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うつ病の中でも利他の心を持つためには

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有り難し有り難し 9

5年ほど心の病に苦しんでおります。最初は適応障害という診断でしたが症状が悪化し、3年前にうつ病と診断されました。
それでも昨年から始めた漢方の治療やカウンセリング等の効果で体調は良化しており、検査の数値も改善してきています。
しかしながら「ものを考える余裕」が生まれたこともあってか、生き方に対する苦悩は深まるばかりです。
うつ病に向き合う手がかりとして、宗教・哲学・心理学など多くの本に触れているのですが、その多くで「他者に関心を持つこと」「他者と関わること」「他者のためにはたらくこと」が幸せへの道として説かれていました。仏教においても、「利他」は大切な考えだと思います。
しかし、今の私には「他者のためにはたらくこと」はおろか、「他者と関わること」も考えられません。他者とつながりを持つことを恐ろしいと感じてしまいますし、他者のことを考える余力自体も不足しているように思われます。毎日念仏をお唱えするときも、自分の身体のことや心のことばかりを考えてしまいます。
自分でも「利他の心」を持てたらとは思うのですが、負のループに入ってしまっているような気がしております。
勿論、日々の中で「他者を傷つけないように」「他者を不快にさせないように」と心がけているつもりではおりますが、それだけで良いのか、と自問自答してしまいます。
どのような心がけで日々を過ごせば良いのか、ご助言を賜りたく思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。

2024年3月2日 20:27

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

マイペースで良いのでは

お悩みを伺い、あなたのお心に寄り添いたいと思います。うつ病や心の病で苦しむことは大変なことであり、そのような中で自己成長や新たな生き方を模索することは、多くの勇気と決断を必要とすることですね。まず、自らの病気への向き合い方や回復の過程を真摯に考え、漢方療法やカウンセリングでの効果を感じられていることは素晴らしい成果だと思います。さらなる成長や自己理解を目指している姿勢にも頭がさがります。
「他者との関わり」や「利他の心」についてのご質問に対して、その重要性に関する認識が既にお持ちであることは明確ですね。他者への思いやりや支援は、自己成長や幸福感に重要な役割を果たすように思います。しかしながら、現時点で他者とのつながりを避けてしまう気持ちや、「利他の心」を持つことに対する負担を感じてしまうのですね。
そのような状況下で、まずは自己を受け入れ、自己愛や自己理解を深めることから始めることも重要かもしれません。自らが十分に癒され、安定した状態にあることが、他者との関わりや「利他の心」をより豊かに発展させる礎となるでしょう。自らの心の状態を尊重し、無理なく自分と向き合いながら、焦りを感じることなく自己のペースで成長していくことが大切です。
また、他者との関わりや「利他の心」を育む上で、小さな一歩から始めることも有効です。例えば、自分の周りの人に感謝の気持ちを伝える、身近な人の手助けをするなど、自分にできる範囲で他者を意識する行動を積極的に取り入れてみると良いでしょう。これによって、他者との関係性や自己の中に広がる「利他の心」を感じやすくなるかもしれません。
私の宗派は浄土真宗ですが、浄土真宗では「自利利他」と考えます。まずは自身に利を、そして余裕が出来てから利他を実践すれば良いと言う考え方です。心の状態は日々変化するものであり、焦らず着実に向き合っていくことが大切です。マイペースでいきましょう。あなたの健康と幸福を心より願っています。合掌

2024年3月3日 5:19
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有り難し
おきもち

仏教の目的は、抜苦与楽と成仏です。 生きている人の苦しみをどうしたら癒せ...
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質問者からのお礼

ご回答、ありがとうございました。まずは「自利」についてじっくりと考えてみようと思います。急がずマイペースを大切にして日々を送ります。

「仏教における瞑想」問答一覧

瞑想とは

ブッダは入滅する際に深い瞑想状態に入りながら入滅したと見ました。 私も肉体や精神などが極限の苦痛に達した際や死ぬ際には瞑想を使用したいとおもっておりますが、そこまで深い瞑想をするには相当な瞑想の日々の熟練が必要かと思っております。 ところが精神疾患を持つものが瞑想をするとどうやら副作用が生じ、むしろ悪影響が発生することがわかりました。 以下質問となります: この矛盾は何でしょうか?座禅・瞑想とは人類全てが実践できる安全なメンタルケアでなければならず、そのため仏教修行の多くの部分を座禅・瞑想に使用するのではないのでしょうか。 それとも仏教の座禅・瞑想は修行の一部にすぎずそれが全てではないということでしょうか。 有名なキサーゴータミーの物語では明らかに精神疾患状態にある婦人を救っているような記述がありますが、これはどのようなプロセスを経て「治して」、「さらに悟りにまで到達した」のでしょうか。 個人的に思うのはまず前提として仏道の実践と修行者の身の回りの環境を整えてから瞑想を熟練していくのだと思いますが、その「環境の充実」の基準とはどこから情報を引っ張ってくれば良いのでしょうか。 よろしければ真なるお言葉をくださいませ。なければご対応不要です。よろしくお願い致します。

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マインドフルネスについて

瞑想を2週間ほど前から朝の日課にしています。欲を少しでも手放せたらと思い、始めました。 そして、昨日仕事中にふっと目の前の仕事に全意識が向いている心地よさを体験しました。これがマインドフルネス?と思いました。15分くらいしか持ちませんでしたが。 どうしても自分で自分を苦しい状態にしてしまうので、どうしたらもう少し楽に生きれるだろうと思い、このマインドフルネス状態が長く続けばいいのでは?と考えています。 そして、大人になると生活の7割くらいが仕事なので、仕事中にマインドフルネス状態が続けば毎日がもう少し楽になると考えました。 しかし、仕事内容が慣れているものであったり、どう進めるか想像つくものであればマインドフルネス状態になりやすいと思ったのですが、仕事内容によっては難問にぶつかったり、やったことないことをやらないといけないことだってあります。クリエイティブ系の職種のため、アイディア出しなどはいつも苦しいんでいます。今思うと、まだこの職種の経験も浅いこともあり、8割ほどの仕事内容にいつも苦しめられています。難問にぶつかった場合もただ難問に向き合うだけでマインドフルネスなのでしょうか。 マインドフルネスについては本などを読んで、自分なりに解釈しているところもあるので間違いがあれば訂正していただきたいです。 仕事中あっちこっち気持ちが散らかるので、マインドフルネスの実践ができたらなと思います。

有り難し有り難し 18
回答数回答 2

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ