人が怖くなり、信じられなくなりました回答受付中
少し苦しい気持ちを聞いていただきたいです。
人を少し信じられなくなり、新しく人と知り合うのが怖くなっています。
私は従業員20名弱の小さな会社で働いています。私は当事者ではないのですが、社内でAさん(明るく周囲に味方を増やす)とBさん(実直で注意が厳しい)の対立が少しずつエスカレートし、Aさんは「Bさんのパワハラ」を理由に退職しました。 Bさんは個室で役職者に囲まれて責められ、始末書を書かされたと聞きましたが、それ以外にも必要以上に責められたと聞きました。Bさんは言い方ややり方は問題があったものの、悪意はなかったようです。
Aさんは私が元の部署の責任者をしていた時に採用した部下でした。入社当初は職場が明るくなりましたが、ほどなく他の社員との摩擦がおきました。私なりに環境整備を試み、一旦は収束しましたが、次はBさんとトラブルになり、今日退職となりました。聞いた話ではSNSに会社の悪口を投稿したり、既婚者であるにも関わらず、既婚男性の社員と事務所内の他の人がいる前で少し恋人のような雰囲気になったり、ということもありましたが、仕事は真面目にし、能力も高かったです。
今日は送別会でしたが、欠席したBさんの悪口を吹聴し、他の社員のBさんの評価を落とすような言動をする場面もありました。
私自身の苦しさとしては、「見抜けなかった」と自分を責める気持ち、会社への不信、そして人間関係そのものへの怖さが重なり、苦しくなっています。今後、また誰かと関わると同じことが起きるのでは、と身構えてしまいます。そしてこれからの新しい出会いが怖くなってしまい、人を信じることも怖くなっています。
少しこの苦しさに寄り添っていただけるとまた光が見えるような気がします。
お坊さんからの回答 1件
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立場で想いも違い、声の大きな人に周囲は引っ張られることがある
そんなことがあったのですね。立場変われば、想いも違ってくるのでしょうけれど。声の大きな人に、周囲の意識は引っ張られることがありますよね。(あの人が言うなら…周りが何も言っていなかったら…… きっとそうなんじゃないのか)そうやって、自分で確かめていなくても、その声が正しいように、意識づけられていきます。
Bさんの言葉が、いくら大切な注意をしてくださっていても、言い方によってはハラスメントになる場合もありますから、気をつけていかねばならないでしょうけれど、あなたの目からは実直な良さがある人なのですよね。そんな素晴らしさもある。
Aさんの社交性は場を明るくし、味方を増やして働きやすい環境にもなりますが、味方ばかりの中にいると、自分への指摘が敵のように見えてしまう場合もありますよね。また、その人の居ない場で、その人の悪口を吹聴するという行為も、誤った情報の刷り込みにもなってしまいます。
これから先、会社に残るBさんが、働きづらくなるのではないでしょうか。
人の奥深くを判断するのは難しいものです。言われた言葉も一方の言い分ですし、見えているものも一部分だけの様子を私たちは見ています。
私もね、相談の仕事をしていますと、起きた事実や受けた説明を聞きながら、人物像を見ていきます。ですが、自分が得ている情報と知識や経験値からの判断になりますから、相談者の言わない不都合な面は表に出てきません。そこをどこまで見抜けるのかは難しいものです。
ですが、その人の人生そのものまで、私が託されているわけではありませんし、その人の人生は、その人がいろんな支えを手にしながら歩むもの。私は、私が受けた相談に集中します。
ですから、あなたも、職場内の起こったことに対する経験から、人を見ていけばいいのですし、一方の意見や周りの意見だけに流されず、自分の目で確かめながら聞き取りをする。
たとえ見抜けなかったとしても、その後に出来る修復。Bさんのサポートなど、社員の良さを伸ばせるような理解者でいてあげたら良いのではないでしょうか。
質問者からのお礼
中田様
いつも優しいコメントをくださり、とても感謝しています。
こういった人間関係のトラブルは珍しいものではないだということが改めてわかりました。中田様のコメントで、声が大きい者にほかの人が引っ張られる、味方ばかりだと自分への指摘が敵のように見えてしまう、まさに私の職場で起こっていたことです。
Aさんが退職することになり、会社の戦力はダウンしますが、ホッとしている自分もいます。
自分にとって、これから大事なことは会社に残ってともに働く同僚たちのことです。業務に大きくしわ寄せが来る人もいますので、できる限りサポートして、新しい人の採用まで漕ぎつけたいと思っています。またBさんも含め、周りの人を気にかけて、分断が起こらないように観察していきたいと思います。
Aさんが去って時間経つと、状況も変わるような気もします。
今、職場では複合的にいろいろな問題があって、今回の問題も原因が一つや二つではない複雑なものです。
会社自体の構造的欠陥が生んだと思っていて、それは自分だけではコントロールや解決ができない根深い経営の問題でもあります。
数年前はもっといい会社だったのですが…。
私自身もこれ以外でもいろいろな問題や悩みに直面し、すこし長い期間ジリジリとダメージを受けているので、心の状態も停滞しています。
それゆえ、人が信じられない、新たな出会いが怖くなっているのようなことになってしまっていると思います。
このような「心が風邪を引いている状態」では、
これからも共に仕事をする同僚の力にもなれませんし、ものごとを中道に見聞きすることもできません。
まずは自分の心身をマイナスからゼロ、ゼロからすこしずつ回復させることを優先させることにします。
釈尊が苦行に見切りをつけ、沐浴をし、スジャータからもらった乳粥を食し回復された逸話をイメージして、少しずつ元気を取り戻せればと思います。
これを書いているうちに、釈尊にも阿弥陀さんにも
「大丈夫、大丈夫!心配せんでもええようになるから、
休み休みやりや!」
と言ってもらえる気がしてきました!