瞑想して病気を治すように言われた
難病の再発で、真言宗のお寺で得度するつもりでしたが、やめておこうと考えました。
理由は住職様に、難病を理由に得度を延期したい旨を伝えたら「治療で飲むステロイドをやめて、瞑想した方が良い」と言われ、びっくりしたからです。
いやいや、私の難病はステロイドを飲まないと、他臓器不全を起こして死んでしまうのですが!
という趣旨の話をしたら、笑われました。
持病の双極性障害は落ち着き、今まで関わってくれた人達のお陰で50年いきてこれたので、今は冷静に残りの人生を誰かの役に立てるように生きたいと思えるようになり、得度したいと思いました。
でも、よく考えたら得度しなくても、そういう生き方はできます。
正直、話を聞かず医療も否定する住職様に幻滅してしまいました。
これからも、自分で好きな観音経や他のお経の勉強も、書籍で出来ます。
ご先祖供養の仏前勤行も、音源を手に入れたので、自分で練習して出来ます。
お坊様も人ですから、色々な方がいます。
僧侶としての経験は立派で尊敬していますが、なんとも複雑です。
仏壇やお位牌の開眼供養を、大したお布施も出来ないのに快く受けてくれる僧侶の友人の紹介の住職様なので、これから住職様と、どう関われば良いかなと考えています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたが何を目指しているか
「得度」は本来は出家する(仏門に入る)ことであり、世俗を離れ、悟りを目指して修行する仏弟子になることでしょう。
たとえば3日後に地球が滅ぶとわかっている場合には、その3日間で悟るためには治療もなげうって瞑想に励む必要があるでしょう。
そのお寺における「得度」がどのようなものなのかはわかりませんが、命を捨てて目の前の修行に臨むような覚悟を問われたのかもしれません。
もしくは、体よく得度を断られただけなのかもしれません。
難病をかかえた状態では厳しい修行には耐えられないという意味かもしれませんし。
また、真言宗には不思議な力を持ったお坊さんもいます(生まれながらに不思議な力を持っていることを自覚している人が出家してくる場合もある)ので、瞑想で病気が治ると本気で信じておられるお坊さんがいる可能性はあります。
その住職さんはある意味真っ直ぐな方、命を投げ捨てて修行に臨むタイプなのかもしれません。
いずれにせよ、あなたが「得度」に対して何を求めておられるかでしょうね。
得度するということは、住職さんの弟子になることでもあります。
今回は師匠探し弟子探しのマッチングがかみ合わなかったのです。
治療しながらでも得度させてもらえるお寺を探してみるのも良いと思います。
(あなたの求めている得度が形式的なものであるならそれも可能でしょう。)
なお、三宝(仏・法・僧)を敬う気持ちは仏教信仰の根幹です。
性格的に問題のある僧であっても三宝の一部であり、世の中も仏教教団も乱れている末法の時代である現代においては、そのような僧侶であっても貴重な存在なので、住職さんへの敬意は持ち続けていただきたいと思います。
追記
私が昔出会った僧侶は、他人のガンの場所がわかる特殊能力があると言われていました。
外から見たらカルトでも、そのような不思議なこと(瞑想で病気が治るとかも)があるのかもしれませんね。(数打ちゃ当たるでたまたま治る人もいるというだけかもしれませんが。)
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます。
住職様は、俗世で生きながら心は仏になるつもりでの得度を勧められ、私も四度加行までいけないので、マッチングしたかなと思っていました。
なかなか難しい事です。
住職様との御付き合いは大事な御縁ですし、尊敬しているので続けたいと思います。瞑想して病気が治ったら得度をしましょう、と言われています。言葉の真意はまだ分かりません。
追記ありがとうございます。
世の中には色々な方がいますよね。
色々な方に敬意を持って接しようと思います。