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私は2年ほど前に始めた某SNSが楽しくてずっと続けています。

しかしネット上でのやりとりというのは、どうしてもやっぱり表情や声が伝わらない分、誤解やすれ違いが起こることが多いですね。
ネットの友達と仲良くなればなるほど、そういうことは増えてきて、すれ違った時のストレスも増えていくのを感じます。

これはよくないと思って、数カ月前から引退を考えていますが、やっぱり今の自分の情報を遠方の友達に発信して、反応や共感がもらえるのが嬉しくて、なかなかやめることができません。リアルで友達がいないだけ余計に。

そうこうしてるうちに最近また、ネットの友達とすれ違いました。ちょっと反応が遅かったり返信が少なかったりすると、それだけで不安になってしまうんです。きっと考え過ぎだと思うのですが、そう思っても不安で嫌な気持ちが消えません。

スマフォからアプリを消すのは試してみましたが、だめでした。やりたくなるとその場でアプリをダウンロードしてでも、起動してしまうのです。

また、引退を考えてることを話すと、ネットの仲の良い友だちから「やめないでほしい」と言われてしまい、そう言ってくれる友達の思いを振り切る気にもなかなかなれません。

いい加減にこんな空疎な人間関係はやめたいものなのですが、どうすればいいでしょうか。
ネットであろうとリアルであろうと、娑婆世間での避け得ぬ人間関係……その業を背負って生きろ、というのものなのかもしれない……分からない……。

アドバイスいただければ幸いです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

そこで失われるものはない

人はイメージで人を見ます。
イメージで観てくる人は本当にあなたを観る人、友達ではない。
だから、やめても人生に何ら影響はありません。
むしろやめることで本当の友達が手に入ります。
あなたをイメージで観ない、本当のあなたを見て、受け止めてくれる人です。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

どうしましょう

悩ましいことです。
が、
二十歳を過ぎた立派な大人の女性を
つかまえて子供扱いすることは失礼。
この件に関してはあなた自身で結論付けましょう。
あなたはその力を持っている。自信持ちなさい。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

続ければ?

こんばんわ。マイペースなみつきさん。
ネット上でのすれ違いは良く聞く話で、それがストレスになるというのも、メディアでさえ取り上げられていますよね。
私はリア充なので実感はありませんが、返信したりする文面には相当気を使っているつもりです。
そんな立場から言われても、と言いたいでしょうけれど、まずは最後まで読んでください。
リアルな、対面のコミュニケーションで出来ないのが、既読スルーというやつだと思います。リアルでは、沈黙するという表現ができるのです。ただそれは、電気信号に変えて送れないので、ネット上では見えない。それは仕組みなのですから仕方ない。
既読スルーバンバンしてもいいんじゃないですか?それをシノゴノいうのは、リアルのルールを持ち込んじゃっているんでしょう?
「やめないで」と言っている子に、「じゃ、止めないけど私これから既読スルーするかもよ。それでもいい?」で、残る人と付き合えばいいんじゃないですか?もちろん、お互いに既読スルーを許容する友達ね。
それがゼロになるのが怖いんでしょう?でも一回、それを経験するのも良いかもしれませんよ。切られるより自ら身を引こうという思考なんだろうけれど、ここは傷を浅く済ますより、バッサリ切られる覚悟で行った方がいいと思います。人間は、危機感がないと動かないから。不安感で避けても、また繰り返すものだから。
ということで、全然坊さんらしくない回答ですが、中学生の息子が同じことを言ったら、「じゃあガラケーに戻したる」って、嬉々として古いケータイを出してくるでしょうね。そういう、他人の力を借りるのもアリかもです。ちなみに彼も現在、デジタルデトックス中で、使える日とダメな日があるのですが、特に疎外感は感じていないとのこと。所詮その程度です。

(追伸)参考になるかもです。『つくし世代』、 新書です。検索してみてください。あなたと同じような感覚を持ち、工夫して過ごしている人の例がいっぱい出ています。
(さらに)ごめんなさい問いを読めていませんでした。でも紹介した本は手に取ってみて下さい。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

質問者からのお礼

回答ありがとうございます。
>佐藤さん
申し訳ありませんが、5回ぐらい読みなおしたのですが何をおっしゃっているのかいまいち分かりません。私の伝え方が悪かったのでしょう、というか、今読み返すと嘘を言ってました。細かいことですが、「反応が遅くて不安」はありませんでした。私がやってるSNSでは既読という機能はないので、その心配はないでした。すみません。
とりあえず、私が既読スルーをしたいのではなくて、されるのが嫌なんです。嫌われてるのでは? と不安になるからです。そこの主述が逆になっているのは、自分がすることで相手からされることも気にならなくなる、とかいう発想なんでしょうか……。すみません、分かりません。
とりあえず、本気でやめたいなら思い切れ、というふうに受け取りました(笑)。

>法華塔さん
一応数ヶ月間考えてても結論が出なかったことについて質問させていただいたのですが、それぐらいで甘ったれるなということですね。軽い気持ちで利用してしまい申し訳ありませんでした。

>丹下さん
私もそう思います。ですからやめようと思っています。努力します。

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