生きる
こんにちは。現在は大学生です。
最近、アルバイトを始めました。高校時代は多忙でできなかったので、やっとアルバイトができる、と始める前はかなりやる気になっていました。お金を稼ぐ、新しい環境、社会貢献、そんなことを想像していると楽しみでもありました。
無論、労働してお金を稼ぐのは辛いことだと頭の中では理解していましたが、現実もその通りでした。
バイトを始めて3日後の帰宅途中、夜空を見上げて考えてしまいました。
「こんなに辛い思いまでして、お金稼いで生きる意味ってあるのか。」と。
その日から気分は憂鬱になりました。
生きることも死ぬことも、実はあまり大差ないのではと思ってしまいました。
初めたばかりのアルバイトも適当に理由をつけて辞めてしまおうと考えています。
そうでないと心が持たないような気がします。
少し自分は考えすぎなのでしょうか。
生きることについて各々の見解でいいのでご教授いただければ幸いです。
ご回答よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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「惠蛄(けいこ)春秋をしらず」
ご相談拝読しました。
学業にアルバイトと精が出ますね。お疲れ様です。
アルバイトが想像以上に辛く、こんなに辛い思いまでして生きる意味があるのか?という考えにまで至ってしまったのですね。
う~ん、どうでしょう…少し考えが飛躍しすぎかなあとは感じます。
まずはアルバイトの何がそんなに辛いのか。
人間関係なのか、体力的問題なのか、能力的問題なのか、なんなのか…
それらは本当に乗り越えてまで生きるに値しないような問題なのかということです。
もちろん本当にどうしても死にたい思いをしてまでそれらを続けなければならないということはありません。
しかし、人は自分の世界しか知らないと本当の喜びを味わえないのです。まだ全てではないものをこれが全てだと思っているとしたらそれは楽かもしれませんが実はとても空しく悲しい在り方になってしまいます。
「惠蛄(けいこ)春秋をしらず」
という言葉があります。惠蛄とはセミのこと。ひと夏しか生きられないセミは春も秋も知らない。
でももう少し言うと、比較対象である春と秋を知らないということは、夏が夏であることを知らないということ。
セミにとっては夏が全て。でもそれは春と秋を知っている者からすると夏だけでは全てではない。だからもったいないなあと思います。自分の世界を広げて欲しいなあと思います。
あなたが思っている以上に世界は広いものです。
働く喜びを知らないままに、働いてまで生きる意味はないとしてしまうのは、働く喜びを知っている者からするともったいないと思います。
しかし今の段階であなたは全く共感できないでしょう。だってまだ働く喜びを味わっていないのですもの。
それを味わうことのないうちに、美味しいものを知らないうちに、自分の世界を広めないうちに、わかったことにしてしまっていいですか?
本当に無理なものを続ける必要はありません。
しかし是非ともあなたの世界を広げる何かに出会ってください。
生きることは苦しいものですが、それは自分の思い通りにしたいという思いが思い通りにならない現実にぶつかるからです。しかしその思い通りにならない現実に自分の狭い世界が破られてこそ、はじめて見えてくるより広い世界があるものです。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました。
言葉足らずで申し訳ございません。今年に入ってから人生について考える機会が多くなり、生きることについては常々考えてはいました。
そこに、アルバイトという肉体的、精神的、両方に負担がかかってきたことによって、今回のような思考に至ってしまいました。
「惠姑春秋を知らず。」
自分の今の心境に突き刺さるお言葉でした。胸に留めておこうと思います。