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考えの負の連鎖を断ち切りたい!

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有り難し有り難し 24

こんにちは、いつも温かいお言葉を有難うございます!
早速ですが質問させていただきます。
そもさん!!!

私は昔からいつも、悪い事が起こった時に頭の中でリピートし、過ぎた事にくよくよしています。
さらにはとても昔に起こった事でも、あたまの中に急にフラッシュバックして、なんともない日常を邪魔してきます。
仏教の教えを知ってから、リピートもフラッシュバックも回数こそ減りましたが、まだまだ苦しい時があります。
今この瞬間を生きよ。釈尊は私にこうおっしゃいます。
そう頭で思っていても、悪い事が起こったときは落ち込みます。私も人間ですので。
お坊さんも人間なので、是非お聞きしたいのです。
頭の中のリピートとフラッシュバックを止める訓練の仕方を。
強く悲しい事柄を受け入れて、今を強く生きたいです。
生きる為の仏教を、私にお教え下さい。
よろしくお願いしますm(_ _)m


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

フラッシュバックの消しかた

フラッシュバックが起こった時に自分をよく観ていてください。
その思いは、あなたが出そうと思って出したものではない。
全自動、自然に、オートマティックに出てきてしまうだけ。
それを
Aの思いと致します。
人間は、その全自動で出てきたAという思いを、瞬時に手繰り寄せます。
そして、手繰り寄せたその思いに、あれこれ抵抗したり、嫌ったり、パソコンのファイルをクリックして展開させるように、思い、イメージ、妄想を広げてしまっているだけなのです。
それこそが本当の負の連鎖なのです。
自分が、自然に出てきた思いを、毎回相手にしてしまって来ていた!というだけなのです。
ここに気づいて頂きたいと思います。
そうすれば、思いは出てきても無我、無私なので、相手にしなければ今、背中側の景色を相手にしていなかったように、どこにも、誰にも(あなたから)相手にされないまま『自滅』します。
思いは【自滅】させるのが一番良いのです。
さっそくやってみてください。
京中にあなたはフラッシュバックを乗り越えることができるでしょう。
コツは、
【出てきたお思いは自分が作ったわけではないので、相手にしなくてよい】
【そのことが思い起こされたからって、今までのようにいちいち拾い上げて相手にする必要はない】
【今、私は、ココを生きている。思いの世界はココではない】
事実と思いは別物です。
思いは、真実そっくりですが幻です。
掴んでみてください。カタチなんてありません。
どうぞ、思いの正体を見破ってください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

その通り!この瞬間を生きるしかありません

過去も未来もありません。
今しかないのです。そして、過去のことを思い出した時に、良し悪しを付け足さないのです。思いもその瞬間のこと、放っておけば数秒後には消えて他のことを考えている事実に気がつくことでしょう。
一日中考えていることもないでしょうし、リピートしていることもないはずです。
そうした記憶を消そうとすることは、より強調することになります。
思い出したら思い出したまま、なんの問題もないでしょう。今の現実に何か問題が起きましたか。
もし問題が起きたら、それはあなたの中の思考でそのように決めただけのこと。
苦しみをご自分で作り上げないよう、取り扱わない、何もしない生活をしましょう。
何もしないことを「する」のではないですよ。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

邦元様

早速のご回答、有難うございます!
私の質問の仕方に問題がありました、分かり辛くて申し訳ありません。
お坊さんである邦元様は、日常でどの様な時に苦しみを感じられて、またどう言った気持ちで解決なされたのか、または向き合われているのかをお聴きしたかったのです。
邦元様は日常で上記の事を実行されているから、リピートもフラッシュバックもなく、現実を良し悪しで決めず、ありのままに受け止められているのでしょうか?
釈尊は確かに邦元様の仰る通りに言われていると思います。
ですが私はお坊さんだって人間なんだし、泥臭い経験だって、苦渋だって飲んで、生きてきたと思っています。
教科書を誰かに読んでいただくなら、自分で読めばいいはずです!
リアルな体験の中で、仏教から学んだことからどの様に解決されたかを知りたかったのです。
とは言え、その通りと仰っていただけたのも、すぐに邦元様にお返事をいただけたのも、このご縁をとても有難く感じます!!
次があるならば、今度はもっと分かりやすい質問が出来るよう努めたいと思います。
本当に有難う御座いました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ