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検索の覚えがない

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読みにくいと思いますがよろしくお願いします。

正確には覚えていないのですが今年の夏か秋に、朝起床するとスマホのグーグルマップに検索をかけた覚えのない山梨県のとあるお寺が表示されていました。(このお寺までの時間距離など)
その時も不思議に思ったのですが今日、知人と話をしているときにふとこの出来事を話したら呼ばれてるから行ってみた方がいいよ!と言われました。

行ってみたいとは思うのですが遠いので表示されていましたお寺のご本尊様、不動明王様、吉祥天座像があるらしいのですが近くのお寺でもよいのでしょうか?

やはり表示されていた、その土地に言った方がよいのでしょうか?

また検索のかけた覚えのないお寺が画面に表示されていた意味などあるのでしょうか?独り暮らしなので誰かの悪戯と言うこともありません。
気になって仕方ないので回答お願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

グーグル頭脳ゆえの誤作動

ああ、夢の無いタイトルを…(ノД`)・゜・。
こんにちは。私も同じサクラがサイタよサイタマ県人のグーグル検索依存僧「検索の覚元」です。「検索の覚え」と「検索の覚元」って似ていますねぇ。(ドーデモイイ)
というのは、実は人間は「関連されることに支配されている生き物」と言えます。
我々の脳の中も、人工頭脳も、グーグルの検索機能も、超~限りなくそれに近しいものを探して、関連付けを行っているのです。YOUTUBEの動画も関連動画がどんどん出てきます。
グーグルの音声検索で音声入力すると、それに近い、チョー勘違いをされて帰ってきて爆笑することがあります。
今回、山梨の謎のお寺も、夢やロマンを壊したくないので(タイトルからして壊しとるがな)是非行ってみましょう!
圏央道なら一時間チョイで桜が咲いたよ埼玉県から、山があっても山無し県まですぐです。
さて、何でそこのお寺がいきなり出てきたのか。
検索の履歴やそこに至るまでの関連が背景にあると思います。
寝ぼけて、たまたま音声検索ボタンを押しちゃって、そこで流れていた音声やら、寝言を限りなく、それとして判断してくれちゃったとか。
「◎◎まで」と入力するだけでルートや所要時間が出てきてしまいますから。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

旅行として

気になるなら言って確かめるのも良いでしょう。
結果、無駄足になるのが一番良い。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

そうですね。誤作動かもしれませんね!笑
ありがとうございました!

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