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お世話になった住職とのお別れ回答受付中

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私は親友の影響で日蓮宗系の新興宗教に入っていました。親友が亡くなり、先祖を大切にしろと言う教えだけは守り墓参りしていると、本堂に人が集まっていて訪ねてみることにしました。
4年前の3月のことです。住職は瞑想の大切さをとき、私が新興宗教に入っていて抜け出せなくて困っているというと仏具をあづかってくれるというので、今まで使っていた仏具を住職に預けました。それから、お寺の瞑想会に参加し、お寺の瞑想会はお金がかからないこともあり4年通いました。
しかし、昨年母が左半身麻痺になりました。今は歩ける位回復したのですが、介護しなければならないところはまだまだあり、引っ越したのでお寺との距離も離れてしまい、前のように瞑想しにお寺にはいけなくなってしまいました。私自身、去年入院して訪問看護さんにきて貰うことになり今のところ安定しています。今年はボランティアデビューもする事ができました。それで思ったのが瞑想会はもう頻繁にいけないということです。それはお世話になった住職とのお別れであり、お墓があるので完全に会わなくなるわけではないですが、来月護寺会費等の振り込み口座を聞きに行く約束をしました。これでもう手渡しで会費を払うこともなくなります。それは面と向かって住職と話すことはもう失くなるということです。
お金はないですが、何か手土産かいくらかお布施をしたほうが良いでしょうか。手紙とかかいたらおかしいでしょうか。

2024年9月23日 15:35

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

これからも大切になさって下さいね

拝読させて頂きました。
あなたは今までお寺の瞑想会に参加なさっておられて御住職にお会いできていたのですね。ですがお母様のお世話なさったりする為にもう瞑想会に通うことできなくなってしまい御住職にお会いできなくなってしまうのですね。あなたはとてもさみしいと思っておられるのですね。詳細な経緯はわからないですけどあなたのお気持ち心よりお察しします。
確かにあまりお会いできなくなってしまうのはさみしいですしとても残念だと思います。
とはいえ一切お会いできなくなってしまう訳ではありません。またしばらくしたら瞑想会にも参加することもあるかもしれませんからね。
とりあえずは今までのお礼のお気持ちをお手紙に書いてお渡しなさってもいいと思いますし、お菓子やお気持ちのお布施を可能な範囲のおつつみなさってお渡ししてもいいと思います。あくまでも無理のない範囲でいいと思います。
どうかこれからもお寺様や御住職とのご縁を大切になさって下さいね。至心合掌

2024年9月24日 0:59
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

Kousyo Kuuyo Azuma様
コメントありがとうございます。
手紙とお茶などを持って行きたいと思います。瞑想はとても楽しかったので。父に話したら車でいけば良いと言われましたが怖くて。彼岸も今年はいけそうにないですが。本当に感謝しています。

「仏教における瞑想」問答一覧

瞑想して病気を治すように言われた

難病の再発で、真言宗のお寺で得度するつもりでしたが、やめておこうと考えました。 理由は住職様に、難病を理由に得度を延期したい旨を伝えたら「治療で飲むステロイドをやめて、瞑想した方が良い」と言われ、びっくりしたからです。 いやいや、私の難病はステロイドを飲まないと、他臓器不全を起こして死んでしまうのですが! という趣旨の話をしたら、笑われました。 持病の双極性障害は落ち着き、今まで関わってくれた人達のお陰で50年いきてこれたので、今は冷静に残りの人生を誰かの役に立てるように生きたいと思えるようになり、得度したいと思いました。 でも、よく考えたら得度しなくても、そういう生き方はできます。 正直、話を聞かず医療も否定する住職様に幻滅してしまいました。 これからも、自分で好きな観音経や他のお経の勉強も、書籍で出来ます。 ご先祖供養の仏前勤行も、音源を手に入れたので、自分で練習して出来ます。 お坊様も人ですから、色々な方がいます。 僧侶としての経験は立派で尊敬していますが、なんとも複雑です。 仏壇やお位牌の開眼供養を、大したお布施も出来ないのに快く受けてくれる僧侶の友人の紹介の住職様なので、これから住職様と、どう関われば良いかなと考えています。

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うつ病の中でも利他の心を持つためには

5年ほど心の病に苦しんでおります。最初は適応障害という診断でしたが症状が悪化し、3年前にうつ病と診断されました。 それでも昨年から始めた漢方の治療やカウンセリング等の効果で体調は良化しており、検査の数値も改善してきています。 しかしながら「ものを考える余裕」が生まれたこともあってか、生き方に対する苦悩は深まるばかりです。 うつ病に向き合う手がかりとして、宗教・哲学・心理学など多くの本に触れているのですが、その多くで「他者に関心を持つこと」「他者と関わること」「他者のためにはたらくこと」が幸せへの道として説かれていました。仏教においても、「利他」は大切な考えだと思います。 しかし、今の私には「他者のためにはたらくこと」はおろか、「他者と関わること」も考えられません。他者とつながりを持つことを恐ろしいと感じてしまいますし、他者のことを考える余力自体も不足しているように思われます。毎日念仏をお唱えするときも、自分の身体のことや心のことばかりを考えてしまいます。 自分でも「利他の心」を持てたらとは思うのですが、負のループに入ってしまっているような気がしております。 勿論、日々の中で「他者を傷つけないように」「他者を不快にさせないように」と心がけているつもりではおりますが、それだけで良いのか、と自問自答してしまいます。 どのような心がけで日々を過ごせば良いのか、ご助言を賜りたく思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。

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瞑想とは

ブッダは入滅する際に深い瞑想状態に入りながら入滅したと見ました。 私も肉体や精神などが極限の苦痛に達した際や死ぬ際には瞑想を使用したいとおもっておりますが、そこまで深い瞑想をするには相当な瞑想の日々の熟練が必要かと思っております。 ところが精神疾患を持つものが瞑想をするとどうやら副作用が生じ、むしろ悪影響が発生することがわかりました。 以下質問となります: この矛盾は何でしょうか?座禅・瞑想とは人類全てが実践できる安全なメンタルケアでなければならず、そのため仏教修行の多くの部分を座禅・瞑想に使用するのではないのでしょうか。 それとも仏教の座禅・瞑想は修行の一部にすぎずそれが全てではないということでしょうか。 有名なキサーゴータミーの物語では明らかに精神疾患状態にある婦人を救っているような記述がありますが、これはどのようなプロセスを経て「治して」、「さらに悟りにまで到達した」のでしょうか。 個人的に思うのはまず前提として仏道の実践と修行者の身の回りの環境を整えてから瞑想を熟練していくのだと思いますが、その「環境の充実」の基準とはどこから情報を引っ張ってくれば良いのでしょうか。 よろしければ真なるお言葉をくださいませ。なければご対応不要です。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 17
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ