仕事での人間関係でのもやもやした気持ち
現在コンビニのオーナー様をお相手とする
経営コンサルタントをしております。
既存のオーナー様が
(こちらのオーナー様とは
普段は週に2回以上店舗に伺い
売り場の確認等をする際
雑談を1,2時間する程の仲です。)
今月末もう1店新店舗を開店をすることになり
開店準備をお手伝いしております。
私は普段から気持ちの切り替えが早い方だと
自負しておりますがそのオーナー様において
最近納得できない部分があり
気持ちの切り替えがなかなか出来ず
アドバイスまたはお叱りのお言葉を
いただきたく投稿致します。
新店舗開店においての
従業員さん募集は最重要課題であり
どれだけの従業員さんにお集まり頂けるかで
今後の店舗経営が決まると言っても
過言ではありません。
その為有料求人誌への掲載はもちろん
原稿を作成し、それをチラシにして
6,000枚を3週に渡り、専用のコピー機で印刷し
新聞集配所へ運び、折込チラシにして配布を
お願いし、またその料金は立替精算しております。
大量の紙を印刷したり運搬する為
指は複数箇所切れ、印刷場から車まで運んだり
車から新聞集配所まで運んだりで
腕もパンパンになります。
ご応募があれば私の携帯に情報が入ってくる為
オーナー様にお伝えし
面接をしていただいております。
オーナー様からはありがとうの一言もなく
応募情報のお伝えが遅くなってしまった際は
謝罪をしても"…はい"だけ、または無視です。
またオーナー様の奥様も
ご一緒に同じ店舗を経営されており
現在の従業員さんの集まり具合の報告をしても
"そうなんですか。"だけです。
今日もチラシの作成をし集配所まで運び
折込依頼をしてきましたが
ふとオーナー様の反応を思い出し
仕事だからお礼を言わない、
連絡遅延にご気分を害されるのは
当たり前だ、と割り切っていましたが
なぜあの人の為にここまでしているのか、と
すごくもやもやした、切ない気持ちになり
なかなか切り替えができません。
仕事だから当たり前、甘いことを言うなと
お叱りを頂いても構いません。
この気持ちの切り替え方法や
考え方を変換させる方法、
お礼を言わない人なんてごまんといる、
しょうもないことを考えるななど
なんでも結構です。
ぜひ厳しい修行を受けられた方の
お言葉をいただきたいです。
よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「有り難し」なくとも
このお話を伺い、私はhasunohaのことを思いました。これは私達のお仕事ではありません。しかし、多くのお坊さんが賛同して回答僧として参加しています。
ここに「有り難し」ボタンがあります。まさに感謝の気持ちを伝える一つの方法、選択肢として存在しています。
相談者にはこれを押すかどうか選択する権利があります。このボタンやお礼のコメントが一つのモチベーションになっているのも間違えではないでしょう。
しかし、これがないから腹をたてるわけでもないです。相談を聞き、捉え、考え、回答する。その行為そのものは「誰のことか」というと、人のことをやっているようでいて全部自分のことなんですよね。
誰のため、仕事のため、家族のためクライアントのため、理屈はいろいろあっても、この生活全て24時間この体を使い、自分のこと以外やっていません。腹をたてるのも、喜ぶのも、味わうのも、考えるのも全部自分。自分以外の生活を送ることなく一生を過ごすのです。
ありがとうの有無で気持ちが上下するのは、相手の顔色を伺うからであるわけで、仮にありがとうがなくても間違えなく助けになっていたらあなたの成功でしょう。
我々も回答が、どこかで誰かの役に立てばそれでいい、役に立たなくても、私のことをしただけの話。それで終わりです。修行というのはそういうことなのでしょう。
そのコンビニきっとあなたの力なくして、今の姿はないですよ。お礼はなくても助けられています。間違えない。
質問者からのお礼
お礼のコメントが遅くなり申し訳ありません。
邦元様のご回答を拝読し
1週間自分のことだと言い聞かせながら
仕事に従事してみました。
まだまだ全てに対して納得しきれませんが
すごく心にゆとりができました。
1分足りとも自分以外ことをやっていないと
邦元様のご回答を拝読し気付かされました。
これからも自分の為に
自分を生きようと思います。
お言葉に心が救われました。
本当にありがとうございました。