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大切な人の死に目に会えなかった

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今日、大切な祖父が膵臓癌で亡くなりました。
3年前に余命宣告を受け、何度も何度も
「あと○ヶ月、今月いっぱい」といわれながら長生きしてくれました。
離婚した両親の代わりに親代わりに私を育ててくれました。
そんな大切な祖父の死に目に私は会えませんでした。
昨日までは側にいて、帰る時に
「じいちゃん、帰るよ。ありがとうね」と言った私の言葉に
『わかった』と返事をしたのを最期に亡くなったそうです。

私は自分の都合を優先してしまって、祖父の側から離れてしまい、死に目に会えませんでした。
今更ながら後悔しています。
おじいちゃんは悲しんでいないでしょうか。。。
こんな孫をもって悔しがっていないかな。。。

おじいちゃんはひとりしかいないのに
なんて馬鹿な事をしてしまったのかと、心がきゅうっと締め付けられます。
「ありがとうね」なんて言わなかったら
まだ生きていてくれたかも、などと思ってしまいます。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

私も親の死に目に会えませんでした

来年の一月、父の一周忌です。
家族全員、父の死に目には会えませんでした。
あなたもでしたか。
お互いに悔いの残ることですね。

おじいちゃんが一番嫌がること、それは家族に迷惑をかけたくないということです。
あなたが無理をせず自分のことを優先してくれたおかげで、おじいちゃんは心安らかだったのです。迷惑かけずに済んだと安堵したのです。
おじいちゃんの気持ちをわかってあげてください。
やがておじいちゃんは瞼の裏にあなたの顔を見ながら逝きました。あなたに看取られながら逝ったのです。
おじいちゃんは一人寂しく逝ったのではないのです。

そう思いませんか、そう思うことにしませんか。

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「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れ...
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ご供養

みゆ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

誠に別れとはつらいものです・・ましてや愛する者となりますと、よりつらいものがございます。

いつか来る別れへと向けて、それまで十分にみゆ様はみゆ様のできることをなさられてこられたのではないかと存じます。死に目に会えなかったことだけで、ご自分をそんなに責めないで頂きたいと存じております。

そして、感謝の言葉もそれまでに多くお伝えになられているのではないかと存じます。祖父さまも、きっと心の中で、「優しい良い子に育ってくれた」とあなたに感謝し、安心されていたのではないかと存じます。

大丈夫です。祖父さまは、きっと、死に目に会えなかったことで、悲しんだり、悔しがったりはしていないことでしょう。

どうぞ、これからもしっかりとご供養をなさられて下さい。そのご供養も供(とも)に養うということで、祖父さまと供に、(仏さまの世界、悟り世界へと向けた)善き行いを養っていくことが大切となります。

まあ、あまり小難しいことは申しません。とにかく、祖父さまにお育て頂いたことに感謝し、報恩の思いも抱かれつつに、みゆ様がお幸せに過ごされることが、何よりの祖父さまへの善きご供養になるとお考え頂けましたら有り難くに存じます。

みゆ様のお幸せを誠に祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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おきもち


質問者からのお礼

川口英俊様
質問へのご回答ありがとうございました。
無事に初七日をお寺に行って手を合わせる事が出来ました。
(お経を読んでもらっている時におばあちゃんの数珠が千切れたのにはドキドキしました)
たくさん涙を流しましたが、火葬をして仏様になったと思うと自然と涙も止まりました。
生前、自分なりに感謝の言葉を伝える事はありましたが
おじいちゃんに育ててもらった事を考えるとまだまだ感謝が足りなかったなぁ…と思います。
これからは、おじいちゃんの分もおばあちゃんに感謝をして
幸せに過ごしていきたいと思います。

* * *

四次元 法華塔 様
質問へのご回答ありがとうございました。
おじいちゃんは自分の好きなようにやりたいようにして生きている人でした。
嵐だろうとなんだろうと、家にじっとしている事が出来ず、あっちこっちへ出かけている人で
癌で身体が動かなくなっても「免許更新に行く」と言って聞かない人でした。

お葬式でお通夜•お悔やみで400人を越える方がおじいちゃんのお見送りに来てくださいました。
それだけたくさんの人のところへ行っていたんだなぁ…と思うのと同時に
「みゆちゃんだよね?じいちゃんがいつも話してたよ」
とたくさんの方から声をかけ、本当に大事にしてもらえていたんだなと嬉しかったです。

たくさんの人に見送ってもらえて
じいちゃんは幸せだったと思います。

「身近・大切な人の死・亡くした後悔」問答一覧

息子を亡くし、他にも嫌なことばかり。

こんにちは。 昨年、息子を亡くしました。 緊急帝王切開で産まれたのですが、15時間後に亡くなりました。たった1日も生きることができませんでした。寂しくて、苦しくて、一生立ち直ることはできません。1年経ってもこうですので、今後も心から何かを楽しめる気がしません。 その後、詳しくは言えませんがものすごく腹が立つことが立て続けに起こりました。こちらの責任でもあります。しかし、考えれば考えるほど「相手にも非がある」と思ってしまいます。責任は認めて謝りましたが、相手から言われた色々なことばに腹が立ちます。こちらに罪悪感を抱かせるための作戦だったのだと思います。 色々なことがあり、大金も失いました。 気持ちが少しでも楽になるよう、考え方を改めようと何冊か本を読み、前向きになることばをいくつかノートにメモしたりと、息子のためにもできるだけ毎日を充実させようとしていますが、寂しさ、怒り、虚しさ、悲しさなど色々な感情が入り混じって、毎日が辛いです。 元々時間を無駄にするのが一番嫌いなのですが、何をする気力も出ず、ぼーっとしてどんどん憂鬱になっていっています。 息子が生きていれば、とそればかり思います。生きていればそろそろ歩き始めるころだと思います。かわいかっただろうな、と息子のことを考えては寂しくなり、を繰り返しています。 明日死ぬと思って必死に生きないと!と思っていますが、元気がでません。毎日が憂鬱で憂鬱で仕方がないとき、どのように考えたら少し楽になるのでしょうか。

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両親を亡くして一年が立ちました。

二年前に父が余命宣告を受けました。 「話がある、早く帰って来い」 ぶっきらぼうなメッセージだと思いつつ、それに従い、いつもより早く帰宅した私。 ドアを開けると誰も死んでいないのにリビングはお通夜状態で、目に涙を浮かべながら強がる父と、すすり泣く母がいました。 膵臓ガンだと、完治する可能性は低いと、医者曰く余命は3ヶ月か半年だろうと。 母にどうしたいのかと聞くと「一緒にいたい」というので、父も母も仕事を辞めることに。 それから父と母はいつも一緒でした。 どこにいくのにも。 なにをするのにも。 「新婚みたいだね」とからかうと母は嬉しそうにしたあと、少し辛そうに笑ってました。 母は父のためになんでもしました。 外に出るときは父の荷物を母が持ち、支払いは母がして。 父が「あれが食べたい」と言えば作ったり、買ってきたりと。 そんな最後の新婚生活を送っていた時間だけはとても幸せだったのだと思います。 半年を過ぎたころ。 父の体調は一気に変化しました。 歩くだけで疲れるようになり、ベッドで横になっている時間が長くなっていき。 そして余命宣告から一年後に亡くなりました。 棺に入った父から 「お母さんがいたから半年も長く生きれたんだよ」 「ありがとう」 そんな言葉が聞こえました。 父を亡くした母はその後、大変でした。 葬儀中は気力で耐えてたもの。 昔の職場にも戻れるような精神状態でもありませんでした。 精神科にいくことを勧め。 私は普段の生活リサイクルを続けていました。 そんな、ある日。 母が亡くなりました。 脳梗塞だったと。 私が仕事に行ったあと、脳梗塞で倒れ、助けを呼べず、そのまま亡くなったのだと。 父が亡くなってから三か月後のことでした。 父の側にいた母は 父を最後まで救けていたのに 母の一番近くにいた私は 母になにもしてあげていなかった その事実だけが今も胸に残ります 母は生前から「人を騙したり、貶したり、憎んだり、憎まれるようなことはやめなさい」と言っていました。 母は自分のことを後回しして家族を愛していましました 母は私のことを愛していたのに、私は母を愛してあげれてなかった 私みたいな親不孝は生まれてくるべきじゃなかったと 母のことを想うと 自分の不甲斐なさで嗚咽がとまりません 私は生きてていいのでしょうか?

有り難し有り難し 19
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悲しみや無念な気持との向き合いかた

先月、母が癌で他界しました。 放射線治療で喉を痛めてしまい、治療中は胃ろうをして栄養を取っており、長い間ろくに好きなものも食べられないままの最期でした。 母は優しく正直な人で、人としても尊敬できる人です。 そんな母がなぜこのような形で早くに亡くならなければいけなかったのか、無念な気持ちが拭えません。 もっと早く病気に気づいていれば、治療中の選択ももっと違う選択をしてあげていれば、その他も生きているうちに○○してあげていれば…と後悔でいっぱいになってしまいます。 今まで過ぎた事はしょうがない、昔には戻りたくないという性格だったのに、母のことになると、元気な時や治療中の時でも良いから母が生きていたあの時に戻りたいと思うことが多くあります。 そう思う一方で、一番の願いは、心配性でもあった母に私達のことは心配しないで成仏してほしいという気持ちです。 このまま悲しんでばかりいたら、心配して成仏できるものもできなくさせてしまうのではないか? あんなに痛みに耐え、治療を頑張っていた母だから、これからは何も痛みや悲しみがない世界で安らか過ごして欲しいのです。 もう少しで49日を迎えます。 安心して成仏してもらうには、私はこの後悔や悲しみ無念な気持ちとどの様に向き合い、生活して行けば良いのでしょうか? お知恵をいただければ嬉しいです。 宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 6
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祖父の死が頭から離れません

1年ほど前に祖父が亡くなりました。コロナ禍で面会も限られた人しか出来ず、孫である私はほとんど面会できないうちに亡くなってしまいました。私の両親が家に連れて帰ってきてやっと会えました。私は看護学生で寮に住んでいるので祖父の様子をすぐに確認できる状況にはなく、亡くなったことも電話で知らされました。その時から後悔や罪悪感に飲み込まれて押しつぶされそうな気持ちが続いています。 亡くなってから1年が経ち、徐々にに消化できるかと思いなんとか頑張ってきました。しかし知識がつくにつれ「あの時こうしてれば」「祖父はすごく苦しかったのではないか」「もっと祖父の気持ちを尊重した最期があったのではないか」などの後悔が頭の中でいっぱいになるようになりました。特に、ターミナルケアの授業を受けたり紙上事例で祖父と同じような状況の患者さんが出てきたりするととても苦しいです。授業では私が出来なかったことを突きつけられてる様な気持ちになり、すごく責められているように感じてしまいます。看護について学習する度に罪悪感や後悔の気持ちを感じて苦しくなり、そのこと以外何も考えられなくなります。 病棟実習も、病棟や看護に対して漠然とした恐怖を感じてしまい行けなくなってしまいました。看護について考える度に思い出して苦しくなるなら、もう看護師になるのを辞めたいとも思い始めました。学校の先生からは、学校を続けるなら実習の補習は行う事はできると説明されています。両親とも話をしていますが、上手く言葉にできなくてこの気持ちを理解してもらうのが難しいです。こんなことで苦しくなって実習も行けなくなる私は甘えているのでしょうか。ずっと引きずっている私がおかしいのでしょうか。頭の中が整理できず、何も考えられません。どうやって気持ちの整理をつけて、どの道を選べばいいのか分かりません。

有り難し有り難し 4
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祖父の死でひとりぼっちに

私には生まれた時から父親と母親が居ませんでした。その代わりに、母親の祖父母が育ててくれました。 私が成人してからは祖父母が大阪、私が茨城に住んでおり、時折私が会いに行っていました。 ですが去年、祖母が亡くなりました。そして昨日、祖父も亡くなってしまいました。 祖母が亡くなる時は周りに叔母やいとこ、祖父がついており私も亡くなる直前に電話することが出来ましたが、祖父は昨日の朝方、突然、自分でも死ぬ事が分からなかったのではというくらい急に亡くなりました。 突然すぎて悲しみとそばにいられなかった後悔が大きく、でもいまそれを受け入れようとすると死んでしまいたくなるくらい辛くて寂しいです。 私の親友や友達が心配してメッセージを送ってくれましたが、こんなに辛くて悲しくて重い気持ちを話すのも申し訳なくどうしたらいいのか分かりません。 きっと時間が解決してくれると言うのは分かります、祖母の時はそうでした。 でも今回は祖父もいなくなり私の家族が居なくなったという事実が辛くてどうにかなってしまいそうなくらいつらいです。 また、周りの人には親がいて祖父母がいて、そんなみんなからの励ましですら辛いものとして受け取ってしまいます。そんな自分が嫌です。 ぐちゃぐちゃの気持ちで書いていてよく分からない文章でごめんなさい。誰かに聞いて欲しくて、助けて欲しいです。ごめんなさい。

有り難し有り難し 14
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彼女のお父さんがお亡くなりになられました

こんにちは。 昨日、私の彼女のお父さんが癌のためお亡くなりになられました。まだ若く70歳でした。 2年前の11月に年内までと余命宣告を受けておりましたが、お父さんの生きる気持ちが強かったのか余命宣告を受けた後もしばらくはとても元気に生活をされていたと聞いています。 ここ数ヶ月は体調の悪化で入退院を繰り返し、後半は酸素マスクが必要な状態となっており、私もそのタイミングで初めてご挨拶をさせていただきまして、そのちょうど1週間後に息を引き取られました。 彼女は、お父さんがいなくなった悲しみや「余命宣告されてから2年間もあったんだからもっとお父さんの写真や動画を撮ったり、親孝行しておけばよかった」といった後悔を感じているようです。 こうした悲しみや後悔の心の状況にある彼女にお坊さん方から、何かお言葉をいただけると幸いです。 また、これからもっと想い出を作っていきたかっただろう彼女の気持ちや、お会いした時のお父さんの顔を思い浮かべると私自身も辛くなる時があります。 私の心の持ち方や彼女にこれからどう接していくのが良いのかも合わせてアドバイスいただけたらなと思っております。 どうぞ、よろしくお願いいたします。

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祖母が亡くなり1年と少し

大好きな祖母が昨年の夏前に亡くなりました。 入院する前日もいつものように畑弄りをしていたのに、それから1週間も経たずに居なくなってしまいました。 小さい頃からずっと世話をしてくれたとても優しい祖母です。私の知らない戦争や災害、多くの苦難や努力を積んできたとても素敵な人です。 まだ、何も返せていないのに突然いなくなりました。 通夜や葬式ではたくさん泣いたのに数日もすれば日常に戻っていました。薄情なものです。 時が経って今更また涙が出てきます。何年も引き摺るのは良くないと友人にも呆れられました。なぜ今になって祖母との思い出が蘇るのか私にも理解できません。それでも、遺品整理の時に出てきた写真や着物。おぼろげながら覚えている、新聞紙で折った沢山の不格好な折り紙たち。 そんな物、大事に大事にとっておいてくれてたんだなって。 何も、返せませんでした。たくさんくれたのに。何もしてあげられませんでした。 ちゃんと仏弟子になれたのかな、とかあっちでも勉強熱心なのかな、とか色々考えてしまいます。 今更後悔しても全く意味がないのに、考えるだけ考えて勝手に落ち込んで。 私はどうしたいんでしょうね。 またここに顔を出して、いつも人に頼ってばかりです。 こんな馬鹿な私を叱ってください。

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夢で何度も父が死んでしまいます

以前こちらで、父が亡くなった際に私が父にかけた最期の言葉がよくなかったと、後悔していると相談させて頂きました。 その際はありがとうございました。 こちらで頂いた言葉が私にとって救いとなりましたので、また相談させて頂こうと思います。 父が亡くなり、1年以上が経過しました。父が亡くなってから今日まで、何度か父の夢を見るのですが、夢の中の父はいつも死ぬ前の病気で弱った姿です。 夢の中で私は何度も父にお願いだから長生きしてくれ、病院に行ってくれと頼むのですが、それを聞きいれてくれる時もあれば、聞き入れてくれない時もあります。 そしてそのどちらのパターンでも、私は夢の中で、ああ、この人はもうすぐ死ぬんだ、と思っています。 泣きじゃくりながら起きる時もあれば、夢の中でも父に会えてよかった、と思う時もあります。しかし、その後でとても辛い気持ちになるのです。 父の死を何度も何度も体験している気持ちになります。 実際に私の父は、鬱を患っていたと思うので、生前、病院に行ってくれと言っても行ってくれませんでした。自ら死を選ぶようにゆっくりと弱っていき、亡くなりました。 目の前で弱っていく父の姿と、それに対して何も出来ない自分のもどかしさ、辛さ、がトラウマになっているのだと思います。 また父にかけた最期の言葉がよくなかったことや、父のつらさに気づいてあげられなかったことが、私の中で後悔としてずっと残っているのだと思います。 夢の中で会うにしても、元気だった頃の父に会いたいと思います。 そうでないと、私の中の父のイメージが、病気で弱った頃の姿で定着してしまう気もするのです。 父は写真を撮るのが嫌いで、元気だった頃の写真もあまりありませんので、写真で思い出すということもできません。 私の中で生きる父の姿が、私のトラウマになってしまいそうで怖いです。 どのような心の在り方をすれば、弱った父の姿ではなく、元気な父を思い出せるのでしょうか。 また、私の中にある父の衰弱していく姿のトラウマを克服できるのでしょうか。 夢でいいから、元気な父に、もう一度会いたいのです。

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