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愛猫が亡くなって

回答数回答 3
有り難し有り難し 37

先日猫のことで相談いただいたこまめと申します。

3日前、愛しい猫は他界いたしました。
朝から昏睡状態に陥り、夜に逝ってしまいました。
多分、そんなに苦しまなかったと思います。

先日アドバイスいただいたように、適度な距離感をもつように、依存しすぎないようにしていたせいか
比較的冷静に看取ることができたと思います。
ありがとう、大好きだよと言い続けました。

生まれつきの短い命、頑張って精一杯生き切ってくれたし、自分も出来る限りのことをしたつもりです。
今はそう言い聞かせているせいか、思っていたほど落ち込んでいないのですが、
時間が経つにつれ、ああ、あの子は私が看病疲れ、心配疲れしすぎているのを察して、慌てて逝ってしまったのだろうか?
と思い始めました(入院から自宅へ戻った次の日に急変して亡くなりました)。

正直治ることのない病気でしたので、苦しみから早く解放してあげたいとも思っていました。
でも、本当はあの子が私を解放してくれたのかもしれません。

もっと落ち込んで食事もできないようになると思っていたので、比較的落ち着いている自分が不思議で戸惑っています。
本当に寂しく、悲しいことに間違いはないのですが。

これで良かったのでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたのおかげで、あの子は安心して逝かれたことでしょう

前回、回答させていただいた亀山純史です。

「自分自身、しっかりしなければ。」という思いの中に、今あなたはいるのではないでしょうか。だから、本当に寂しく、悲しいことでありながら、無意識のうちに、比較的落ち着いているように振る舞うことが出来ているのではないでしょうか。

あの子(愛猫)のために、あなたは精一杯のことをしてあげたと思います。そして、あの子は決して、あなたの看病疲れや心配疲れを察して、慌てて逝ってしまったのではありません。自宅へ戻ってきたことでの安心感で、そしてあなたの献身的なお世話のおかげで、あの子は安心をしてあの世に逝くことが出来たのではないのでしょうか。

「本当はあの子が私を解放してくれたのかもしれません。」とのことですが、あの子が亡くなって、確かに「いつ逝くのか。いつ逝くのか。」という気持ちからは解放されたことでしょう。その代わりに、あの子が逝ってしまったことで、あなたとあの子との思い出は純化され、あなたの心の奥に深く刻まれたことと思います。どうかその思い出をいつまでも大切にして行ってください。あなたがあの子との思い出を語るとき、あの子はあなたのそばで静かにその思い出に耳を傾けていることと思います。

最後に、「これで良かったのでしょうか?」との問いかけですが、これでよかったのだと思います。

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有り難し
おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧侶です。令和6年3月に、公立高校の教員を勧奨退職しました。その後、縁あって、令和6年4月からは「まちサポ雫石」というNPO法人のお手伝い、また、令和6年10月からは公立高校の非常勤講師をしています。 浄土真宗における僧侶は、仏さまの教えに生き、その教えを伝える者であり、人を悩みから救う能力を有した者ではありません。人の悩みを救う救いの主は阿弥陀さまです。ですので、hasunohaにおける私の回答では、仏さまの教えに救われているこの私の生き方、考え方を、皆様にお見せするだけです。そして私自身、お答えできるご相談の範囲はそう広くはありませんが、皆様のお役に少しでも立てればと思い、回答させて頂いております。

結構なことです

動物というのは非常に感がするどいようで
僕たち飼い主の「気」をいち早く察知するようです。
ですから、飼い主を思って我が命を縮めたと考えることもできますね。
でも、命とは身体とはそういうものではありません。
最期の最期まで生きようと生命維持装置が働くものです。
そこにあなたとの「愛情の歴史」が加わることで、ねこちゃんに更なる生命力を与え
たことは間違いないのです、離れたくないと。

最期までねこちゃんに愛された実感が
今、あなたの心を穏やかにしていることを
亡くなったねこちゃんのために知ることです。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

愛の力です

あなたが注いだ愛があなた自身を愛で包んだのです。
だから苦しくないのです。
人はやさしさを自分で産みだすことができる。
自分でない存在をいつくしむことができる。
あなたはそれを言われた通り実践して下さった。
あなたにその力が生まれた。
その力を与えてくれたのが、その猫です。
その猫はあなたの愛の力となったのです。
だから死んでません。
誰にでもその愛を注ぐことができるでしょう。
あなたとそのネコちゃんとの間に生まれた永遠の力です。
それがさらに誰かを救う力となれば慈悲になります。
時おり思い出しては、その力を使って、ひとにやさしくしてください。
職場を優しくしてください。
日本を優しくしてください。
世界を優しくしてください。
それがあなたの使命ニャ。

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おきもち

お悩み相談08020659278
💕禅ママ説法💗 禅ママの超簡単!不安消しテクニック! (*´ 艸`) 人生って、ちょっぴり不安がいっぱいよね? でも大丈夫! 「現実」と「頭の中だけ」をちゃんと見分けられるようになれば、不安なんてちっぽけなものよ! だって、みんな「もしも~」「もしかして~」って、頭の中で勝手にドラマ作っちゃってるだけなんだもん。 (˘ω˘) 「あれが起きたらどうしよう」とか「こんなことになったらどうしよう」って、まだ何も起きてないのに、勝手に心配しちゃうのよね。 だから、今この瞬間、目の前にあるものに意識を集中してみよう! ✨ 見えるもの、聞こえるもの、感じてること… そうすれば、どんなに不安なことがあっても、"今ここ" に戻ってこれるわよ! 心配事って、まるで映画の予告編みたいなのよ。 まだ何も始まってないのに、ドキドキハラハラしちゃうでしょ? でも、実際は、今この瞬間、目の前で起きていることだけをちゃんと見ればいいのよ。 そうすれば、心はもっと穏やかになるわよ。 不安を感じたら、ちょっと立ち止まって考えてみてね。 「この不安、本当に今の私に必要?」 「今、目の前で起きていることは、一体何?」 そうやって、現実と想像の違いに気づけば、不安に振り回されることも減っていくわよ。 だから、今日一日も、"今" をしっかり感じて、笑顔で過ごしてね! (*´ 艸`) じゃ、行ってらっしゃい!

質問者からのお礼

亀山様、四次元 法華塔様、丹下様

まだときどき寂しくて涙が出ますが、クロちゃん(猫の名前です)に命の重みと無償の愛のようなものを教えてもらった気がします。
皆様のお言葉で、気持ちがだいぶらくになりました。ありがとうございます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ