愛猫の看取り
昨年、17年間、私に寄り添い生きてくれた愛猫が亡くなりました。
本日は猫が亡くなった時のことについて伺いたく書き込ませていただきます。
・看取りについて
猫の最期を看取ることができませんでした。
2時ごろに私が寝る際、「お姉ちゃんもう寝るね、大丈夫だよね」と頭をポンポンとして、隣の部屋に行きました。
次に目が覚めた4時ごろ、一応のつもりで様子を見に行くと亡くなっていました。
亡くなる2週間ほど前から獣医師のアドバイスを受けて、1畳くらいのスペースを囲い、その中にトイレもご飯も置いていたのですが、もしその柵がなければ死にたい場所を選べたかもしれません。
また、夢うつつの時に「ニャ、ニャ、ニャ」という声か聞こえていて、もしかしてまた痙攣を起こしているのかなと思ったにもかかわらず見にいきませんでした。
ふつうに朝見にいったら回復しているような気さえしていました。
でも一方で、今晩死んでしまうかもしれないという予感もあったのにどうかしていました。
その時にちゃんと行っていれば看取れたかもしれません。
かつては猫にべったりで溺愛していたのですが、産後は触れ合う時間が激減。我が子を愛でる度合いと反比例して、猫を愛でることが少なくなりました。猫の老いや病ときちんと向き合えず、育児、家事、自分のことばかりを優先して、ずいぶんと寂しい思いをさせてしまいました。
愛猫の死については後悔ばかりで、看取りについてもヤフー等の相談サイトをのぞきましたが、「看取れてよかった」という方もいれば、「猫は死ぬところを人に見られたくない生き物だから、看取られることを望んでいない」と書かれている方もいました。
そこで伺いたいのですが、看取らずに死なせてしまったことは愛猫にとって、やはり寂しいことだったのでしょうか、それとも看取られたくなかったのでしょうか。どちらにしても取り返しはつかないのてすが、教えていただければと存じます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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大切なのはそこではありません
仏様の世界は生死を超越した世界です。いつだって遅いということはありません。今、猫ちゃんと向き合ってあげましょう。17年もの長い間、一緒にいてくれてありがとう、今でも、これからもずっとあなたのことはいい思い出だよ…と。そっと手を合わせて、線香の一本も手向けてあげて、感謝の思いを伝えてあげましょう。きっと仏様の世界の猫ちゃんに届きます。そうすればきっと寂しくありませんよ。
質問者からのお礼
お礼のコメントが遅くなり大変失礼いたしました。
愛猫の死から一年近く経っても、まだ心にぽっかり穴が開いたままです。
いつまでも大切に想い続けていたいと思いますし、成仏することを願っています。