hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

周りの幸せに嫉妬してしまう

回答数回答 2
有り難し有り難し 27

こんにちは。初めて質問させて頂きます。

自分が異性から好かれず、周りの友人・同僚ばかりが幸せを掴んでいる事に嫉妬してしまい、またそんな自分にも嫌気がさしています。

先日も気になる相手がおり自分なりに一生懸命アピールしたのですが、素っ気ない反応だったのでこちらから身を引きました。
私は小さい頃から他人と、特に年上の方と距離を詰める事が苦手で、中々年上の異性と親しくなれません。
しかし一方で、あまり敬語も使わず、機嫌が悪い時は周囲に当たり散らすような会社の同僚は年上の先輩から可愛がられ、告白もされているようです。

私は今まで「年上は敬うべき」という考えから年齢が離れた方には失礼がないよう気をつけて接してきました。
しかし同僚の言動をみて、異性にモテるのは私のような大人しくつまらない女性ではなく、同僚のような勝ち気な女性なのだろうかと思うと同時に、自分の今までの人生は一体なんだったんだろうととても虚しくなってしまいました。

恥ずかしながら今まで異性とお付き合いしたこともなく、このまま一生周りに気を使いながら一人で生きていくのかと思うととても辛いです。
長々となってしまいましたが、こんな私の生き方について何か教えを頂けると幸いです。よろしくお願いします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分自身を生きる人を魅力的だと思います。

でいさん

大人しい人をつまらないと受け取る人もいれば
おしとやかだなと受け取る人もいます。

勝気な女性を楽しいと受け取る人もいれば
失礼な人と受け取る人もいると思います。

私の個人的な意見としては
自分ではない他の誰かになろうとする人を
魅力的だとは思いません。

自分自身を生きる人を魅力的だと思います。

あなたの培ってきた特性を
否定しなくていいのではないでしょうか。

“先日も気になる相手がおり自分なりに一生懸命アピールしたのですが、素っ気ない反応だったのでこちらから身を引きました。”

とのことですが
だいたい恋愛というのは
どちらかの片想いから始まるのですから
相手は素っ気なくて当たり前です。

もし嘆くのであれば
身を引くのではなく
告白して振られてから嘆きましょう

特に何もせず異性から告白される人も
いると思いますが、それは少数派だと思います。

{{count}}
有り難し
おきもち

男性ウケする方法を男性から教わる

以前、坐禅会に貞子さんのような方がやってきました。
余程つらい過去があったらしく呪怨呪怨リングリングしていましたが、禅の話を聞いてくださっているうちにどんどんキレイになっていきました。
服装が変わった訳でもしゃべり方が変わった訳でもありません。
単におどろおどろしいネガティブオーラが晴れただけです。
人間、悩みがなくなるとこんなに素敵になるのか、と思いました。
禅の話とは、仏教や禅の話ではなくて自分の説明の話です。
ぶっちゃけ、どんな美人でもふてくされている人は、元気で笑顔溢れる女子よりも心がおブスちゃんなのです。
さらに、アタシはどうせ顔美人じゃないしー、とか思っちゃうのはもっと心がおブスちゃんです。そこでさらに凹むひとはもっとおブスちゃんです。
つまりもともとおブスちゃんはいません。顔は内面の表れ。私のようなブチャイクでも笑っていればソコソコ観れます。(笑)
自己否定、自己評価を低くする心の動かし方がネガティブ意識、ネガティブオーラを生み出しているのです。
彼の女性が天女になって帰っていかれたのも話してスッキリ+仏の教えによって自分を自分で理解することができたからだと思います。
男性も女性も笑顔に勝るものはありません。
本当の笑顔は、自分が自分でいつともしれず作ったシバラレから解かれなければいけません。
よかったら坐禅会にお越し下さい。近所のヨガでもいいと思いますが、日常の精神のありようを教えてくれるところがいいと思います。精神のひっかかりが無くなればハピハピになれるからです。心が幸せで満たされた女子には自然に花に蝶が寄ってくるように男性がパタパタ飛んできます。心が豊かで幸せなので、誰にでも相手にも尽くせるからです。
ここまでは内面についてのお話でした。
外面について思うことは、女性ファッション雑誌をみて思う事があります。
「恋に効く!人気おすすめアイテム」
女子的にかわいいのでしょうが、男性的には萌えない、みたいなものも多いものです。
男子的も男性ウケしかしないことをいくら女子にアピアピしても女子は見向きもしません。
自信がないという人でも、その人がその人らしく一番輝くファッションがあるように感じます。
相談という形で好きな男性に自分がどういうファッションが似合うかを聞く、とか一緒に買い物に行ってもらうと良いと思います。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

中根信雄様
ご回答頂きありがとうございます。
私はどうも以前から自分を卑下する傾向が強く、「自分のようなつまらない人間なんて」と考えがちなのですが、自分自身を生きる人が魅力的、という言葉にハッとしました。確かに同僚にしても、誰かの真似をしているのではなく自分自身を生きているからこそ魅力的に映るのかもしれません。
片思いの相手も、もう少し頑張ってやるだけやってみようと思います。ありがとうございました、とても心が救われました。

丹下覚元様
ご回答頂きありがとうございます。
貞子さんのお話、まるで自分の事のようでした。顔は内面の表れ。まさにその通りだと思います。私はいつもどうせ自分なんて、と思いがちなので、そういったネガティブな考えが表情に出ているのかもしれません。
坐禅会、ぜひ足を運んでみたいと思います。
外見についてももっと自分らしくいられるよう努力して、頑張って貞子さんを卒業したいです(笑)
アドバイス頂き本当にありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ