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大切な人の死に目に会えなかった

回答数回答 2
有り難し有り難し 72

今日、大切な祖父が膵臓癌で亡くなりました。
3年前に余命宣告を受け、何度も何度も
「あと○ヶ月、今月いっぱい」といわれながら長生きしてくれました。
離婚した両親の代わりに親代わりに私を育ててくれました。
そんな大切な祖父の死に目に私は会えませんでした。
昨日までは側にいて、帰る時に
「じいちゃん、帰るよ。ありがとうね」と言った私の言葉に
『わかった』と返事をしたのを最期に亡くなったそうです。

私は自分の都合を優先してしまって、祖父の側から離れてしまい、死に目に会えませんでした。
今更ながら後悔しています。
おじいちゃんは悲しんでいないでしょうか。。。
こんな孫をもって悔しがっていないかな。。。

おじいちゃんはひとりしかいないのに
なんて馬鹿な事をしてしまったのかと、心がきゅうっと締め付けられます。
「ありがとうね」なんて言わなかったら
まだ生きていてくれたかも、などと思ってしまいます。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

私も親の死に目に会えませんでした

来年の一月、父の一周忌です。
家族全員、父の死に目には会えませんでした。
あなたもでしたか。
お互いに悔いの残ることですね。

おじいちゃんが一番嫌がること、それは家族に迷惑をかけたくないということです。
あなたが無理をせず自分のことを優先してくれたおかげで、おじいちゃんは心安らかだったのです。迷惑かけずに済んだと安堵したのです。
おじいちゃんの気持ちをわかってあげてください。
やがておじいちゃんは瞼の裏にあなたの顔を見ながら逝きました。あなたに看取られながら逝ったのです。
おじいちゃんは一人寂しく逝ったのではないのです。

そう思いませんか、そう思うことにしませんか。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

ご供養

みゆ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

誠に別れとはつらいものです・・ましてや愛する者となりますと、よりつらいものがございます。

いつか来る別れへと向けて、それまで十分にみゆ様はみゆ様のできることをなさられてこられたのではないかと存じます。死に目に会えなかったことだけで、ご自分をそんなに責めないで頂きたいと存じております。

そして、感謝の言葉もそれまでに多くお伝えになられているのではないかと存じます。祖父さまも、きっと心の中で、「優しい良い子に育ってくれた」とあなたに感謝し、安心されていたのではないかと存じます。

大丈夫です。祖父さまは、きっと、死に目に会えなかったことで、悲しんだり、悔しがったりはしていないことでしょう。

どうぞ、これからもしっかりとご供養をなさられて下さい。そのご供養も供(とも)に養うということで、祖父さまと供に、(仏さまの世界、悟り世界へと向けた)善き行いを養っていくことが大切となります。

まあ、あまり小難しいことは申しません。とにかく、祖父さまにお育て頂いたことに感謝し、報恩の思いも抱かれつつに、みゆ様がお幸せに過ごされることが、何よりの祖父さまへの善きご供養になるとお考え頂けましたら有り難くに存じます。

みゆ様のお幸せを誠に祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

質問者からのお礼

川口英俊様
質問へのご回答ありがとうございました。
無事に初七日をお寺に行って手を合わせる事が出来ました。
(お経を読んでもらっている時におばあちゃんの数珠が千切れたのにはドキドキしました)
たくさん涙を流しましたが、火葬をして仏様になったと思うと自然と涙も止まりました。
生前、自分なりに感謝の言葉を伝える事はありましたが
おじいちゃんに育ててもらった事を考えるとまだまだ感謝が足りなかったなぁ…と思います。
これからは、おじいちゃんの分もおばあちゃんに感謝をして
幸せに過ごしていきたいと思います。

* * *

四次元 法華塔 様
質問へのご回答ありがとうございました。
おじいちゃんは自分の好きなようにやりたいようにして生きている人でした。
嵐だろうとなんだろうと、家にじっとしている事が出来ず、あっちこっちへ出かけている人で
癌で身体が動かなくなっても「免許更新に行く」と言って聞かない人でした。

お葬式でお通夜•お悔やみで400人を越える方がおじいちゃんのお見送りに来てくださいました。
それだけたくさんの人のところへ行っていたんだなぁ…と思うのと同時に
「みゆちゃんだよね?じいちゃんがいつも話してたよ」
とたくさんの方から声をかけ、本当に大事にしてもらえていたんだなと嬉しかったです。

たくさんの人に見送ってもらえて
じいちゃんは幸せだったと思います。

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