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瞑想で自分の内面を見つめていきたい。

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有り難し有り難し 2

いつもご丁寧に回答頂き誠にありがとうございます。
昨年大病を患うものの、治癒して現在経過観察中です。
自分の命に向き合い、残りの人生を大事に活かして過ごしたいと思いながらも、日々の仕事をただこなす毎日のようで、何か充足感に欠けております。
この年齢になりながら、残された人生で本当の自分は何をしたいか・すべきかを見つめ直したく、瞑想による内観がよいと知り実践したく考えております。

今まで、息を数えたり、呼吸に集中して別の考えが浮かんだら元に戻すようなマインドフルネス瞑想を実践し、それなりに終えた後はスッキリして安定した気分になりますが、”自分は何を・・・”などと考えや思いを馳せると、呼吸が乱れたりどうもスッキリ感に至りません。

やり方が違うのか、まだ慣れていないだけなのか、このあたり僧侶の方々からアドバイスを頂きたくお願い申し上げます。

2024年5月16日 6:51

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

色々試してみましょう。

いちごいちえ 様 相談ありがとうございます。

マインドフルネスの瞑想で、今、ここに、判断することなく、ただ集中しようとするときに、どうしても思考にとらわる時があります。誰でもそうなります。
そんな時は、自分を責めることなく、優しくその思考を手放す、あるいはテレビのCMなんかを意識せずに見流しているように、その浮かんだ思考をただ流して囚われのないようにして、また、今ここの呼吸に意識を戻し集中するというのが、良いと思います。
それでもどうしても、何か囚われたり心がざわついて上手くできない時は、一度中断して、身体を適当に動かしてから、再び行ってみてもいいでしょう。

それから、法華経読誦ということもされているようですので、付け加えておきますと、「黙唱法華三昧」という瞑想法がございますので、宜しければ簡単な手順をお知らせすることも可能です。お題目を黙って呼吸に合わせて心で唱えて、心を落ち着かせていく方法です。御検討ください。
また、一生懸命、ひたすらお題目をお唱えするという唱題行も、集中する行法ですので、こちらもご検討ください。こちらも手順をお知らせすることが可能ですからご連絡いただければ、添付ファイルなどで送信することが可能です。
唱題行は、日蓮宗のお寺で檀信徒と共に行っているお寺もありますので、菩提寺様に確認してみて参加できそうでしたら参加してください。オン来でも参加できるところもあります。参考にしてください。合掌礼

追伸:お礼メッセージありがとうございました。身延山や菩提寺の法要に参拝もよいですね。信仰増進にご精進ください。また何かありましたらどうぞ遠慮なくご相談ください。再礼

2024年5月16日 8:27
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有り難し
おきもち

お寺の法務(法事などのご先祖の供養)と 唱題行・写経・法話・カウンセリン...
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質問者からのお礼

釋孝修様

お忙しい中、アドバイス頂きありがとうございました。
まずは色々考えずに、今ここの呼吸やお題目に集中するところから始めてみたいと思います。
自分の内観は瞑想とは区別し、心を穏やかにしてから臨んでみようと思いました。

父が一昨年他界してから仏事の関心が増し、身延山参拝や菩提寺の行事への参加など機会が増えてきました。
今回のご縁も頂き、また個別にご相談させて頂くかもしれません。
何卒よろしくお願いします。

「仏教における瞑想」問答一覧

うつ病の中でも利他の心を持つためには

5年ほど心の病に苦しんでおります。最初は適応障害という診断でしたが症状が悪化し、3年前にうつ病と診断されました。 それでも昨年から始めた漢方の治療やカウンセリング等の効果で体調は良化しており、検査の数値も改善してきています。 しかしながら「ものを考える余裕」が生まれたこともあってか、生き方に対する苦悩は深まるばかりです。 うつ病に向き合う手がかりとして、宗教・哲学・心理学など多くの本に触れているのですが、その多くで「他者に関心を持つこと」「他者と関わること」「他者のためにはたらくこと」が幸せへの道として説かれていました。仏教においても、「利他」は大切な考えだと思います。 しかし、今の私には「他者のためにはたらくこと」はおろか、「他者と関わること」も考えられません。他者とつながりを持つことを恐ろしいと感じてしまいますし、他者のことを考える余力自体も不足しているように思われます。毎日念仏をお唱えするときも、自分の身体のことや心のことばかりを考えてしまいます。 自分でも「利他の心」を持てたらとは思うのですが、負のループに入ってしまっているような気がしております。 勿論、日々の中で「他者を傷つけないように」「他者を不快にさせないように」と心がけているつもりではおりますが、それだけで良いのか、と自問自答してしまいます。 どのような心がけで日々を過ごせば良いのか、ご助言を賜りたく思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。

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瞑想とは

ブッダは入滅する際に深い瞑想状態に入りながら入滅したと見ました。 私も肉体や精神などが極限の苦痛に達した際や死ぬ際には瞑想を使用したいとおもっておりますが、そこまで深い瞑想をするには相当な瞑想の日々の熟練が必要かと思っております。 ところが精神疾患を持つものが瞑想をするとどうやら副作用が生じ、むしろ悪影響が発生することがわかりました。 以下質問となります: この矛盾は何でしょうか?座禅・瞑想とは人類全てが実践できる安全なメンタルケアでなければならず、そのため仏教修行の多くの部分を座禅・瞑想に使用するのではないのでしょうか。 それとも仏教の座禅・瞑想は修行の一部にすぎずそれが全てではないということでしょうか。 有名なキサーゴータミーの物語では明らかに精神疾患状態にある婦人を救っているような記述がありますが、これはどのようなプロセスを経て「治して」、「さらに悟りにまで到達した」のでしょうか。 個人的に思うのはまず前提として仏道の実践と修行者の身の回りの環境を整えてから瞑想を熟練していくのだと思いますが、その「環境の充実」の基準とはどこから情報を引っ張ってくれば良いのでしょうか。 よろしければ真なるお言葉をくださいませ。なければご対応不要です。よろしくお願い致します。

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マインドフルネスについて

瞑想を2週間ほど前から朝の日課にしています。欲を少しでも手放せたらと思い、始めました。 そして、昨日仕事中にふっと目の前の仕事に全意識が向いている心地よさを体験しました。これがマインドフルネス?と思いました。15分くらいしか持ちませんでしたが。 どうしても自分で自分を苦しい状態にしてしまうので、どうしたらもう少し楽に生きれるだろうと思い、このマインドフルネス状態が長く続けばいいのでは?と考えています。 そして、大人になると生活の7割くらいが仕事なので、仕事中にマインドフルネス状態が続けば毎日がもう少し楽になると考えました。 しかし、仕事内容が慣れているものであったり、どう進めるか想像つくものであればマインドフルネス状態になりやすいと思ったのですが、仕事内容によっては難問にぶつかったり、やったことないことをやらないといけないことだってあります。クリエイティブ系の職種のため、アイディア出しなどはいつも苦しいんでいます。今思うと、まだこの職種の経験も浅いこともあり、8割ほどの仕事内容にいつも苦しめられています。難問にぶつかった場合もただ難問に向き合うだけでマインドフルネスなのでしょうか。 マインドフルネスについては本などを読んで、自分なりに解釈しているところもあるので間違いがあれば訂正していただきたいです。 仕事中あっちこっち気持ちが散らかるので、マインドフルネスの実践ができたらなと思います。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ