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最愛の彼氏を病気で最近亡くしました。

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彼は8月に離婚してまだ奥さんの物がたくさん家にあったり、多分まだ奥さんも家にきたりしてるみたいでした。
先月入院する日に、用事を頼むかもと私に鍵を渡してくれました。それからは彼のマンションに行く事もなかったんですが、亡くなって1週間位経ってから夜中に、彼の私物が欲しくて行きました。多分、弟夫婦とかがもうだいぶ片付けていてあんまり何もなかったです。また一度行こうと思ってるんですが、やっぱりこれはダメな事でしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

一応、許可をもらったほうがいいかと

鍵を預かっているとはいえ、弟さん?に許可をもらってから堂々と行きたいですね。
ただその彼の私物は貰ってどうするのでしょうか。ものはなくとも記憶の中で生きているものです。
いずれにせよ、勝手に出入りしては後々良くないことになりそうですね。

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禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

家族 それは何十年来の付き合い

8月と言うとまだ三か月前ですか。
離婚したばかりですね。
色々複雑事情があったのでしょうか。
おいくつくらいの方だったのでしょうか。
いずれにせよ、おそらく一番悲しんでおられるのは、お母さん、お父さん、弟さんだと思います。
あなたよりもずっと昔から一緒に過ごしてきたのでしょうから。
奧さんにはお子さんはいなかったのでしょうか。
あなたにとって「こうしたい」ということがあっても、まずご家族を最優先で行動してあげてください。
_(._. )_

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがとうございます。 こないだ一度行ってしまった時に彼と彼のへその緒とか、唯一何着かまだあった中のスーツを少し私がお酒を飲んで行っていたので持って帰ってしまい、やっぱり悪かったかなと思って返しにもう一度だけ行こうとおもいました。
たしかに多分自分でもそれだけではない気持ちもあります。
だけど、一緒によく居るようになったのはホントにここ2ヶ月半くらいでしたしマンションにも私の物やそこまで思い入れのある物もないけど、それくらいは許してくれるかなとも思って。
弟さんには病院と葬儀くらいしかお会いしてなくて、彼から入院中に万が一の時には私に連絡して欲しいと弟さんに番号を言ってくれてたんでお墓の場所だけまた教えて欲しいと伝えました。
もうマンションには行くことはないと思ったけど、やっぱり返しに行ってみようと思います。

丹下さんありがとうございました。彼は51歳でした。前の嫁は40歳で、私は35歳です。彼はバツ2で1番目の奥さんとの間に1人娘がいて20歳くらいです。2番目の人とは7年くらいだったみたいで子供はいません。どうも2年くらいまえから前嫁となにかありだしたようで、病気もその頃から徐々に悪くなってたようです。彼の入院中に家のベッドを壊されたり、昨日知り合いに聞いたら前嫁が以前他の男と腕をくんで歩いていたそうです。
彼の母親は彼が亡くなる1ヶ月まえくらいに、離れた所の施設みたいな所で亡くなりました。
弟さんは悲しんでると思います。
私は彼との時間が短かすぎて、思い出も思いでのつまった物も無くてもの凄く寂しくて。。離婚の時からずっと入院して亡くなるまでほぼ毎日一緒にいました。
病気が悪化してきて話しもできませんでした。居なくなってしまったわけじゃないとよく聞きますが、本当にまた会える時がくるのでしょうか。
今だに1人になってしまったと思うと、どうしよ、どうしよ、とばかり言って息がつまりそうになります。

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