祖父母まで馬鹿にされたようで許せません
はじめまして。よろしくお願いします。
友達にされた事で、どうしても許せないことがあるのですが、その気持ちを手放して楽になりたいと思い相談させていただきました。
許せないこととは、私が住んでいる祖父母宅に友人二人を招いたときに起こったことです。
祖母は孫の友達が来るからと張り切って準備をし、一人暮らしをしている友人を気遣って、畑で採った立派で新鮮なきゅうりの斜め切りと、「若者向きの料理は何がええかねえ」と考えて作った唐揚げでもてなしました。
しかし、料理を出した瞬間、友人の一人が「えっまじかよ」と言ってソワソワニヤニヤし始めました。
私ともう一人の隣県出身の友人は何がおかしいのかよく分かりませんでした。
その子にどうしたのかと問うと、「地元では大きいキュウリは煮物にして食べるものだ」ということを言いました。
また、トイレと手洗い場に勝手に行くなどして祖母を困惑させました。
その後、この人が私の祖父母宅でこのような態度を取ったことには理由があった事がわかりました。
それは、私が以前その人の家に泊まらせてもらったときに、許可なく手洗いを使ってしまったことでした。
私は自分が失礼なことをしてしまっていたことを恥、その事について真剣に謝りました。
その人は、もう私の全てが嫌になっていたようで、「謝るとかじゃなくて関わらんでほしい」と言われました。
そのため、その後は挨拶程度の付き合いにし、許してもらえなくとも、自分の誤っていたところを直していこうと思い、行動していました。
しかし、その人の周りの人に無視をされるようになったり、ほかの苦しいことが重なるうちに、
友人であった頃にされていた素っ気ない態度や、その人が「遠ざけたかったからだ」という理由でやっていたことを思い出してしまうようになりました。
やられた事をいつまでも引きずっている事が嫌で苦しいです。
しかしその一方で、祖母のもてなしを踏みにじられたことさえも受け入れるべきなのだろうかという疑問があり、怒りを捨てきれません。
どうか、アドバイスをお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
かけた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻め
仮にテトアレさんにマナー違反(?)らしき行為があったとしても、相手の価値観を受け入れて「自分の非礼」をお詫びしています。いつまでもそのことでとやかく言われる謂れはありません。そのことと今回のことは、本来は無関係のことです。それをいつまでも引きずっている「エセ友達」は、性格悪いですね。質問を読んではっきり言って、無理して友達で有り続ける必要は無いと感じました。まあ、性格が悪くても、何故か社交性があったり人脈が豊富であったりという方も少なからず居ます。急いで「国交断絶」する必要はありませんが、適当に距離を置くことですね。そして、話の分かりそうな友人知人には、悪口と受け止められないように注意して、「エセ友達」の言動や態度の問題点を伝えておき、「エセ友達」が好き勝手な悪口を言っても上手く周囲から打ち消してもらえるような状況を作りましょう。
誰もがそれぞれの生まれた環境や家庭の状況や地域の状況によって、人生経験が異なってきます。それ故、我が家の常識が世間では通用しない。自分の生まれ育ってきた街の常識が隣町では通用しない。そいうことはたくさんあります。自分を過信する事無く、かと言って引っ込み思案になる事無く、何事も勉強の場と受け止めて一つ一つのことに謙虚な気持ちで臨んで行きましょう。経験値の少ない方にはやさしく教え、物知りな方には謙虚に教えを乞う。これがあるべき姿だと思います。「エセ友達」の行為は、これとは真逆ですよね。
友達と言っても、相手の全人格を理解して友達付き合いしてきたわけではないと思います。あなたや祖父母が誠意を以てもてなしても、その気持ちを受け止めてくれる人も居れば、その気持ちを受け止めることが出来ない人も居ます。表題の「かけた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻め」という格言を味わってみてください。
以前、私のブログにこの格言のエピソードの話を紹介したことがありますので、これも参照してみてください。
『布施とはむさぼらざるなり』 https://blogs.yahoo.co.jp/dorinji/31599993.html
質問者からのお礼
吉田俊英様、お忙しいところ御回答を下さり、ありがとうございます。
回答を拝見して、かけた情に拘っていた事と、私の怒りは勝手な怒りだった事に気付きました。
それは、この格言のエピソードの「お父さん」の姿勢が祖母の姿勢と同じだったことを思い出したからです。
祖母は、その人の態度に戸惑ってはいましたが、私がその時のことを思い出して怒っていても、「まあ、ウチはただもてなしたいってだけだったけんね」と言っていました。
祖母のその言葉を聞いたときは、「婆ちゃんの純粋な善意が踏みにじられたんだ」と怒りが増すばかりでしたが、
本当はエピソードの女性のように勝手に怒っていた自分に気づくべきだったのだと思います。
祖母は気にしていなかったのに私ばかり怒っていることが、今更ながら恥ずかしいです。
もう、この怒りは水に流してしまおうと思います。また、水に流すことは悪いことではないのだと思えました。
周りの人には、幸いなことに、笑顔で楽に付き合える人たちもいます。その人たちがしてくれたことを、心に刻んでいこうと思います。
ずっと抱えていた葛藤を解決する糸口が見えた気がします。
本当にありがとうございました。