宗教の考えにこだわってしまいます
私には小学校から馴染みのある宗教があります。祖父が会員でしたので自然と親しむようになりました。
新興宗教なのですが、教えについては理解できます。父母に感謝していると人生がうまくいくとか、母親とうまくいかないと同性である女性とうまくいかないということを教えられています。
私の父母は優しい方です、ただ時折声を荒げたりすることがあり、そのことで私の感情も狂うことがありました。
でも、親だって完全な人間ではないことを受け入れなければと思います。
しかし、先の宗教のことで親に感謝『できなければ幸せになれない』と言われてますので私は幸せになれないと思って現在のできない自分に心が引っかかってしまいます。
今の自分の状態に引っかからず、親に感謝し、環境に感謝できるようにするにはどうしたらいいですか?
親ももう何年かで還暦です。安心していられる息子になりたいです、正直焦りもあります。障害者でいるのも苦しいです。
収入が少なく出資がなかなか出来ないですが、もし参考になる書籍があればそちらの方も教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
感謝は喜び。有り難いは超レア。食前食後の言葉。
感謝は喜ぶことですよね。
何にでも喜べる人は、毎日幸せだと思います。
だから、感謝できる方が幸せでしょうね。
「有り難い」とは、希少価値があるということです。
「普通だ、あたりまえだ」と思っていたことが、「有り難いことだ、ラッキーだ、超レアだ」と思えたら、感謝できると思います。
また、他人の苦労に想いを馳せることも、感謝につながるでしょう。ラーメン一杯だって、注文してから数分で配膳されますが、実は何時間もスープを煮込んで仕込みしているのです。
とりあえず、食前のことばと食後のことばの一例をご紹介します。
食前のことば
「われここに食を受く。天地の恵みを思い、その労を謝したてまつる。いただきます。」
食後のことば
「われここに食を終わりて、こころ豊かにちから身に満つ。おのが務めにいそしみ、誓ってご恩に報いたてまつらん。ごちそうさまでした。」
質問者からのお礼
何かあっても、私の弁当を毎日作ってくださる。そのことについても感謝だと思い頂くようにしていますが、改めて気付かされました。
お弁当の食材にも感謝しなければならないと思いました。
私はそんな感謝すべき親と環境に居ながら、不安な状態が起きるとそちらに気持ちが揺らいでしまいます。
不安な状態にいながら、感謝の気持ちを継続するために普段から行うべきことはありますか?
乱文すみません。