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希望を取り戻す手立ては何でしょう?

回答数回答 3
有り難し有り難し 13

会社の欲望のために、働いてきました。脱税に利権争いの手伝いなど、精神的に疲れました。会社は利益を追求することは判りますが、一部の人間の欲望のために不正に権力を翳すのは、労働意欲を欠かせることだと思います。
そんな現実を見せ付けられる度に、お寺にお参りをし、気持ちをしっかりと持ちこたえるように念じて帰ります。30年以上社会に身をおいてみて来た現実の世界です。現在は、精神的に病んだので離職し、休職中です。
伝教大師のお言葉で、己を忘れて、他を利するは、慈悲の極みなり。とあり、この言葉に心打たれ、世の中もこのようにあって欲しいと思いますが、社会復帰する勇気が持てません。良い教えは、私の心を励ましてくれます。しかし、長年見てきた世の中に、不安を感じてしかたありません。
寝ても覚めても、不安感に襲われます。
気持ちを強く持ち、活力を維持するために、何をどうすれば良いのでしょう?よろしく御願い致します。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

それでも生きているのは、この自分自身。

会社の欲望というよりは会社の中のある人物の欲望のために働かされていた、と言えるでしょうね。公私が混同され不正と正が混同されてしまう。本当に悲しいことですね。
私も僧侶の世界に身を投じ本山で10年。
裏も表も知り、質問者様と同様な現実を目の当たりにしました。
私は僧侶業界の実態に文句ばかり言っていました。(モンクだけに)
ある時「じゃ、アンタがやりなさいよ」の一言で目が覚めました。
組織がどうかとか他人がどうかとか言っていた間は、所詮他人ごとなのでした。
「自分がどうか」「自分がどう真実の生き方に即して主体的に生きるか」が大事なのです。
これからは悪事に加担させられた時、NOという事も出来るのはずです。
逆に脱税以上に人を苦しめる重税、不正を行っている国を上回る度量もこの時代を太く生きる知恵とも言えましょう。
酸いも甘いも、清も濁もあわせ呑む度量が無ければ、表面だけクリーンなイメージで装っている国の不正の政治の犠牲者にさせられてしまうでしょう。
他者を変える、組織を変えることに力を注ぐよりも、人から人を通して意識改革をしていけば誰も傷つくことはありません。
結局、自分自身がそれをやるほかないことに気づきました。
他の僧侶がどうした、他の社員がどうした、人のことをとやかく言っていました。
自分が為すべき事をなすほかないのです。
人生の主人公はあなたの人生においてはアナタしかいません。
だからこそ、あなたがどうするか。どうしたいか。

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おきもち

仕事はあなたの人生の一部でしょう

 こんばんは。年上の方、社会での先輩に向かっての発言、失礼をお許し下さい。
 私も仕事をしてきました。約20年になります。お陰様で、「自分で責任を持ってやりくりできる」ようになってきたところです。小さい組織ですので、何に付け不安定ではありますが。
 さて、仕事は明らかに私の人生の重大事ではありますが、全てではありません。自分の趣味があり、家族があり、両親がおり、地域の人がいます。周りとの接点が一つしかない、という人は先ずいないでしょう。しかし、しかしです。
 大抵は重層的に(会社の同僚かつ地域の人とか)付き合っていないものですから、誰かがあなたを見るときは、彼との関係に於いて見る、即ち一面的に見るしかありません。
 これは気楽なことではあります。家族と言い合いをしても、会社で業績を上げることができる。会社で嫌なことがあっても、草野球でホームランが打てる。
 しかし反面、「全体像としてのあなた」は、ご自身にしか捉えられません。「会社のために、社会的不正を働いた」、それは会社という視点から見れば「役だった」なのでしょうが、全体像としてのアナタが傷を負った訳です。
 浄土宗としては多分、「娑婆の毒からは、離れられるなら離れて」です。3つ目の職場。でも生きていくために居続けねばならないなら、日々お念仏(南無阿弥陀仏を口に唱える)でしょうか。お念仏は、明言されていない前提があると思いますが、それは「あー俺って、仏様に頼らなきゃならないほど、無力だ−。他にできること、何もない」と感じていることです。「人事を尽くして天命を待つ」に近いかしら。それがないと、「ただ同じ事言ってるだけ」にしか見えません。「万策尽きた」と思っても、まだできる事がある。そのポジションです。
 「それで日々を少し心安らかに過ごせるようになるか」は、やってみなきゃ実感できないことです。「やることで、気持ちは後からついてくる」というスタンスです。端から見ているのと、やっているのではまるきり違います。でも大丈夫。昔から、沢山の人が実践してきたのですから。

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おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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自利利他

自分を含めて利を生まなくてどうしますか?という意味で自利利他とお釈迦様は仰っているのだと思います。

企業の駒として盤上の闘いを示す

多くの人がやるせない気持ちでしょう。

ところで贈り物で嬉しいのは何でしょう。
置き物より消費するものではないでしょうか。
どんなに素晴らしい言葉もそこにあるだけでは役に立ちません。
行動と思考に反映させてこその言葉です。
実際には役に立たない美辞麗句はいりません。
そういう意味で申し上げるならば
「他人は私の心を汚すことはできない」
ということです。
休職中で時間があるでしょうから
少しこのことを考えてみてください。

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おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れ...
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質問者からのお礼

お言葉、ありがとうございます。
おっしゃるとおり、迷わず行動するところに活路があるのでしょうね。
最近は、仏の教えを学ぶことが多くなりました。それは、周囲の人の声だけでは納得できずで、自分に自信を持てる教えに肖りたい一心からでした。
「他人は私の心を汚すことはできない」 考えてもみなかった解釈ですが、強い信念を持ちなさいとお言葉を頂いているように思えます。精進いたします。

お言葉、ありがとうございます。

「人事を尽くして天命を待つ」・・・尽くしたか? と言われれば、まだやらなければならないと思います。
ただ、社会で味わった事に、萎縮し弱気になって、自信喪失していると思います。

この休職中、最初の3ヶ月は完全に引きこもりになり、精神科に通うのみの日々でしたが、その後、こんなことではいけない。と2つの資格を取得しました。が、大勢の人の中に入ることも恐怖を感じていたので、かなり勇気を振り絞って参りました。さらに来年2月に、別の資格認定試験を受けるため、勉学に励んでおります。これも、社会に向けて前向きなことを、やっていないと、それこそ、絶望感に覆われてもう死んだほうがよいと考えてしまうからです。
また、持病の糖尿病・高血圧を治すための努力をしたかと言われると、十分ではないと思います。
持病があるにも関わらず、お酒やタバコは、ぜんぜん減っていません。これは自分を緩ませる逃げ口。それだけを、触らずにおくのは、変な話ですね。
「万策尽きた」・・・とは、まだまだ言えない私です。
冷静に考えて参ります。

お言葉、ありがとうございました。

確かにお説はごもっともと思います、ですが、NOが言えなかった私です。その時は、多かれ少なかれ、どこの企業もやってることだ。と言うのが、私の中の答えでした。バレなければ何でもあり、そんな時代だったと思います。しかし、いざその作業になると、部下を騙し、深夜社員がみんな帰社してから、伝票の差し替えなど、不正なんて、そう簡単に出来るものではなく、自分も含めて周囲も犠牲にし、良心の呵責に苛まれながらの隠密行動の連続でした。
現在のように、法令遵守・コンプライアンスが問われるようになると、ガラス張りにして、顧客から、また社員から信頼される企業像があって、初めて利潤追求となると私は考えます。
強い心は確かに必要だと思います。しかしながら、ある意味それは、会社に反発する危険分子とも捕らえられかねません。人間って、そう強いものではないと思えるのです。家族や生活を守るため、白を黒と言わされる時もあるのが現実だと、現実と非現実の見極めが出来れば、私は要領の良い人間なのかもしれません。これは私には難解な境界線となっております。

自分が為すべき事をなすほかないのです。・・・最終的にはやはりそうなんでしょうね。
そのお言葉、忘れることないように、努力してみたいと思います。

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