を病むまでに打ち込み過ぎてしまったりします。  他人と比較する癖、在るか分からない平均度を越えようとしてしまう癖、自責癖などがあり、前向きな考えを持てず将来を考えると辛くて仕方なくなります。  根拠なく自分を認める心を持ちたいです。 長文失礼しました。もしよろしければお答え頂けると幸いです。

有り難し有り難し 9
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ