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幸せになることと、真実を知るということ

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有り難し有り難し 10

真実を知る!ということと、幸せになれる!は必ずしも一致しないと思います。

何故なら幸せとは不幸せと裏表のような関係であり、どちらか一方のみでは成り立たないからです。毎日が幸せだとしたら、それは幸せではなく当たり前に。^_^

真実とはなにか、と言ったときに、それはあまりにも平凡で何も高尚なことはない、そのままの剥き出しのままのこと。。幸せとか不幸とかの判断もそこには介入しません。介入したとしても、それもまたよしですが。

真実を知ること=幸せになることだったら素晴らしいとは思いますが、イコールではないと私は思います。

これを綺麗すぎる言葉であたかもイコールしているかのように言ってしまうとスピリチュアルな探求へ陥ります。
(真実を知ることが愛であり究極の幸せだ、、みたいな)

そして別に衆生はそれ(真理)を求めていないと思います。
もっと、単純に、幸せになりたい。ただこれ一点かと。

そこのところ皆様はどのような視点をお持ちですか?

楽になりたいのなら沢山の手段があります。セラピーでもカウンセリングでもヒーリングでも。
思い込みを外すワークや、思考を客観視するワークなどなど。。
仏教はそういったアプローチも含んでいるように感じているのですが違いますか?

癒しと真理探求は逆のベクトルを指しているように感じたので疑問が湧きました。
どうぞよろしくお願いいたします(*^_^*)


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「最高真理=涅槃到達=最高の幸せ」

有未様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「幸せ」につきましては、これまでにも下記の各問いにて扱わせて頂いておりますが、基本的には、仏教の目指す「幸せ」と、世間世俗一般における「幸せ」とは、やはり異なるものであると考えております。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/幸せ

「・・世間の八法(利得、損失、称賛、非難、誉れ、誹謗、楽、苦)に本当の幸せを見いだすことはできない、本当の幸せ、つまり、仏教における悟り・涅槃へと至ることが、真に幸せとなるために必要であるとして、そのための道を釈尊はお説きになられた次第でございます。・・」

究極の幸せとは、何かということを、世間の幸せ、不幸せと相対して考えてしまうと、確かに答えは難しいものになってしまうかと存じます。

では、仏教の考えている究極の幸せとは何かと申しますと、「ニルヴァーナ」の状態、つまり、「涅槃」となります。

「ニルヴァーナ」の原意が、「吹き消す」、「吹き消した状態」として、「寂静」、「寂滅」と訳されることもありますが、迷い苦しみ、あるいは、煩悩、無明(根本的無知)が完全に滅した状態のことを言います。

その涅槃へと到達するためには、やはり、真実、真理を悟ることが必要条件になると考えております。

そのため、「(最高の)真実を知ること=(究極の)幸せになること」という「幸せ」は、仏教の場合、「涅槃に至ったこと」として、やはり、イコールと考えられるのではないかと存じます。

もう少し「真実、真理を悟る」ということについて説明するならば、仏教の場合、「空」を十全に悟るということになるのではないかと存じております。また、「空」の正しい理解へと向けては、「縁起」の理解も必要となります。「空と縁起」の正しい理解へと向けた智慧と共に、福徳(功徳)をも円満に集積することで、真なる幸せとなる、涅槃へと向けて、是非、共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

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あなたの場合、安らぎ・幸せという言葉も捨てた方がよい。

こんにちは。(´▽`*)
上手に分類なさっておられますね。
ちょっと気になったのですが、実際のところあなた自身が斜に構えている感があるような気がします。まず、あなたの人生の主体はあなたですから、あなたが幸せであればそれでいのです。実際、ぶっちゃけ、あなた、本当に本当のところは完全に幸せじゃないでしょう。
一抹の❝オニギリ❞が感じられましゅる。
分析の方を楽しんで真に安住していない感じがします。
今の私の言葉で後でグラつくようでしたら、軌道修正をなさってください。
癒しと真理探究<救い>はもちろん違います。
いくら🐈カフェ、アイドルの追っかけ、スパ、アゲアゲ・ヨイショヨイショなカウンセリングやセラピー、仏道修行らしきもので癒されたって、翌日どうか?ってことですから。
「坐禅三年ヨガ三年スピリチュアル三年結果残念」では人生棒に振ります。
「今、アタシ、本当のところ、どうか?」
実際ぶっちゃけ、どうだろうか?その問いを持つことです。
これは他人ごとではなく、自分の上において、本当に「どうか?」なのです。
癒しは長続きしないものです。
分析知は分析知。
本当に救われがなければ、いくら幸せチェイサー、安らぎ探求化になって真理の追求しても、どうしてもそこにファミコンのグラディウスのオプションのように(その喩えワカラン)観念という影がずーっと影の如く付随してきてしまうのです。
幸せと不幸せは表裏一体と言われますが、本当の本当の幸せ、本当の本当のやすらぎというものは、対がなくなります。観念的な相対ではありません。事実的絶対です。
認識、分別に移行される前のそれとしてどっしり安住しているからです。
それは幸せで穏やかでありながらも、余計な観念オプションが影のようについて回っていないのです。

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そりゃそうです。

こんばんは。いつもシンプルで良く錬られたな問いかけをいただき、刺激を受けております。
 さて、「真実を知る」は、「幸せになる」と一致しない、どころか相反すると思います。なぜなら、「真実」とは「幸せ(と人々が感じること)は、手に入れきれないものである」ということだからです。「手に入れきれない」とはまどろっこしい言い方ですが、「完全に手に入れることができない」というニュアンスです。

 衆生は、もっと、単純に、幸せになりたい。

 ハイその通りです。しかし、彼らが信じている「幸せ」は、どこから教えられたのか?生きる本能なのか?なぜ「その状態を幸せと言う」を受け入れているのか?
 而して仏教は、「世間一般のいう”幸せ”は追求しきれないよ。そのことを受け入れた先に、開けてくる世界があるよ」と言っているのだと思います。

 と書いて、ふと下を見たら、すでに「お礼」がされていますね。大変失礼しました。でも消すのももったいないので(煩悩!)、ここまま書かせていただきます。失礼しました。

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一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...

質問者からのお礼

川口さま
ご回答いただきましてありがとうございました。
はい!仏教が目指す幸せ(涅槃)と、一般で言う幸せ(不幸の逆)が混同してしまいました!
違う言葉を選べばよかったですね。ごめんなさい。
ご回答の内容は私も同じ意見です(^_^)
感情的な「幸福感」や「至福感」は悟りと関係がない、イコールではないということが書きたかったです^_^

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自分しか愛せないこんな自分なんて

お久し振りです。 最近また特に理由もなく心身共に疲れ気味で、時折ここへ立ち寄らせて頂いてました。 その中で一つわかったのは、私は不幸なんかじゃなかった。不幸だとしたら、自分以外に愛情を持てない自分自身のせいだ。 少しくらいいじめられたのも、親とかの厳しい言葉も、彼氏できないのも、自分を「不幸にして」嘆き続けるための言い訳に過ぎなかった。私自身が悪いかもしれないのに。 そんな私も、許してもらってきたのに。 しかし、わかったからといって果たして人並みに自分以外も愛せるのでしょうか。 よく本にも書いている以上、「認められ幸せになるには、自分ばかりでなく他人のために努力すること」というのは本当なのでしょう。道徳的には当たり前かもしれない、しかし皆が皆そう生きれるわけでもないと、どうせ最後には誰もが自分を最優先するはずだとか嫌な考えにばかり行き着いてしまいます。 そんな中でわかっていったのです、私は異常なまでに自分中心の人間だと。 それどころか、本当はそもそも自分さえ好きとか愛してるわけでもない、そうするのは難しいです。私もともと「病的なほど死にたくない人」で、自己保存で頭が一杯で、結果的に他人を丁寧に扱えず、感じが悪いと思われがちなのでしょう。ついでそんな性質のおかげか、リスクや苦痛を避けまくり、挑戦を拒む自分にもモヤモヤが止まりません。 死にたくないあまりに生を楽しめないなんて…さらに自分で孤独感を深めてしまうのです。 hasunoha様と出会ってから、何もしてこなかったつもりはありません。おかげ様で、少しは変わったかもしれません。 それでもまだまだ努力というほどのことはできていない、人のための行為なんて尚更… つまり、思い遣りとか、共感力とか、そういうものが身に着くものなら着けたいのです。

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独身時代結婚したいと思いながらもなかなか良い相手に巡り合えず、結婚する気ありますよと9歳上の紹介された人に結婚するする詐欺にあって結婚できずに人生をめちゃくちゃにされて(結局その男性は結婚する気がなく私と遊びの関係しか持ってくれず、最後は連絡先を変えられて終わった仕事は多分できただけの人でした。その人のこと思い出すと今でもひどいなぁと涙が出てしまいます。。。気持ちだけは懲らしめてやりたいと。実際には出来ないですけど。) その後仕事も変えて、その後婚活でやっと結婚して、子供が生まれ、子育てをしながら、旦那の帰りを待つ毎日を送っています。 自分の夢を叶えたはずなのに、何か苦しいんです。 もちろん100点満点ではなく、子供が男の子を希望してたけど女の子だったとか、結婚してすぐ転勤になったとか思い通りに行かなかったこともたくさんあります。 でもそれを除いても、一般的な家庭を築けたこと夫が優しいことなどを考えると幸せなはずと思うのです。 でも、そんな毎日を過ごしてみて、何か苦しいんです。 ただ漠然と…周りは出産しても職場復帰して子供を保育園に預けて働いてる人だったり、離婚した後、新しい彼氏と同棲してもう少しで結婚の挨拶に行く人だったり、何かそんな目標に向かっている人たちがいいなぁって思います。 とはいえ、生後すぐの子供を抱えた私には、職場復帰も出来ずで、出来ることといえば、資格を取ることくらいで、試験は申し込んだのですが、1歳と生後すぐの2人の育児をしながら勉強するのはなかなか大変です。 そして気のせいなのかなとも思うのですが、最近車に傷が増えたなぁってショックを受けています。私も夫も当てていないのに…今はコロナで転勤して他県ナンバーだからなのかなとも思ったりしますが…。 そんな小さいことでドキドキしたり悩んだり、してしまいます。 幸せってなんだろう?自分が描いていた幸せを手に入れたはずなのに、何故か苦しい時があるんです。 これって一体なんなのだろうって思ってしまいます。 この裏腹の気持ちの原因と対処法を教えてください。

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