hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

検索の覚えがない

回答数回答 2
有り難し有り難し 22

読みにくいと思いますがよろしくお願いします。

正確には覚えていないのですが今年の夏か秋に、朝起床するとスマホのグーグルマップに検索をかけた覚えのない山梨県のとあるお寺が表示されていました。(このお寺までの時間距離など)
その時も不思議に思ったのですが今日、知人と話をしているときにふとこの出来事を話したら呼ばれてるから行ってみた方がいいよ!と言われました。

行ってみたいとは思うのですが遠いので表示されていましたお寺のご本尊様、不動明王様、吉祥天座像があるらしいのですが近くのお寺でもよいのでしょうか?

やはり表示されていた、その土地に言った方がよいのでしょうか?

また検索のかけた覚えのないお寺が画面に表示されていた意味などあるのでしょうか?独り暮らしなので誰かの悪戯と言うこともありません。
気になって仕方ないので回答お願い致します。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

グーグル頭脳ゆえの誤作動

ああ、夢の無いタイトルを…(ノД`)・゜・。
こんにちは。私も同じサクラがサイタよサイタマ県人のグーグル検索依存僧「検索の覚元」です。「検索の覚え」と「検索の覚元」って似ていますねぇ。(ドーデモイイ)
というのは、実は人間は「関連されることに支配されている生き物」と言えます。
我々の脳の中も、人工頭脳も、グーグルの検索機能も、超~限りなくそれに近しいものを探して、関連付けを行っているのです。YOUTUBEの動画も関連動画がどんどん出てきます。
グーグルの音声検索で音声入力すると、それに近い、チョー勘違いをされて帰ってきて爆笑することがあります。
今回、山梨の謎のお寺も、夢やロマンを壊したくないので(タイトルからして壊しとるがな)是非行ってみましょう!
圏央道なら一時間チョイで桜が咲いたよ埼玉県から、山があっても山無し県まですぐです。
さて、何でそこのお寺がいきなり出てきたのか。
検索の履歴やそこに至るまでの関連が背景にあると思います。
寝ぼけて、たまたま音声検索ボタンを押しちゃって、そこで流れていた音声やら、寝言を限りなく、それとして判断してくれちゃったとか。
「◎◎まで」と入力するだけでルートや所要時間が出てきてしまいますから。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
💕禅ママ説法💗 禅ママの超簡単!不安消しテクニック! (*´ 艸`) 人生って、ちょっぴり不安がいっぱいよね? でも大丈夫! 「現実」と「頭の中だけ」をちゃんと見分けられるようになれば、不安なんてちっぽけなものよ! だって、みんな「もしも~」「もしかして~」って、頭の中で勝手にドラマ作っちゃってるだけなんだもん。 (˘ω˘) 「あれが起きたらどうしよう」とか「こんなことになったらどうしよう」って、まだ何も起きてないのに、勝手に心配しちゃうのよね。 だから、今この瞬間、目の前にあるものに意識を集中してみよう! ✨ 見えるもの、聞こえるもの、感じてること… そうすれば、どんなに不安なことがあっても、"今ここ" に戻ってこれるわよ! 心配事って、まるで映画の予告編みたいなのよ。 まだ何も始まってないのに、ドキドキハラハラしちゃうでしょ? でも、実際は、今この瞬間、目の前で起きていることだけをちゃんと見ればいいのよ。 そうすれば、心はもっと穏やかになるわよ。 不安を感じたら、ちょっと立ち止まって考えてみてね。 「この不安、本当に今の私に必要?」 「今、目の前で起きていることは、一体何?」 そうやって、現実と想像の違いに気づけば、不安に振り回されることも減っていくわよ。 だから、今日一日も、"今" をしっかり感じて、笑顔で過ごしてね! (*´ 艸`) じゃ、行ってらっしゃい!

旅行として

気になるなら言って確かめるのも良いでしょう。
結果、無駄足になるのが一番良い。

{{count}}
有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

そうですね。誤作動かもしれませんね!笑
ありがとうございました!

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ