悪口は言われ続けないといけないのか
お坊さんの皆さん、いつもお世話になっています。
今回も突発的ですが、今回は怒り心頭です。
またバイト先のあのおっさんです。
簡潔に言うと、面と向かって自己中と言われました。
でも今回は絶対自分は悪くありません。
それはそばにいたバイトリーダーさんと話して、あっちがちょっとおかしいよねと確認し合い済みです。
あのおっさんはあの出来事前からよく女子間にままあるらしいマウンティングみたいなことを自分に喋ってきていて耐えてきたんですが、今回は本当に意味不明でさすがに心の中で切れた。
「お前、何様だよ」と。
ただ口には言わず、とりあえず自分はヘラヘラ作り笑いしてその場を過ごしました。
ていうか自然とそうしてしまうんですけどね…。
だから舐められるんでしょうけど…。
とりあえずバイトリーダーさんもあれを全て目撃しており、自分はあの人とは少なくとも同じ作業を一緒にやらないようになるべくしてほしいと伝え、バイトリーダーさんも了承してくれました。
でも思ったわけです。
こちらから話かけなくても、あちらから自分にマウンティングしたいがために話しかけてきた時、自分はどうしたらいいんだろう、どういった心でいればいいんだろうと。
多分、ていうか間違いなく自分はまたヘラヘラ笑ってやり過ごします。
でも正直なところ、ぼこぼこに言い返してやりたいしできると思う。
けれどあのおっさんは短気で人前で怒り言葉を巻き散らすタイプの人だから、絶対騒ぎになるし、下手したら喧嘩騒ぎになるかもしれない。
まぁ勝つ気満々だけどby空手二段(しょぼいか(笑))(余計な一言多くてすみません。もう本当に我慢できなかったんです)
結局自分はヘラヘラ取り繕わないといけないんですかね。
ああいう輩は注意されないぎりぎりのラインで、他人をディスってきます。
それにいちいちバイトリーダーさんにあーだこーだ言いたくありません。
でもストレスたまりまくりそうです。
確かお釈迦様が罵詈雑言を浴びた後「これで満足か」みたいなストーリー曖昧に記憶しているけど、自分はそのセリフすら言いづらい。
自分はどうすればいいのか、どういった心持ちでいるべきなのか。
教えてくださいお坊さん。
以上、回答お待ちしております。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
受け取らない
こんにちは。
「お釈迦さまが罵詈雑言を云々…」の話は、
「お釈迦さまと悪口男」のお話ですね。
https://hasunoha.jp/questions/369
悪口は「受け取らない」です。受け取らなければ、その悪口はそのまま相手にいきます。
質問者からのお礼
光禪さん、回答ありがとうございます。
それと返礼が遅くなって申し訳ありません。
結果を述べると、やはり「受け取らない」ことは肝心だと思うのですが、私にはどうしてもそれが出来ずにいます。
結局、私の心を多少なりとも回復させてくれたのは、お釈迦様の教えや言葉ではなく、バイトリーダーの配慮や行為でした。
それは極端に言えば、受け流したり寛容であるよりも、拒絶や除外の方がはるかに勝手が良かった。
だって私は、その人が近くにいるだけで嫌になり、そして視界から消えるだけですごく楽になります。
光禪さんや、僧侶の皆さんは、私の行為や心境をあまり喜ばしくは思わないかもしれません。
しかしそれを気にして、取り繕って「わかりました!頑張ります!」と嘘をつく自分はどうしても許容できませんでした。
私は…、少なくともこのhasunohaにおいては強気な発言もままします。
それは私がイエスマンではないから、悩める信徒の一人だから、正しく見つめ直すために自らの悪感情をさらけ出す必要があると考えているからです。
だから私は文章をたまにくだいた感じで意図的に書くこともあります。
その分、礼儀知らずと思われる不安に苛まれながら。
こんな私ですが今後も様々な質問をしたいと思います。
その際は是非また回答をよろしくお願いいたします。