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私は地獄に落ちたのですか?

回答数回答 2
有り難し有り難し 12

こんにちは。私は統合失調症で精神科に通院して、3回入院して今は訪問看護さんにきてもらいながら、週5日飲食店でパートしています。
とある10年前くらい新興宗教に友人の誘いで入って、最初は友人を助けたい、辞めさせたいという思いがあり入会したのですが、とうとう洗脳の溶けないまま、亡くなってしまいました。
そういうこともあり、自分のお墓のある菩提寺に相談しに行きました。
そうしてたすきや数珠やお札をあづかってもらい、瞑想会に参加するようになり、瞑想するようになったのですが、瞑想状態になると独り言がとまらなくなってしまい、明らかに拒否反応があり、私の心の奥底に宗教はいけないという心があるのかもしれないと感じました。
私はすがる思いで神社に御祈祷をうけたり厄除けをうけたりしました。
精神科の主治医の先生も憑依されてるね。怖いね。と言っていました。
どうしたら独り言がなくなりますか。
私は不注意で物を壊すなど、悪いことばかりしたから地獄に落ちたのでしょうか。独り言の内容はひどいとか高い声で言ったり、唸ったりしてます。
通勤のときもひどいです。

2024年5月14日 10:43

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そうではないと思います。

ご質問拝見させて頂きました。少なくともタイトルの「地獄に落ちた」という状態ではないと思います。まず私も心療内科に通うので考え方のお話をしますね。まず統合失調症という病気をどれくらい自分で把握されていますか?ネットで検索するとどういう症状が出るか、などかなり詳しく掲載されています。自分の行動、言動などに当てはまるものがないか見つけてみてください。見つければそれが病気からくるものだと理解できるかと思います。脳、心が疲れているからこその症状だと分かると前向きにみれることもあるはずです。宗教というより、仏教の見方ですが、自己と向き合うということを大切にしていることも踏まえると上記の話と合わせて見てもらうと理解が変わってくるのではないかなと思いました。  合掌

2024年5月14日 14:12
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有り難し
おきもち

真宗大谷派の僧侶です。2024年4月25日にこちらに登録させて頂きました。...
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あなたは何も悪いことをしていません。
なので地獄に落ちることはありません。
ただ運が悪く病になって後遺症が残っているだけだと思います。
あなたの周りには理解している人と理解していない人がいると思います。
理解してきない人は悪口を言ったりするかもしれません。
しかし理解している人はあなたを応援しています。
私たちハスノハの人たちもあなたを応援しています。
ですから医師や福祉や理解のある人の力を借りながらあなたのペースで頑張ってくださいね。

2024年5月14日 14:18
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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

聖章様
コメントありがとうございます。
私は精神科の病院でベッドに拘束されたことがあります。
病院の人達は優しかったです。お坊様達や檀家さんもやさしいです。
でも、凄い苦しい時があります。もう無理と思ってしまう時もあります。地獄に落ちるというのは新興宗教を抜ける時にネットで他の信者に言われたことです。精神科にいくのが地獄なら私は地獄に落ちたんだと思ってしまいました。優しいお言葉ありがとうございます。

些細さま
統合失調症のことは色々調べました。 
闇の脳科学という書物を知っていますか?
脳に電流をながして統合失調症を治す技術があったそうですが、今は危険だからひろまらずに終わったそうです。
ティーレン大学という大学で研究していた方がいたそうです。
日本ではブレインバンクという団体があり、亡くなったあと献脳すると脳を研究してるお医者様達の役に立つそうで、Skypeで対談しましたが家族が反対するので残念ながら献脳は見送られました。もっと調べると色々わかるかもしれません。コメントありがとうございました

「仏教における瞑想」問答一覧

うつ病の中でも利他の心を持つためには

5年ほど心の病に苦しんでおります。最初は適応障害という診断でしたが症状が悪化し、3年前にうつ病と診断されました。 それでも昨年から始めた漢方の治療やカウンセリング等の効果で体調は良化しており、検査の数値も改善してきています。 しかしながら「ものを考える余裕」が生まれたこともあってか、生き方に対する苦悩は深まるばかりです。 うつ病に向き合う手がかりとして、宗教・哲学・心理学など多くの本に触れているのですが、その多くで「他者に関心を持つこと」「他者と関わること」「他者のためにはたらくこと」が幸せへの道として説かれていました。仏教においても、「利他」は大切な考えだと思います。 しかし、今の私には「他者のためにはたらくこと」はおろか、「他者と関わること」も考えられません。他者とつながりを持つことを恐ろしいと感じてしまいますし、他者のことを考える余力自体も不足しているように思われます。毎日念仏をお唱えするときも、自分の身体のことや心のことばかりを考えてしまいます。 自分でも「利他の心」を持てたらとは思うのですが、負のループに入ってしまっているような気がしております。 勿論、日々の中で「他者を傷つけないように」「他者を不快にさせないように」と心がけているつもりではおりますが、それだけで良いのか、と自問自答してしまいます。 どのような心がけで日々を過ごせば良いのか、ご助言を賜りたく思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

瞑想とは

ブッダは入滅する際に深い瞑想状態に入りながら入滅したと見ました。 私も肉体や精神などが極限の苦痛に達した際や死ぬ際には瞑想を使用したいとおもっておりますが、そこまで深い瞑想をするには相当な瞑想の日々の熟練が必要かと思っております。 ところが精神疾患を持つものが瞑想をするとどうやら副作用が生じ、むしろ悪影響が発生することがわかりました。 以下質問となります: この矛盾は何でしょうか?座禅・瞑想とは人類全てが実践できる安全なメンタルケアでなければならず、そのため仏教修行の多くの部分を座禅・瞑想に使用するのではないのでしょうか。 それとも仏教の座禅・瞑想は修行の一部にすぎずそれが全てではないということでしょうか。 有名なキサーゴータミーの物語では明らかに精神疾患状態にある婦人を救っているような記述がありますが、これはどのようなプロセスを経て「治して」、「さらに悟りにまで到達した」のでしょうか。 個人的に思うのはまず前提として仏道の実践と修行者の身の回りの環境を整えてから瞑想を熟練していくのだと思いますが、その「環境の充実」の基準とはどこから情報を引っ張ってくれば良いのでしょうか。 よろしければ真なるお言葉をくださいませ。なければご対応不要です。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 16
回答数回答 2

マインドフルネスについて

瞑想を2週間ほど前から朝の日課にしています。欲を少しでも手放せたらと思い、始めました。 そして、昨日仕事中にふっと目の前の仕事に全意識が向いている心地よさを体験しました。これがマインドフルネス?と思いました。15分くらいしか持ちませんでしたが。 どうしても自分で自分を苦しい状態にしてしまうので、どうしたらもう少し楽に生きれるだろうと思い、このマインドフルネス状態が長く続けばいいのでは?と考えています。 そして、大人になると生活の7割くらいが仕事なので、仕事中にマインドフルネス状態が続けば毎日がもう少し楽になると考えました。 しかし、仕事内容が慣れているものであったり、どう進めるか想像つくものであればマインドフルネス状態になりやすいと思ったのですが、仕事内容によっては難問にぶつかったり、やったことないことをやらないといけないことだってあります。クリエイティブ系の職種のため、アイディア出しなどはいつも苦しいんでいます。今思うと、まだこの職種の経験も浅いこともあり、8割ほどの仕事内容にいつも苦しめられています。難問にぶつかった場合もただ難問に向き合うだけでマインドフルネスなのでしょうか。 マインドフルネスについては本などを読んで、自分なりに解釈しているところもあるので間違いがあれば訂正していただきたいです。 仕事中あっちこっち気持ちが散らかるので、マインドフルネスの実践ができたらなと思います。

有り難し有り難し 18
回答数回答 2

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ