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自分を取り戻したいです。

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私の父親は幼少の頃に虐めにあい、挫折と劣等感で自分の人生が面白くないそうです。
父親は、自分だけが苦しいのが嫌だと言っていて、私は楽しそうにしないで、自分の娘なんだから一緒に苦しんで欲しいそうです。

父親が苦しんでいるのに、私は楽しいと思うことを楽しんではいけない、楽しいことをやってはいけない、好きなことをすることへの罪悪感でいつしか心に蓋をするようになりました。

それから自分の気持ちがわからなくなりました。
フラストレーションがたまります。
自分の洋服の好みもわからなくなりました。

家族に辛いことがあっても、好きなことを楽しんだり、自分は希望や夢を持って、自分だけ幸せになっても良いのでしょうか。
父親だけ不幸せでいさせるのは、親不孝や薄情娘にならないでしょうか。

父親の期待に応える生き方をやめても良いのでしょうか。
自分を取り戻したいのです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あたたかさ。

なかなか難しい境遇をお父さまは抱えてらっしゃるのですね。
しかしそれに寄り添おうとする、みみさんの優しさが身に沁みいるようです。
お父さまのお言葉も『自分だけ苦しいのは嫌。』と
ある意味、どこまでもストレート投球、まじりっけなしののどごし さながらではありませんか。見栄っ張りではっきりしない私とは大違いです(笑)

たぶんあなたが一緒に苦しんだところでお父さまは畢竟、満足しないでしょうし、一緒に苦しんだところでそれが期待に応えることにはならないでしょう。
お父さまが本当に求めてらっしゃるのは、「見限らないでいてほしい」という一点だけではないでしょうか。
苦しみを抱えている人が本当に求めていることというのは、みじめさでもなく共感でもなく変革でもなく「あたたかさ」なのです。
まずは先にどうしてもそれが来てほしい。楽しんだり、希望だったり夢だったり、改革であったり、というのは、その「後」にきてほしいのです。

私は日蓮系の僧侶ではありませんが、日蓮宗という宗派の開祖にあたる日蓮聖人という方は、このような言葉を残されています。
「一切衆生の同一の苦は悉くこれ日蓮一人の苦なり。」『諫焼八幡抄』
(生きとし生けるものの苦しみはすべて、私日蓮にとっての苦しみです。)
「人生が苦しい。」という人々に、日蓮聖人は多くの手紙を送り、このような言葉を送られたそうです。「私もです。」と。それじゃダメじゃん、と思いますか?
しかし、「法華経」というお経の精神にのっとり、人々の救済、社会変革、実践を謳ったとされる日蓮聖人ですが、特に晩年の文書を見ますと、まずもってこの「あたたかさ」に多くの人が支えられたのだなと感じます。

たとえ挫折や劣等感だらけでも、自分のご家族に、そんな「あたたかさ」があることを誇りに思うでしょう。あなたのお父さまなら。
娘のあなたに、苦しんでほしくはないはずです。
でもみみさんの持つその「あたたかさ」がいつか自分の前から消えてしまうのではないか。
そんな苦しみもあるのかもしれません。
どうか、期待に応えるとか自分を取り戻すとかはあまり気にせず。
無理のなきよう、そのような心持ちで接してみていただきたいです。

そして、好きなこと。楽しいこと。何でもおおいに見に行っておでかけください。
きっと分かってくださいますよ。

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おきもち

吉井浩文
Buddhism. knowing what it actually i...
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あなたはあなたの人生を生きて良いのです…。

 御父様からの苦悩の連鎖ですか…受け入れる必要は無いと思います。
 そして、逆にあなたがしっかりと人生を生きることで、御父様に御自身の人生をしっかりと充実したものになさって頂くようになさるのが正解だと思います。
 御父様は『挫折と劣等感で自分の人生が面白くない』そうですが、今生きていらっしゃるのだから、今日からの人生を変えていくことは可能なのです。人生を面白いものにすることは出来るのです。それは今現在を生きる(…過去に生きる、引きずられるのでは無く)ことで可能になります。
 そんなの出来ないとおっしゃるかも知れませんが、それは出来ないのでは無くて、メンドくさいからやらないだけ ということでしょう。あなたのためというより、御父様ご自身の為にまだまだ先の長い人生をしっかりと生きて頂きたいと思うのです。
 そして、全く同じことをあなたにも申し上げます。
 自分を取り戻したいというお気持ち…良く分かります。ならば、自分の人生を生きましょうよ。一生懸命に生きましょうよ。
 そんな人生は、もしかすると御父様に批判されるかも知れません。足を引っぱられる(?)ようなこともあるかも知れません。実は悪口や陰口は、本人が悪事を行った時、いやそれ以上に「真剣にしっかり生きた時、真っ向から批判することが出来ない時」に多いようです。
 ご批判覚悟で生きましょうよ、「出る杭(くい)になって打たれましょう」よ…「出ないまま土中で腐っていく杭」よりはマシです。それこそ「悔(く)い」の残らぬ人生送りましょうよ。
 あなたはあなたの人生を生きるのです。誰にも代わってもらえませんし、代わってもらうなんて勿体ないです。
 あなたの人生を見守り、支え続ける仏様というお方が見えます。だから安心して精一杯生きて良いのです。あなたのその生き方こそが御父様のお気持ちを変えていきます…本物・真実は一番強いのですから。

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おきもち

質問者からのお礼

吉井浩文様
ご回答ありがとうございます。
見限らないでほしい、父にはそのような思いがあるのかもしれません。
暖かく接してほしいのかもしれません。
そう考えてみると、プレッシャーから少し、楽になれました。
私は我慢せずに、遠慮なく生きようと思います。

小林覚城様
父親には私が楽しくやっていることに対して批判を受けていました。私には仕事があるのに、趣味でやっている好きなことまで、金になることをしろ、みたいな言い方をされます。お金にならない楽しいことは無駄だ、みたいな。
それに従うのが苦しくて仕方がありませんでした。
でも、父親の思う通りに生きて、自分が遠慮するなんて勿体ないですよね。
批判されても、自分の楽しいことや好きなことを貫いて大切にします。父には父の人生を生きてもらいます!

「本当の自分と向き合う・らしさを取り戻す」問答一覧

学びは身になっているのか、実感がない

お世話になっております。 人生を通してなのですが、学びたいことに対して、特に実務系より精神面、自己啓発の観点の方で、それが消化されて自分のものになっている感じがあまり得られずに悩んでいます。 いろいろ講演会を聞いたり、本を読んだり、ネットで共感したことなどをもっと自分の生活や思想に取り込みたい、深く学びたいと思っても、なかなか深化できないです。自然に出て来ないし、学びも進みづらい。 仏教とかも元々文系教科(特に古文・漢文)が苦手だったので、本を読むにも頭に入って行きづらいときがあります。他のものにしても最近はうつ病とかもあって、昔より文章から要旨を掴むのが下手になってしまいました。 そもそも話題の本、タイトルから自分の欲した答えやスキルが得られそうな本、好きな著者の書いた本、何らかの形で薦められた本、やってみたいことが出来たが勉強しようと思ったら芋づる式に出てくる関連著書、あるいは興味が別なことへ移ってそちらの本・・・すべてに取り掛かることもできず、積ん読として無駄になることもしばしばです。 本もかみ砕いて熟読するにも時間がかかるし、でも速読したら結局自分の読みたいようにしか読めてなくて、本当に著者の思いを汲み取れているのかわからなくなります。 さらに、たまに振り返ったりしないととても浸透しないしすぐ忘れてしまうのですが、それも量が増える。多くのものに触れようとしなければいいものには出会えないけど、じっくりかみ砕くことを怠ると簡単にその知識は腐る、そのジレンマに悩んでいます。 最近はインプットや振り返りのために時間を取るのも下手になった感じがありますが、折角そうしてもスマホや別の事務仕事に時間を取られて、予定は常に狂うしやる気も保ちづらい。じゃあやめれば?と予定変更しても後悔が残ってすっきりしない状態です。 お坊さんは毎日のおつとめの中で大事なことを振り返っていると思うのですが、当然新しいインプットだってしているはずだと思うのです。 学んだことを血肉にするためにどういう事をしていけばいいのか。 いろいろ興味を惹かれることが多い中、何か学びを絞るためのポイントはあるのか。 新しいことを身に付ける中で、新しいものを取り入れつつ以前のものを腐らせないためにはどうすればいいのか。 アドバイス等ございましたらご教授いただけますと幸いです。

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納得のできる生き方をしたい

私は何に対しても不安になってしまいます。 目には見えない病気なので家族や友人にもあまり理解がされず「もっと頑張らなきゃ!」「家にずっと居ると暇でしょ?」「私だって肘が痛いけれど仕事を頑張っている」など言われてしまいます。 たしかに家族や周りから言われるように私は甘えているだけなのかもしれません。 周りの人達は悩みを抱えながらも体調が悪くても一生懸命、仕事をしたり生きているのに私は人生をなめているというか一生懸命過ごせている気がしていないので、周りからも避けられているように感じてしまいます。 働かないだらしない人とは関わりたくない、ネガティヴな発言しかできない人とは関わりたくないなどと思われているのではないかと常に不安です。 連絡も相手から来ることはないので、私から送るのですが連絡をするにも迷惑だと思われているのではないか、友人と食事に行っても私と一緒に過ごして楽しいと思ってくれているのかな、もう会いたくないと思われているのではないかと相手の顔色ばかりを気にしています。 現在していることは浴槽を洗ったりはしているのですが家族や周りから見たら、そんなことは当たり前で何も偉くはなく、頑張った内にも入らないというような言葉を言われたり、心配して貰いたい、ありのままを伝えたら嫌われてしまう考えだけで嘘をつく癖が治らないなども含めて生きていることが怖いです。最近は今の人生を一生懸命生きようとかではなくて亡くなった後のことばかりを考えてしまいます。自分ことは自分しか分からないから周りの言葉など気にしなくてもいいと思うときもあるのですが、どうしても周りの目や評価が気になってしまいます。少しでも生きていてよかった。仏教の目的の「私が私らしく」「自分を愛おしく」思えるような生き方や考え方を教えてください。

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なんか成長した

昔の私は嫌なことにこだわって嫌なことをふくらませて自分をいじめてました。 高校のとき、家庭科の先生から 空を見上げてごらん!自分の悩みなんてちっぽけに思えるよー! とアドバイスをもらっても 国語の先生から どんなに自分が悪くても明日はやってくる。寝て忘れるんだ! とアドバイスをもらっても 意味わからんし(`Δ´) でした。 そして、ネットで、モヤモヤしたら お掃除しなさい。 お風呂に入りなさい。 などと書いてあっても モヤモヤ、イライラとまらんわ(`Δ´) でした。 どうして、いろんな方からのアドバイスが受け入れられたかというと、子供の存在でした。 歯磨きせん!って言われて、押問答してて、イライラするけど、可愛い言葉や仕草をされるとなんかそれに癒されて、どうでもよくなってなんか笑顔になります。そして、悩みをほぼほぼ忘れます。 あぁーこういうことなんだなってわかりました。 私は人のせいにして生きるのが大好きでした。 人の幸せを見るのが辛くて、買い物以外は外に出ませんでした。 そしたらぶくぶく太り、軽度肥満になりかけました。 人のせいにした人たちが、私を守ってくれるの?私の健康を守ってくれるの? そう気づき、3年で10キロ痩せました。 BMI適正体重になりました。 ゆっくり痩せたのでリバウンドなしです。 去年の健康診断でさえ、お医者さんからも保健師さんからも褒められました。 今年の健康診断もさらにお医者さんからも保健師さんからも褒められるー(^ω^) これからもたくさん成長します。

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自分らしく生きるとはどうすればいいか

はじめまして よろしくお願いします。 私は、人からの評価が気になる、人にどう思われたか気になる、人の気持ちを読んでできる限り尽くす、ほめられたり好かれると非常に嬉しくすぐにその相手を大好きだと思い、逆に批判されたり否定されたらとても気になり腹が立ったり恨んだり・・・というところがあります。 これまで職場のような浅めの関係性の場所で最後必ず辛くなり、何年も我慢した挙句パッと人間関係を切ってしまうことが多いです。お世話になって感謝する反面、本当の私を分かってくれない、裏切られたと思ったりしてしまいます。私自身は職場でも人の本質を見て付き合おうとしてしまいがちです。 心から相手と理解しあいたいと思う気持ちがあります。障害のある子どもに関わる仕事をしていますが、障害ではなくその人自身を見ることが得意です。 他者評価を求めている、承認欲求が強いのかとも思いますが、ただ、私は、ずっと自分のことは好きなのです。努力できますし、人に優しいですし、感性も豊かです。 母がいつも褒めてくれましたし、好きでいてくれました。 ただ母が極端に心配性で、人からいい母親と見られようとしていた弱さはある人でした。(私が30代の頃亡くなりました。)いい子の私はいつも母を喜ばせようと努力してきました。その影響はあると思います。ただ、愛情をもらって自分に自信も持てるように育ててもらっています。 なのに、なぜ、いつまでも精神的に自立できず、人に好かれたいのでしょうか。 自覚はないのですが、私は、自己肯定感が低いのでしょうか? どうすれば精神的に自立して自由に清々しく生きられますか。

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自分との向き合い方、親との接し方

小さい頃からメンタル面が弱いです。 今でも、成人男性や酔っ払っている人が非常に怖かったり、自分に自信がとにかく持てず、私自身のことを褒められてもしっくりきません。 丁寧に説明されると嬉しいことには嬉しいのですが、心の隅では「過剰評価だ」と感じてしまいます。 それらについてネットを中心に調べてみたところ、親からの影響だとか、愛情不足だとか、幼い頃に褒められてないだとか……そういった言葉が様々な場所で「あなたは悪くありません」と一緒に、頻繁に書かれていました。 確かに、親に褒められたことを思い出そうとしても出てきませんし、抱きしめられたり頭を撫でてもらったことも思い出せません。 けれど、10代の頃こそ親に愛されていないと思い込んでいましたが、今現在では「あれが両親の言うところの愛情だったのかもしれない」と思い当たる出来事も数個あります。 思っていたように育児がうまくいかず親も苦しかったのだろう、と、親へある程度の共感や理解もできるようになりました。 一方、考えれば考えるほど、どうしてあんなことができたのかなぁと不思議に思ってしまいます。 向こうが「愛情だ」と言っていても、私からすれば苦痛でしかありませんでした。 それでも、きっと両親は嘘をついていなくて、本気で私と弟を愛しているのだと思います。 頭では「愛されていた」とわかっていますが、完全に割り切れているわけではありません。 親に裏切られたこと、傷つけられたこと。それらを忘れることもできなければ、許すこともできそうにありません。かといって、縁を切るほど憎みきれているわけでもありません。 本題に戻りますが、 私の持っているトラウマや自己肯定感の低さ、希死念慮、そういったものを全部親のせいにしても良いのでしょうか。 みんなの言う通り、私の努力不足や能力不足だったり私が怠けているだけではないのでしょうか。 また、愛憎半ばな親にはどう接すれば心身穏やかに暮らすことができるでしょうか。 実家から出るメリットが「親と離れられる」しか思いつかず、且つそれが(少なくとも今は)特別大きなメリットでもないため、心構えなどを中心にお言葉をいただけるとありがたいです。

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自分自身と向き合う

いつも大変お世話になっております。 ハスノハは私の心のささえです。 今回ご相談させていただきたいのは「自分自身と向き合う」ということです。 お恥ずかしながら私は、いい年なのに精神的にとても未熟で、子供の頃から大人になるまで本当に様々な罪を重ねてきました。 二十代前半までは人にしてきた事よりされてきたことへの苦しみ、三十路の今はされた事よりしてきた事への後悔で毎日苦しんでいます。 こんな私のことを大切に想ってくれる人を裏切り、私利私欲の為に利用したり、自分がされて嫌なことをしてしまったり。 自分の欲望を抑えられず、後先考えず衝動で動き、無知さで大きな過ちをしたり。煩悩の塊です。 あの頃は、ただひたすら目の前にあることしか考えられなかったのだろうと、今は思います。 過去は幻、未来は妄想、過去に執着して今を放棄するのはとても愚かだなと頭ではわかっていますが「あぁ、なんであんなことをしてしまったんだ」と過去の自分を恨んでしまいます。 そんな過去の自分や今の自分としっかり向き合い、これから清く正しく生きていきたいです。変わりたいです。 しかし、今まで見て見ぬふりをしていた気持ちや過去と向き合うということが、こんなに苦しく大変なのかと悩んでいます。 自分自身と向き合い変わっていくためのアドバイスをいただきたいです。 まとまりのない文章で申し訳ありません。よろしくお願いします。 (以前、別のご相談させていただいたときに教えていただいた懺悔は今後も続けていきます)

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自分らしく生きたいけど怖くて不安です

私の母は専業主婦で、今まで私にたくさん時間をかけてくれました。しかし、かけ過ぎて私自身がどうしたいのかが今までよく分からないまま過ごしてきました。 母は強要はして来ないけれど、気付いたら母が敷いたレールの上にいたような感じです。高校は母が見つけた高校に通っており(自分でもきちんと気に入った高校ですが)、母が推す就職に強い地元の大学、福利厚生が手厚い大企業に入り、結婚相手を見つけ、子供を産むという人生にこのままだとなりそうです。 今までは私もその人生を望んでいるつもりでしたが、最近、老後の資金のためにお金に関する本を読み始めたところ、私は母の考え方に流されすぎているのではないかと気づき、自分が本当にやりたいことを考えてみました。 私は地図を眺めることや旅行計画を立てることが大好きなので、そのようなことを仕事にしたいし、結婚はそこまでしたいとは思いません。まだ自分のやりたいことがしっかりとまとまっていないのですが、少なくとも母の思い描く人生をそのまま生きるのは嫌だなと思うようになりました。 しかし、今まで私は世の中の一般的な親子よりも長時間母と過ごしてきたので母が思い描く人生から外れると幸せの保証がなくなる気がして怖いです。一種の洗脳のようなものなのでしょうか…。これからの人生を、自分が行きたいように生きていく勇気が欲しいです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ