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大丈夫ですよ。
拝読させて頂きました。
お墓を建てるには大変なお金がかかりますよね。今から確かに建てるには決意がいりますよね。そしてこれからもお墓を守っていくことが必要になりますからね。
その方をご供養なさるならば別にお墓を建て埋葬しなくてもご自宅で安置なさっても良いかと思います。
お気持ちの整理がつくまでご自宅でご供養なさっても良いと思いますよ。
とはいえいずれはどこかに埋蔵なさる、そしていずれは土に還ることが望ましいかと思います。
お亡くなりになられた方々は仏様の元に往き生まれてご成仏なさいます。
ですからご遺骨はもはやその人の痕跡でしかないのですからね。
少しずつ少しずつそこから離れていき気持ちを整理なさり、仏様の元に往かれた方々を真心込めてご供養なさることが望ましいかと思います。
お墓を持っても菩提心が無ければただの箱
お墓を持たなくても菩提心が無ければ亡き人も浮かばれないと思います。
人間はこの世に生まれて何が為にいきるか。
お墓を持つということは菩提心を立てるということです。
仏教でなくてもお墓は立てる。
なぜ仏教においてお墓を持つのかと言えば、亡き人への報恩供養の行として菩提心をおこして、この世の誰かの為に自分の持っている力をもって何かを尽くす。そういう生き方を供養しますという誓いの石塔がお墓というもので何もお骨を入れるハコではありません。現代にはこの心が無いから仏教であっても仏教心が無く、自分のことや自分の家のことしかやらないという人が多いのです。
菩提心とは、自分も他人様も今日出会う方も、どんな人でも動物でも生物でないものでもしかるべきところへ導くというお誓いです。悟りを求め、自分の人間性を向上させる。やさしさ、慈悲、慈愛の心を亡き人に対する報恩供養として故人様やお世話になった方々から頂いた光を反射させるように世に報謝するべく一隅を照らす活動をする。
この世が良くならんのは善心、慈悲心、慈愛心、菩提心を持つ人が少ないからでしょう。
それをするということこそが最高の供養となる。
私がお金が無くてお墓が立てられないのであれば、それでも私は報恩の菩提心をふるい起こして世の人を救わんと誓い、勤めるでしょう。
それをしないで自分のことばっかりやっている人間は一生自分のことしかやらないでしょう。
だからお墓を立てるということの真意は供養塔、良き心を広める源泉、仏法を広く広めて世の人の苦しみを取り除き安楽を提供しようという志をおこして、それを実践する。お墓とは菩提心の象徴です。菩提心を自ら行ずるところに供養の心があらわれます。たとえお墓があろうがなかろうが、そこに自分の全身全霊を捧げる。
自らの行為をもって供養となす。これが菩提心であり供養心であり、報恩行なのです。
故にタイトルでも記しましたが、お墓を持たずに菩提心もなければ…、あとはご自身でお考え下さい。合掌
ご自宅で供養されるのもアリです。
お墓をお持ちでも、
「自分が亡くなった時に
一緒に埋葬してほしい」と、
ご自宅のお仏壇に納めておられる方は
少なくありません。
お仏壇が無ければ、
シンプルなもので良いのでご用意いただき、
お骨を安置されれば有難いです。
質問者からのお礼
ご指導ありがとうございました。少し心が軽くなりました。感謝いたします。