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昔、生き物を殺しました。

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有り難し有り難し 72

初めまして。
私は、幼少期にウサギを蹴って殺しました。
可愛くて可愛くてそれなのに真逆の行動をして殺しました。
どんな気持ちでやったのかまで覚えてないのですが、死ぬとは思ってなかったような気はします。でも悪いことしてるという認識はあった気がします。親には言えなかったから。
それで後悔したはずなのに、学んだはずなのに、
私は小学生に上がって、友達と一緒に亡くなったウサギの皮膚をハサミで切ってしまったことがあります。もう何でそんなことしたのか全く分かりません。
ずっと悔やんできました。
動物虐待のニュースを見るたびに犯人に憤慨する。その度に私は同じなんだと地獄に落ちる人間なんだと思っています。
それでも動物が好きで好きで、今までも沢山迎えてきました。今も犬3頭と生活していて職業まで動物に携わっています。
我が家にいた子を看取る度に、私は地獄へ行く人間だからこの子達にはもう死後の世界では会えないんだと、夜寝れない日もあります。
閻魔様の前で今まで一緒に居てきた愛犬たちから引き離される夢を見ることもあります。
子供が産まれて、私の血がこの子に流れていると思うと申し訳なくて心配になります。

私がした行いは絶対許されることではないです。
でも欲を言ったら許されたい。
私はどうしたらいいですか?
子供には同じ過ちをさせないようにどうやって教えたらいいですか?
助けてください。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

宗教の本質は「懺悔」

「悔い、改めよ」
世界で最も信仰されているキリスト教のお題目です。
じつは、これは仏教にも当てはまります。
仏教でも、まずは①自分の犯してきたことを直視する、②理解する、③反省する、④改善する・・・というのが修行の根本なんです。

「懺悔」っていうのは、実はすごいエネルギーなんです。ダイエットで例えると、標準体型の人が、ただ単にマッチョになりたい、スタイルを良くしたい・・・といってもなかなかモチベーションを保てませんよね。けれど、「太った!痩せなきゃ!」と思えば、必死で体づくりを始めます。

マイナスからスタートするっていうのは、実は一番近道なんです。

さて、あなたの場合、①動物を殺めたという行いを直視・・・できていますね。
次に、②悪意がなくても、いけないことだったと理解・・・しています。
③そのことをずっと悔やんでいた・・・反省もしています。

そして何よりも素晴らしいのが④職業でも動物とかかわっている・・・これは、あなたが①~③がしっかりできていた結果、つまり「罪をしっかり意識して、反省し、改善した」という何よりの結果なんです。
あなたがずっと悔やんでいた過ちは、それがきっかけとなって、知らず知らずのうちにあなた自信が罪を償っていたんです。

犯した罪は消えません。けれど、あなたの行いや反省の心は、十分「懺悔」に値します。
罪を許すのは、あなた自身です。
もう決して動物を殺めることはないでしょう?むしろ、誰よりも動物を愛し、大切にできるようになったでしょう?
あなたの心の変化、成長そのものが、殺めてしまった動物への最大の償いなんです。

自分自身を許してあげてください。

そして、子供が同じ過ちを犯してしまいそうなとき、犯してしまったときには
それがどれだけ重大なことなのか、どれだけ大変なことなのかを、厳しく、優しく教えてあげてください。

あなたは地獄になんて堕ちません。地獄なんて、人の心の中にしかありません。
動物を殺めたあとのあなたの心は地獄だったでしょう。
けれど、罪を懺悔し償った今のあなたの姿は、仏さまそのものです。

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有り難し
おきもち

罪悪深重(ざいあくじんじゅう)

はじめまして。

子どもの頃ってなんでそんなことしたんだろう?という行動をしてしまうものですよね。大人になってからそれを思い出す時に後悔が尽きないという事はよくあることかもしれません。私にもそうした出来事の一つや二つはあります。ちょっと人様に言うのもはばかれるような内容のものがね…。

さて、あなたは絶対に許されないという思いでご自身を責めておられますが、どうしたらそこから救われるかと言うと許されて救われるのではないでしょう。
いや、誰かに許しますと言われて気が楽になるということはあるかもしれませんがそれは根本的な解決ではないかもしれません。
それは「許されない」ということも自分が作り上げた観念であり、それを新たに「許される」という観念でもって上書き、あるいは相殺して救われると言うのであればある意味同じことを繰り返すことになります。

そもそも「許されない」とは誰に許されないのか。いつ誰にそのように言われたのか。閻魔様はどこにいるのか。結局そのように教えた他者も閻魔様も何もかも自分の中で統合して自分に「許されない」というルールを課しているのです。そのルール自体から解放されましょうということが一つ。

もう一つは、では生き物を殺してもいいのか?罪はないのか?ということですがそうではありません。罪というのは仏教にも例えば十悪・五逆などと説かれるように、どうしても何か特定の行動を想像してしまいますが、実はそういうことではありません。どうあがいても人間存在そのものが罪という事実があります。
人間であるということが、皆が自己主張をやめられず中々仲良くできない、命を奪わないと生きられない、人目に触れないと何をするかわからない、など仏様の教えに背いて生きるという事実。
それを罪と言います。特定の出来事はその象徴であって、それらを通して人間存在が罪悪深重(ざいあくじんじゅう)であることを教えてくださるのが仏法です。

仏様とは仏法に背き、仏法から逃げようとする罪悪深重な私たちを目当てに「お前を救うぞ」と誓われ、真実に目覚めた存在です。
私たちはその教えをとおして自らの罪にうなずき、それでも救われる教えに感謝し、罪悪深重なる我が身に常に目覚めさせられながら歩んでいくのです。それが救いです。

是非、お子様と共に仏法に学んでください。それこそがいのちから願われている道だと私は思います。

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おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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質問者からのお礼

凄く心が軽くなりました。
罪を受け止めて、今まで関わってきた命に感謝し、今なお動物達に触れて生活していける日々に感謝し生きていきたいと思います。
ありがとうございました。
少し仏法について学んでみようと思いました。
子供ともしっかり向き合っていけるように。
本当に感謝致します。
ありがとうございました。

不悪口院 恵成 様

ありがとうございました。
涙が出ました。
許すのが自分ならば、まだ許さないでおこうと思います。
でも、これからは罪を引きずり進むのではなく、犯した罪をちゃんと持って歩いていこうと思います。
本当にありがとうございました。
心の支えにします。

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