先祖供養の方法について
新年明けましておめでとうございます。昨年はお世話になりました。
先祖供養した方がいいなと思って、質問しました。
あまり、先祖に対して、いいイメージはありませんが、
それでも、自分の肉体や無意識の領域にあるものは、父や母から上の世代から受け継いだもので、
ご先祖様がいなければ今の自分はいないと思っています。
動物や植物からいただいている命や周りの人の感謝する気持ちを持ち、
自分の目標を宣言するために、神社にお参りし、今年神棚を設置しました。
神棚を含む住環境を整えているところです。
年賀状や手紙でも、少しずつ感謝の気持ちを伝えていけたらと思い、少しずつ実行しています。
先祖に対して供養できていないし、方法が分かりません。
父の実家とは、10年前ごろから不仲になって、お墓参りにも行けていません。
親は、「自分達がしっかり供養するから」と言っています。
しかし、「これでいいのだろうか?」と思っています。
実家が遠いところで状況は分かりませんが、これまでの状況から供養をやっているとは思えないのです。
そもそも、供養というものを理解していないのではないかとさえ感じます。
私も理解していません。なので、教えていただきたいと思っています。
供養とは「先祖の苦しみや怒り、悲しみなどを理解し、受け入れ、ゆるすこと」だと、私は考えています。
私たちは、胎内にいるときから、親戚を中心とする周囲の人の教えを受け、脳の無意識の領域に記憶していると考えています。
その教えは、家系の中で代々受け継がれていると思います。ただ、無意識なので、なぜそのような行動をするのか理解できていないのですが。
供養をするということは、最終的には自分自身を認めることになると思うのです。
だから、先祖供養が大切だと思いますが、どのようにやっていけばいいのでしょうか?
分かりづらい文章で申し訳ありません。宜しくお願いします。
我が強い。保身のために、人を妬んだり、羨んだり、言い訳をしたりする。気持ちに余裕がなくなると、怒ってしまう。愚痴を言ってしまう。過去に学んだことに執着してしまう。未来に対して余計な不安がある。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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精進
供養とは、仏道に親しむことです。
お釈迦さま当時の法事は自宅にお坊さんを招き、食事を提供して自分の代わりに修行してくれるお坊さんの修行を応援し(托鉢のお呼ばれバージョン)、そしてお坊さんから法話を聴かせてもらうことでした。法話を聴くということも聞法(もんぽう)という仏道です。
法事における読経は歴史的に言えば聞法の亜種と言えるでしょう。元は法話やお斎の席の方がメインだったのです。
じゃあお供え物とは何か?布施です。喜捨とも言います。お坊さんに食事を提供するのと同じです。いや、供養という言葉は本来、死者に何かをすることではなくて出家者に食や衣服を提供して養い、応援して功徳を得ることなんですけどね。
その喜捨を通じて物惜みを心を捨て、親切心の心地よさを癖にする…そういう仏道。
お仏壇やお墓のお世話をする…それは供養の1つの形であって、実はそれがメインなのではありません。あくまで仏道に親しむことが本質です。
もちろんお仏壇やお墓がおろそかになってはいけませんよ。でも、一族の役割分担としてしかるべき立場になるまでは、しかるべき立場の人にお任せしておけばいいんです。火の扱いが心配なお年頃になったら代替わりしてあげて下さい。
というわけで、お寺に行きましょう。禅宗なら坐禅会、浄土教なら報恩講、密教ならプチ修行とか色々あります。あるいは各宗派の法話会に足を運ぶのも善いでしょう。お寺を散歩して本尊さまにお参りするだけでも、お参りしたなりの仏道です。やりようは色々です。
そのような場でひろし家先祖代々の為に仏道に親しみ、その功徳をご先祖さまにお供えする。それが大事なことです。
>最終的には自分自身を認めることになると思うのです。
その通りです。道元禅師はこうおっしゃっています。
>仏道をならうというは、自己をならうなり。
この問答(聞法)の功徳をひろし家先祖代々諸精霊位に回向いたします。合掌
質問者からのお礼
大慈様
ご回答、ありがとうございました。
やり方はいろいろあるのですね。
自分のできるところから、取り組んでみようと思います。