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自分の感情がわからなくなってしまいました

回答数回答 3
有り難し有り難し 15

私はふとしたときからなにも感じなくなってしまいました
何を見ても聞いても食べても触っても「ただの〇〇」という風にしか感じないのです。
特に味と痛みはほとんど感じないです
記憶も曖昧になってます

自分は本当にいるのか?
本当にこの感情は自分のものか?

それすら嘘なのか
もうなにもわからないんです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

無機質であたたかなるもの

心が閉ざされた状態であると、どんな物も無機質に感じるものです。
心が暖かな状態であると、無機質なものにも命を感じるものです。
物それ自体には、冷たさも暖かさもないものですが、そこにただの〇〇としか感じないということは、あなたは何かで大きく傷つけられたのではないでしょうか。
こころがとても悲しいことがあったのではないでしょうか。
まずは、そこに向き合ってみましょう。
もし、思い当たることがあればあなたが元気を奪われる前に何があったかを話してみてください。

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おきもち

お悩み相談08020659278
💕禅ママ説法💗 禅ママの超簡単!不安消しテクニック! (*´ 艸`) 人生って、ちょっぴり不安がいっぱいよね? でも大丈夫! 「現実」と「頭の中だけ」をちゃんと見分けられるようになれば、不安なんてちっぽけなものよ! だって、みんな「もしも~」「もしかして~」って、頭の中で勝手にドラマ作っちゃってるだけなんだもん。 (˘ω˘) 「あれが起きたらどうしよう」とか「こんなことになったらどうしよう」って、まだ何も起きてないのに、勝手に心配しちゃうのよね。 だから、今この瞬間、目の前にあるものに意識を集中してみよう! ✨ 見えるもの、聞こえるもの、感じてること… そうすれば、どんなに不安なことがあっても、"今ここ" に戻ってこれるわよ! 心配事って、まるで映画の予告編みたいなのよ。 まだ何も始まってないのに、ドキドキハラハラしちゃうでしょ? でも、実際は、今この瞬間、目の前で起きていることだけをちゃんと見ればいいのよ。 そうすれば、心はもっと穏やかになるわよ。 不安を感じたら、ちょっと立ち止まって考えてみてね。 「この不安、本当に今の私に必要?」 「今、目の前で起きていることは、一体何?」 そうやって、現実と想像の違いに気づけば、不安に振り回されることも減っていくわよ。 だから、今日一日も、"今" をしっかり感じて、笑顔で過ごしてね! (*´ 艸`) じゃ、行ってらっしゃい!

嘘ではないでしょう

あなたが今そのように感じているのならそれが本当なのだと思います。味覚や触った感覚、視覚、聴覚など、元々自分で感じようと思っているわけではないはず、自分のものであって自分のものでないのです。自分という存在自体無いものだと思います。
なんにも心配いらないのでは無いでしょうか。
ただ体の不調から来ている感覚の違和感ならば病院へ行ってください。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

認知症

私の妻は介護福祉士です。
利用者さんからの罵詈雑言、暴力、セクハラ。
世間じゃお年寄りは弱いと思っているがどうしてどうして。
本当に弱い立場にあるのは職員なんですよね。反撃もできない、やったらクビですから。家族じゃ面倒見きれないから施設にいれる。そんないらないおじいちゃん、おばあちゃんだったはずなのに死んだとたんに大好きになるご家族。

何が本当か嘘かわからなくなります。

でも、ホントが本当なら、嘘も本当なんです。人の心は他人が推し量れるほど単純じゃあない。
あなたの心はあなたのもの。

まだまだ考えてみることです。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ