生きたいのに生きるのが辛い
はじめまして。よろしくお願いします。
私はいくつも病気を患っています。歳とともに体力が落ちたせいか、悪化するものが増えてきました。
明後日は両眼の手術を受けます。受けないと失明すると言われたのでもちろん受けます。
こうして治せるものは良いのです。でもどうしても辛いものがあります。それは心臓の発作です。
20年付き合っていますが、突然起こる発作にはいつも恐怖が伴います。このまま死ぬのではないかといつも思います。
最近頻度が増えてきたので不安に押しつぶされそうな毎日です。お薬が増え、生活上の制限も増えました。孫にもなかなか会えません。
こんな不安な生活が続くなら、いっそ早く死んでしまった方が楽だなぁと思うこともしばしばです。1人で泣いてしまうこともあります。
でも孫の写真を見ると、やっぱりもう少し生きていたいと思います。
決して死にたいわけではないのです!でも病気が辛くて生きているのも辛いです。
自分の気持ちが弱いのだろうと思いますが、今どうしていいのかわかりません。
心穏やかに生きていけるお言葉をいただければと思います。
病気に負けてしまいそう
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
母は強し。ババもまた強し!!
死んだほうがマシと思うほどの耐え難い病苦は、実際にあります。
アメリカのどこかの州では、安楽死が認められているくらいです。
ましてや心臓の発作なんて、さぞ苦しくて怖いものなんでしょうね…
でも、
お孫さんはカワイイでしょう?
お孫さんの成長をできるだけ長く見守っていたいですもんね。
お孫さんが困っていたら助けてあげたいでしょう?
幸いにも、あなたはまだ生きる意義も喜びも、まだ失ってはいないようです。
どうですか?
もうちょっとだけ頑張って、なんとか死ぬまで生きてみては?
呼吸をし、生きようとしているところに、すでに仏様はいます。
はじめまして。亀山純史と申します。
生きることが辛くても、嫌でも呼吸をし、生きようとしているところに、仏様はすでにおられるのです。そして、この世での生きる縁が尽きた時に、私たちは仏様の世界に還って往くのです。
仏様は、いつでも、どこにでも、働いてくださっています。「生かされている」ということは、そう言う仏様の世界に生きていることなのです。私たちは自分一人で生きているのではないのです。仏様と共に生きているのです。私たちは多くの命を頂きながら、まさに生かされているわけですが、その頂いている命にも、そして私たちの命にも、私たちが意識しなくても呼吸することを可能にする命の源をなしている世界があるのです。それは、物事は因縁によって生じ、また滅するという仏様の世界(因縁生起の世界)なのです。そのような仏様の世界に生きていなければ、私たちは生きていけないのです。どうか、すでに仏様と共に生きている一日一日を大切になさってください。
以上が私からの回答です。心穏やかに生きていける言葉になったかわかりませんが、少しでも、これからの人生にお役に立てれば幸いです。
質問者からのお礼
お返事をありがとうございます。
繰り返し読んでいるうちに涙が止まらなくなってきました。
自分の気持ちが今どのようになっているのか、自分でも分からないのですが、ありがたい気持ちです。
昨夜は体調が悪く、頭が回りませんでした。
お二人の方からコメントをいただき、改めてお礼申し上げます。
転落院様ありがとうございました。
孫はとても可愛いですが、何もしてやれません。それでも、「頑張って死ぬまで生きてみる」ことにします。
亀山純史様ありがとうございました。
呼吸をし、生かされているところに仏様はいらっしゃるのですね。一人ではないという安堵感を覚えました。
辛い時には、またご相談させてください。よろしくお願い致します。