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瞑想って難しいですか?

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友達から瞑想を少し教えてもらいました。
実際瞑想って難しいですか?
いろいろ調べたら師匠や正しく教えてくれる人に習った方が良いと書いてありました。

単独で瞑想を追及した方が何かに気づき今ある感情で説明できる感覚ではないので説明が困難なのですが、
概念や映像ではなく、心の奥底にある何かが外部(世界)と繋がったのです。どの位の時間その感覚を手に入れていたかは定かではありませんが、
暫くするとその感覚は失われました。と仰っています。ちなみにその方はこの時の瞑想の後遺症で
今も心療内科に通っています。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

勝手に難しくしてしまう人がいるので困りものです

瞑想とはもの凄く広い言葉です。初心者さん大歓迎なものもあれば、一連の修行の流れの中で然るべき段階に至ってからするものもあります。が、大体に誰にでも出来るものです。宗派のみならず宗教によっても様々で、そもそもの目的まで違うものが全て瞑想の一言でくくられています。

どこのどの瞑想をするとしても独学はタブーです。
瞑想はやり方によっては脳内麻薬が出ます。その脳内分泌物による非日常的な間隔を悟りと勘違いする人が『よくいる』のですが、それはあくまで自分の頭が創り出している妄想なんです。「仏に遭うては仏を殺せ」という言葉がありますが、元々の意味はこのような脳内麻薬で仏様に出会う神秘主義を否定した言葉です。

そういうものを悟りだと思ってしまうと、仏教というものを180度真逆に勘違いにしてしまいます。
そこからさらに独学で逆方向に突っ走って「いや、私こそが正しいのだ。間違っているのは坊主どもや社会のみんなの方で、私だけがブッダの真意を理解しているのだ。」みたいになってくると、もう救いようがありません。そんなエセ瞑想が世の中にはたくさんはびこっています。

もっともインドのあたりの他宗教では脳内麻薬のトランス状態から生まれるエキゾチックな知恵を社会に活かそうとするものもありますから、それ自体を批判する気はありません。ミュージシャンや芸術家にクスリでインスピレーションを得るような人がいますが、あれを宗教家限定で国に公認されている感じです。
ただし、そういう宗教こそ門外不出の師弟関係で確立された手法に則っており、独学などもってのほかです。また、それは仏教の目指すところではないのも言うまでもありません。

あと、単純にやり方が悪いと血流や神経の流れを止めて体調が悪くなります。
お坊さんがジャージみたいなゆったりした格好で来て下さいって言ってるのに、いや、お寺様で坐禅をさせていただくのだからとスーツでバシッと決め、太ももや股関節をパッツンパッツンにしながら坐り、我慢大会をして救急車沙汰になることもあります。
本来はごく簡単なことでも、人によって難しく難しくしてしまう事があるものです。何事もちゃんとした人に習い、習ったことは素直に学ぶ姿勢が大切です。瞑想以前に人として大切な心掛けです。

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有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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質問者からのお礼

丁寧に教えて頂きありがとうございました。
とても分かりやすかったです。

習ったことは素直に学ぶ姿勢が大切。シンプルに大事な所ですね。

「仏教における瞑想」問答一覧

うつ病の中でも利他の心を持つためには

5年ほど心の病に苦しんでおります。最初は適応障害という診断でしたが症状が悪化し、3年前にうつ病と診断されました。 それでも昨年から始めた漢方の治療やカウンセリング等の効果で体調は良化しており、検査の数値も改善してきています。 しかしながら「ものを考える余裕」が生まれたこともあってか、生き方に対する苦悩は深まるばかりです。 うつ病に向き合う手がかりとして、宗教・哲学・心理学など多くの本に触れているのですが、その多くで「他者に関心を持つこと」「他者と関わること」「他者のためにはたらくこと」が幸せへの道として説かれていました。仏教においても、「利他」は大切な考えだと思います。 しかし、今の私には「他者のためにはたらくこと」はおろか、「他者と関わること」も考えられません。他者とつながりを持つことを恐ろしいと感じてしまいますし、他者のことを考える余力自体も不足しているように思われます。毎日念仏をお唱えするときも、自分の身体のことや心のことばかりを考えてしまいます。 自分でも「利他の心」を持てたらとは思うのですが、負のループに入ってしまっているような気がしております。 勿論、日々の中で「他者を傷つけないように」「他者を不快にさせないように」と心がけているつもりではおりますが、それだけで良いのか、と自問自答してしまいます。 どのような心がけで日々を過ごせば良いのか、ご助言を賜りたく思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。

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瞑想とは

ブッダは入滅する際に深い瞑想状態に入りながら入滅したと見ました。 私も肉体や精神などが極限の苦痛に達した際や死ぬ際には瞑想を使用したいとおもっておりますが、そこまで深い瞑想をするには相当な瞑想の日々の熟練が必要かと思っております。 ところが精神疾患を持つものが瞑想をするとどうやら副作用が生じ、むしろ悪影響が発生することがわかりました。 以下質問となります: この矛盾は何でしょうか?座禅・瞑想とは人類全てが実践できる安全なメンタルケアでなければならず、そのため仏教修行の多くの部分を座禅・瞑想に使用するのではないのでしょうか。 それとも仏教の座禅・瞑想は修行の一部にすぎずそれが全てではないということでしょうか。 有名なキサーゴータミーの物語では明らかに精神疾患状態にある婦人を救っているような記述がありますが、これはどのようなプロセスを経て「治して」、「さらに悟りにまで到達した」のでしょうか。 個人的に思うのはまず前提として仏道の実践と修行者の身の回りの環境を整えてから瞑想を熟練していくのだと思いますが、その「環境の充実」の基準とはどこから情報を引っ張ってくれば良いのでしょうか。 よろしければ真なるお言葉をくださいませ。なければご対応不要です。よろしくお願い致します。

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マインドフルネスについて

瞑想を2週間ほど前から朝の日課にしています。欲を少しでも手放せたらと思い、始めました。 そして、昨日仕事中にふっと目の前の仕事に全意識が向いている心地よさを体験しました。これがマインドフルネス?と思いました。15分くらいしか持ちませんでしたが。 どうしても自分で自分を苦しい状態にしてしまうので、どうしたらもう少し楽に生きれるだろうと思い、このマインドフルネス状態が長く続けばいいのでは?と考えています。 そして、大人になると生活の7割くらいが仕事なので、仕事中にマインドフルネス状態が続けば毎日がもう少し楽になると考えました。 しかし、仕事内容が慣れているものであったり、どう進めるか想像つくものであればマインドフルネス状態になりやすいと思ったのですが、仕事内容によっては難問にぶつかったり、やったことないことをやらないといけないことだってあります。クリエイティブ系の職種のため、アイディア出しなどはいつも苦しいんでいます。今思うと、まだこの職種の経験も浅いこともあり、8割ほどの仕事内容にいつも苦しめられています。難問にぶつかった場合もただ難問に向き合うだけでマインドフルネスなのでしょうか。 マインドフルネスについては本などを読んで、自分なりに解釈しているところもあるので間違いがあれば訂正していただきたいです。 仕事中あっちこっち気持ちが散らかるので、マインドフルネスの実践ができたらなと思います。

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