先日母が急死しました。母親は納得できているのでしょうか
らららら社交的で、思った以上に頑張り過ぎてしまうことが多く頼まれて断りきれず始めたラーメン屋さんの仕事、、ボランティアでしてた国税調査 孫の面倒 辞めている会計士の頼まれた仕事ほか多数、本当にするべき事が多すぎて忙しかったと思います。いつも、走り回り誰かのため自分の事は後回しにして、人のために走り回る母でした。亡くなる前の日、私は次の日子供を見てたもらうため実家に泊まっていました。お風呂入ってる最中に脳内出血が起き朝お風呂場で倒れてるところを見つけました。朝父親が叫ぶ声に慌ててお風呂場に行きました。給湯の音が夜中にもなっていたのは知ってました、、でも、、また、夜中にお風呂に入ってるんだなとしか思わず見にも行きませんでした。お風呂に入らなければ、入ったとしても私がすぐに気になって見に行っていれば、どーにかなったのではと、、なぜ見に行かなかったのか、、そんな事ばかり考えてしまい 母の最後があまりにも虚しく。前の日の夜、風邪気味で熱も少しあったため、、早く先に寝てねーっと言ったのが最後、、お休みと目も合わさず、しんどそうに部屋に行きました。あの頃から、もう予兆は見えてたのかもしれません。、でも、何を言っても後のまつりです。母は帰ってきません。時間よ取り戻したいと何度も思いました。父のことも心配です、急だったため、なんの心構えもなく、お風呂場で目に入った光景は、未だに忘れられません。ただ父親と一緒に母の死を分け合えたこと、死を2人で受け入れ救急車を呼び兄夫婦を呼びに行ったり、父親とお風呂場での時間、、あれを父1人ではなく私も一緒に分け合えたことが、なにより良かったとは思います。
母が一番びっくりしてるのではないでしょうか、私は、まだまだやらなければいけない事がいっぱいなのに、死んでられないって、、なんで死んだのって、、1番悔しいのは母ですよね、、孫の面倒をお願いし過ぎてたなと、、母は自分の事はさておき、私や子供達の事を1番に考え本当に助けてくれました。わたしは母に大した事何1つしてあげれてないです。旦那の実家はわたしのいま住んでる所から4時間ほどです。そちらに引越ししようかと言ってる所でした。母に行ってらっしゃといわれてるのか、、こちらで生活しなさいと言われているのか、、私はもう孫の面倒を見れないから、旦那の実家に行きなさいと死をもって教えてくれてるのかと思ったりしてます。
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謹んでお悔やみ申し上げます。
ご母堂様のご逝去、さぞやお辛い思いをされているものと思います。
ああすればよかった。こうしてあげたかった。
親孝行、したいときには親はなしと言います。
しかし、お母さまは親孝行されることを望んでいたのでしょうか?
私はそうは思いません。
逆に面倒を見ていただくことを望んでいらっしゃらなかったのではないかと、
これだけアクティブに活動されていらっしゃったお母さまです。
ご自身のことは自分でするとの強い思いを感じます。
たしかにまだまやるべきことがあって、
突然の御往生にご本人も納得できていないかもしれません。
この世、娑婆世界は諸行無常です。
突然に何が起こるかわからない、何が起こっても不思議ではないのが、
この娑婆世界です。真宗中興の祖と言われる蓮如上人は、
すでに無常の風きたりぬれば、即ち二つの眼たちまちに閉じ、一つの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李の装いを失いぬるときは、六親眷属あつまりて嘆き悲しめども、さらにその甲斐あるべからず。 さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙となし果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。とこの世の無常を語られています。
この辛さ、悲しさを受け入れる。受け入れるところに何かが見えてくるのではないでしょう。
人は生まれ変わり死に変わりすると言われます。
お母さまは阿弥陀如来さまのお助けに与って、極楽浄土に往生されました。
どんな人生だろうと、生きざまであったとしても、一人残らず救うと阿弥陀さまは、
おっしゃっています。だから、お母さまが救われないはずがない。
今頃、お浄土で新しい生活を始めています。
救われていないのは、あなた様ご自身のお気持ちではないでしょうか?
後ろ髪を引くという言葉あります。
仕方がないことだと諦めて、お母さまを送り出して差し上げましょう。
立派なお母さまのことですから、
この世に残した未練、それはご主人さまであるお父さんのこと、
そしてあなた様のことでしょう。
親は、子の幸せのみを祈るもです。
自分のことなど、どうでもいいもんです。
まずは、人生を一歩一歩歩いて欲しい。
そして有意義な人生を歩んでください。
それこそが、お母さまへのご供養です。
供養とはお経を上げたり、供物を備えることだけではありません。
生き様を示す。これこそがお母さまへの最高の供養です。
質問者からのお礼
生き様を示す 心に響く御言葉ばかりです。
ありがとうございます、
本当に命は
いつまでもあるものではないと実感しているところです。
父も、明るく振舞ったり、、自分のことをしては前に進んでいます。
私も娘として、何をしてあげれるか、、ただそばにいて、話をするだけでも心は穏やかになります。でも、また、悲しみはやってきます。
その繰り返しで、、助け合い助けられ、日々を少しでも楽しく、亡き母のあと、悲しみを 神さまからいただいた命をめいいっぱい生き抜いて、子供達とも、悲しみを分け合い、たくましく成長し、母が心の支えとなるように、まだまだ整理しきれませんが、、4歳の息子に励まされている私は、、情けないですが、、少しずつ前に進んで行きます。
お応え頂き
まことに感謝いたします。
おっしゃって頂いたお経の中の一節は、よく耳にする言葉だなと、、、いつも読んでるお経とおなじでした。