苦しみの原因がわからない時回答受付中
こんにちは。いつもありがたいお話をしていただきありがとうございます。
お聞きしたいのですが、時々自分の心を見つめても何が原因なのかよくわからない時があります。そういう時はどうすればいいのでしょうか。
今執着しているな、これは慢心だな、などとラベリングすることで心が軽くなることもあれば、心を見つめてもよく見えずずっと何かに囚われている感覚がすることもあります。
うまく言葉にできず分かりにくくなってしまい申し訳ありません。
しかしそういう時はそういうものだと受け入れるしかないのでしょうか。
お坊さんからの回答 2件
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周りに流されてみるのも、執着の紐を緩めるみたいでラクな時も。
ハッキリと原因がわかっている時は対策も心のあり方も見つけやすいですが、このモヤモヤは何から来ているのかが見えないと、とても落ち着かず恐怖すら感じますよね。
私たちが生きてきて、見聞きしてきたこと、経験して想定できることは、限られているのだと思います。
何もわからない時は、暗闇にいる状態。もがいても、進む方向すら見えない。とても不安ですが、腹を据えて、しなやかに流されてもいいんじゃないかしら。
何でも原因や答えがわかっているほうが、生きやすいとは限りません。経験値や人との出会い、置かれた状況から、自然と見えてくることだってあります。
そんな頃を、待ってみるのも良いんじゃないかしら。
周りに流されてみるのも、執着の紐を緩めるみたいでラクな時もありますよ。凧のように繋がってはいるけれど、今は流されながら、上から自分よりもっと広い世界を眺めておきましょう。それも、心地良いですよ。
私も流れる心地良さから、周りの温もりを感じて、学ばさせてもらうこともあるのです。
自分がわからない時は、俯瞰してみましょう。
暗闇の中にありながら、ちゃんとあなたを照らす光がさしてきますよ。
様子を見ながら晴れてきたら足元を見つめましょう
拝読させて頂きました。
あなたがおっしゃるように何かにとらわれてしまって原因がわからない時ってありますよね。そんなときどうすればいいのかと悩んでしまいますよね。詳細なあなたの心の中はわからないですけれども、あなたのそのお気持ちを心よりお察しします。
私達は渦中にいるときにはなかなか自分の位置も状態も見えないものです。そして客観的にはなかなか認識できませんからどうしたらいいのかもわからないですし、そのもやもやしたところの原因は見えてこないものです。
そうしている中であれこれと遮二無二動いてみてもなかなか方向も見えてこないですし、答えもわからないですからね。あなたがそう思ってしまうのも致し方ないことかと思います。
そうした中でどうすればいいのかはなかなかわからないですけれども、やはりあまり無理やり動いたりせずにしばらくの間落ち着くまで様子を見ていくことかもしれません。時間が経過していく中で少しずつ霧が晴れていく様に周りの景色も見えてくるかもしれませんし、自分の置かれている状況も把握できるようになってくるかもしれません。本当に危機的な状況の中にいるのであれば一目散に逃げねばならないかもしれませんがそうでないならば先ずは落ち着いていくのをじっくりと待ちながら自分の足元を確認していくことだと思います。
自分の足元はどんなところなのか、しっかりと地に足ついている場所なのか、海岸線の砂の上に立っているように足元が流されてしまっていくようなところなのか、断崖絶壁の上に立ち尽くしているのか、様々なことにからめとられているのか、或いは安心できる方々や信頼できるところにいるのか、そしてその中で自分はどう一歩出していけばいいのかを慌てないで落ち着いて洞察していったりご検討なさっていくことなのかと思います。
時は過ぎていきます、一時として止むことはありません、その中であわてないでじっくりと周りを或いは様々な原因や条件や状況を確認なさっていきましょう。
あなたを心より応援させて頂きます。至心合掌